Laura Storyさんの歌Blessingsの意訳

Laura Storyさんの歌、Blessingsの意訳 

姿を変えた神のあわれみとしての人生の苦難
病の中で苦しむご主人と共に生きる中で、紡ぎ出された歌の歌詞。

私たちは祝福を求めて神に祈り、平安を求めて祈ります
家族の無病息災を、寝ている間も私たちが守られるように祈ります

癒しのために祈り、願いがかなえられることを祈り求めます
神の全能の御手によって、私たちの苦しみが取り除かれることを祈ります
私たちが願い求める間、あなたはそれぞれの祈りに耳を傾けてくださり
私たちが願う以上に祈りに応えてくださり、大きな愛を示してくださいます

もし神の祝福が、雨粒を通して注がれるのだとしたら? 
涙を通して、癒しがもたらされるのだとしたら? 
幾千の眠れぬ夜が、神がともにおられることをよく知るための夜だとしたら? 
人生の苦難が、姿を変えた神のあわれみ(Your mercies in disguise)だとしたら? 

私たちは知恵を求めて祈り、あなたは私たちに耳を傾けてくださる
あなたを遠くに感じる時、私たちは怒り、泣き叫ぶ
私たちはあなたが良い方であることを疑い、あなたの愛を疑う
まるで聖書に記されているすべての約束だけでは足りないかのように
私たちが泣き叫ぶ時、あなたは絶望的な叫びに耳を傾けてくださり
私たちが主を信頼する信仰を持つまで待ち望んでくださる

もし神の祝福が、雨粒を通して注がれるのだとしたら? 
涙を通して、癒しがもたらされるのだとしたら? 
幾千の眠れぬ夜が、神がともにおられることをよく知るための夜だとしたら? 
人生の苦難が、姿を変えた神のあわれみだとしたら? 

友が私たちを裏切る時、暗闇が勝ち誇るかのような時、
ここは私たちの本当の故郷(ホーム)ではないことを、
その痛みが心に刻むことを知る

もし神の祝福が、雨粒を通して注がれるのだとしたら? 
涙を通して、癒しがもたらされるのだとしたら? 
幾千の眠れぬ夜が、神がともにおられることをよく知るための夜だとしたら? 

最悪に思える私の失望の数々が、ズキズキと痛む人生のうずきが、
この世が満たすことのできない偉大な渇き、天の故郷への憧れをもたらすものだとしたら? 
人生の苦難、土砂降り、嵐、辛すぎる夜が、姿を変えた神のあわれみなのだとしたら?

We pray for blessings 
We pray for peace  
Comfort for family, protection while we sleep

We pray for healing, for prosperity
We pray for Your mighty hand to ease our suffering
All the while, You hear each spoken need
Yet love us way too much to give us lesser things

‘Cause what if Your blessings come through raindrops
What if Your healing comes through tears
What if a thousand sleepless nights
Are what it takes to know You’re near
What if trials of this life are Your mercies in disguise

We pray for wisdom
Your voice to hear
And we cry in anger when we cannot feel You near
We doubt Your goodness, we doubt Your love
As if every promise from Your Word is not enough
All the while, You hear each desperate plea
And long that we’d have faith to believe

‘Cause what if Your blessings come through raindrops
What if Your healing comes through tears
What if a thousand sleepless nights
Are what it takes to know You’re near
And what if trials of this life are Your mercies in disguise

When friends betray us
When darkness seems to win
We know that pain reminds this heart
That this is not, this is not our home
It’s not our home

‘Cause what if Your blessings come through raindrops
What if Your healing comes through tears
And what if a thousand sleepless nights
Are what it takes to know You’re near

What if my greatest disappointments
Or the aching of this life
Is the revealing of a greater thirst this world can’t satisfy
And what if trials of this life
The rain, the storms, the hardest nights
Are Your mercies in disguise

苦しみの中におられる方々のために…A CREED FOR THOSE WHO HAVE SUFFERED

苦しみの中におられる方々のために

私は神に強さを求めました。成し遂げるために。
でも私は、弱い者とされました。従うための謙遜を学ぶために。

私は健康を求めました。より偉大なことをするために。
でも私は、病弱を戴いたのです。より良きことができるように。

私は富を求めました。幸せになるために。
でも私は、貧しさを授かりました。賢い者であるように。

私は力を求めました。世の人々の称賛を得るために。
でも私は、弱さを授かりました。絶えず神に寄りすがる必要を覚えるために。

私はあらゆるものを求めました。人生を楽しむために。
でも私は、命を授かったのです。すべてのことを喜び楽しめるように。

私が求めたものは何一つとして与えられませんでした。
けれども、私の願いは、すべて神に聞き届けられたのです。

私は神の意に添わぬ者であるにも拘わらず、
心の中の言い表せない祈りは、すべて叶えられたのです。

私はすべての人の中で、最も豊かに祝福されたのです。

この詩は、青銅の盾に刻まれて、ニューヨーク市イーストリバー沿いの東400丁目、34番街にあるリバビリテーション診療所の待合室の壁にかけられている。作者不明。野町試訳。

僕らは結局、自分の願いが叶えられることを必死で願っているかもしれない。でも神さまは、僕らの願いをはるかに超えた形で、必ず願いを叶えてくださる!

A CREED FOR THOSE WHO HAVE SUFFERED

I asked God for strength, that I might achieve   
I was made weak, that I might learn humbly to obey…

I asked for health, that I might do greater things   
I was given infirmity, that I might do better things…

I asked for riches, that I might be happy   
I was given poverty, that I might be wise…

I asked for power, that I might have the praise of men   
I was given weakness, that I might feel the need of God…

I asked for all things, that I might enjoy life   
I was given life, that I might enjoy all things…

I got nothing that I asked for — but everything I had hoped for
Almost despite myself, my unspoken prayers were answered.  
I am among all men, most richly blessed!
(Author unknown)

This creed is hung on a wall at a waiting room of Institute of Rehabilitation Medicine, 400 East 34th Street NYC

セックスについて考える

テレビ、映画、小説、音楽、スポーツ新聞、マンガ、雑誌などにおいて描かれているセックスのほとんどは、結婚前や結婚外です。

学校の性教育においても、個人の権利と自由が大切にされ、避妊用具を用いたフリーセックスを奨めています。

セックスを拒まないことが愛していることだと考えられています。

かなりの若者が性体験をし、ポルノ、中絶、性病、セクハラがはびこっています。

正しい情報と知識を知り、それを早急に伝えていく必要があります。

性に伴うリスク・危険も伝えるべきでしょう。

聖書に記された、性の祝福と正しい用い方を学ぶ必要があります。

性は三位一体の神の本質があらわされている故に尊いものです。

性的関係を持つことは、相手と一体になることです。

セックスは、知性、感情、意識、肉体、全人格において、夫婦が一体となるための接着剤です。

つきあっている相手と結婚前にセックスし、もしその人と結婚に至らなかった場合、どうなるでしょうか?

そのような場合、女性が深くて重い傷を負ってしまいます。

もし性的関係を持った後にその人と別れ、別の人と関係を持っていくなら、一体になった自分が引き剥がされ、どんどん自分の一部を失っていくことになります。

バラの花のようなあなた。しかし結婚前に性関係を持っていくなら、花びらがどんどん失われて、将来幸せな結婚をすることが難しくなります。

結婚関係以外で性的関係を持つと、自殺率は3倍になると言われます。

うつ病といった心の病になりやすいのもフリーセックスの体験者です。

でも大丈夫。神が赦すことの出来ないほど大きな罪はありません!

あなたがもし、そのままの姿で神のもとに帰るなら、神はあなたに走り寄り、ありのままのあなたを抱きしめてくださいます。

あなたが将来本当に幸せな結婚をし、幸せな家庭を築くことを、誰よりも願っておられる神がおられます。

神はあらゆるマイナスをプラスに変えてくださり、万事を益に変えてくださいます。

聖書は、二人の祝福のために、アブステナンス(ABSTINENCE:結婚まで性的関係を持たない、結婚関係以外で性を用いないということ)と純潔(PURITY)を教えています。

それぞれ置かれている所で、アカウンタビリティグループ(責任を問い、互いに支えあうグループ)が与えられますように。

性的被害者・加害者は、プロのカウンセラーや牧師などに相談し、神による癒しと赦しを体験してください。

Q & A

Q1、付き合ってますが、すでに性的関係を持ってます。今さら拒むと嫌われたり浮気されたりしそうで拒めません。
A1、今我慢できない人は結婚しても我慢できずに浮気します。高価なあなたを安売りしないでください。相手があなたを本当に愛しているなら、結婚までちゃんと待ってくれるはずです。「大切な人だからこそ簡単に手を出したりしない」、「本当に大事な人だから責任とれないことはしない」というのが真実です。

Q2、性的な誘惑に弱くてすぐ負けてしまいます。どうしたらいいですか。
A2、まずは二人きりになれる部屋や場所を避けることを心がけてください。車も二人だけで乗るなら助手席ではなく後部座席に座ってもらうといいです。

続く

いつもの生活って、奇跡でした。

いつもの生活って、奇跡でした。

何気ない日常生活。実はそこには本当の幸せがあり、それは奇跡。
いつもの生活って、奇跡でした。
そしていつもの生活って、今も奇跡です。
6年目の3.11を覚えつつ。
教会員の生老病死に寄り添いつつ。

2016年に教えられたことの一つ

わたしがあなたがたを引いて行ったその町の繁栄を求め、そのために主に祈れ。そこの繁栄は、あなたがたの繁栄になるのだから。エレミヤ29:7

2016年に教えられたことの一つは、その町の繁栄を求めて、そのために祈るということ。教会(その地域に呼び集められたキリスト者一人一人)は地域の祝福のために存在し、派遣されているから。

主イエス・キリストの父なる神さま!どうか杉戸町と宮代町を祝福してください。若者たちが移り住み、この町で子どもたちを育てたいと願うような魅力と希望に溢れた町にしてください。年配の方々が移り住み、地上を旅する人生において、終の住処にしたいと願うような愛と平安(シャローム)に溢れた町にしてください。そのために、私たち杉戸キリスト教会が地域にお仕えすることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

聖書が教える経済的祝福の原則

聖書が教える経済的祝福の原則
ばらまいても、なお富む人があり、
正当な支払いを惜しんでも、かえって乏しくなる者がある。箴言11章24節
おおらかな人は肥え、
人を潤す者は自分も潤される。箴言11章25節
自分の富に拠り頼む者は倒れる。
しかし正しい者は若葉のように芽を出す。箴言11章28節
自分の仕事をなまける者は、滅びをもたらす者の兄弟である。箴言18章9節
だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、
一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。
あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。
マタイ福音書6章24節
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、
これらのものはすべて与えられます。マタイ福音書6章33節
何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。
ヨハネの手紙第一5章14−15節

礼拝メッセージ「新成人バイブル」

礼拝メッセージ「新成人バイブル」(クリックで聴けます)
聖書箇所:出エジプト記2章11ー15節

11 こうして日がたち、モーセがおとなになったとき、彼は同胞のところへ出て行き、その苦役を見た。そのとき、自分の同胞であるひとりのヘブル人を、あるエジプト人が打っているのを見た。12 あたりを見回し、ほかにだれもいないのを見届けると、彼はそのエジプト人を打ち殺し、これを砂の中に隠した。 13 次の日、また外に出てみると、なんと、ふたりのヘブル人が争っているではないか。そこで彼は悪いほうに「なぜ自分の仲間を打つのか」と言った。14 するとその男は、「だれがあなたを私たちのつかさやさばきつかさにしたのか。あなたはエジプト人を殺したように、私も殺そうと言うのか」と言った。そこでモーセは恐れて、きっとあのことが知れたのだと思った。15 パロはこのことを聞いて、モーセを殺そうと捜し求めた。しかし、モーセはパロのところからのがれ、ミデヤンの地に住んだ。彼は井戸のかたわらにすわっていた。出エジプト記2章11−15節

新年礼拝メッセージ「神の祝福を受ける秘訣」

新年礼拝メッセージ「神の祝福を受ける秘訣」(クリックで聴けます)
聖書箇所:出エジプト記1章1ー22節

15 また、エジプトの王は、ヘブル人の助産婦たちに言った。そのひとりの名はシフラ、もうひとりの名はプアであった。16 彼は言った。「ヘブル人の女に分娩させるとき、産み台の上を見て、もしも男の子なら、それを殺さなければならない。女の子なら、生かしておくのだ。」17 しかし、助産婦たちは神を恐れ、エジプトの王が命じたとおりにはせず、男の子を生かしておいた。18 そこで、エジプトの王はその助産婦たちを呼び寄せて言った。「なぜこのようなことをして、男の子を生かしておいたのか。」19 助産婦たちはパロに答えた。「ヘブル人の女はエジプト人の女と違って活力があるので、助産婦が行く前に産んでしまうのです。」20 神はこの助産婦たちによくしてくださった。それで、イスラエルの民はふえ、非常に強くなった。21 助産婦たちは神を恐れたので、神は彼女たちの家を栄えさせた。22 また、パロは自分のすべての民に命じて言った。「生まれた男の子はみな、ナイルに投げ込まなければならない。女の子はみな、生かしておかなければならない。」出エジプト記1章15−22節

セックスの光と陰

セックスの光と陰