礼拝メッセージ「偽証してはならない」

礼拝メッセージ「偽証してはならない」

聖書箇所:出エジプト記20章1-17節

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。出エジプト記20章16節

この国の2007年を象徴する漢字として選ばれたのは、「偽」でした。これまでの「偽」を水に流し、これからも「偽」に生き続けるなら、そのうちに「滅」とか「亡」という漢字が選ばれる年を迎えることになるでしょう。

聖書の中には「アーメン」という言葉が使われています。その意味は、「偽」ではなくて「真」です。
聖書の神は、アーメンなる神、うそ偽りのない真実な神、約束したことを必ず果たしてくださる神です。

アーメンなる神は、「偽」なる者を「愛」し、「愛」をもって「真」を語られます。ですから、もし私たちが自分の「偽」を素直に認め、神の前に「罪」を言い表し、赦しを求めるなら、神はすべての悪から私たちをきよめてくださるという約束があります。

『しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。』ヨハネの手紙第一1:7-9より

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礼拝メッセージ「盗んではならない」

礼拝メッセージ「盗んではならない」

聖書箇所:出エジプト記20章1-17節

盗んではならない。出エジプト記20章15節

収入を得るためには、以下のものが必要不可欠です。

健康:仕事があり、能力もあり、働く意欲があっても、病気や事故等で健康が損なわれると、収入を得ることができません。

仕事:健康で能力があり、働く意欲があっても、雇ってくれる職場がなければ、収入を得ることができません。職場があっても仕事がなければだめです。

能力:健康で、働く意欲があり、仕事が与えられたとしても、仕事をする能力がなければ、収入を得ることはできません。

意欲:健康が与えられ、仕事が与えられ、仕事をする能力があっても、働きたいという意欲がなければ、収入を得ることはできません。

これらすべては、天の神から贈り物です。実に収入を得ることができるのは、この神のおかげなのです。ですから、収入の十分の一を、感謝を込めて天の神に献げないなら、神のものを盗むことになります。

天の神は、『十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。…わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。』(マラキ3:10)と言われます。

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礼拝メッセージ「姦淫してはならない」

礼拝メッセージ「姦淫してはならない」

聖書箇所:出エジプト記20章1-17節

姦淫してはならない。出エジプト記20章14節

姦淫について、主イエスは以下のように言われます。

「『姦淫してはならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。もし、右の目が、あなたをつまずかせるなら、えぐり出して、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに投げ込まれるよりは、よいからです。もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切って、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに落ちるよりは、よいからです。」マタイ福音書5章27-30節

情欲をいだいて女または男を見ることは、すでに姦淫の罪だと主イエスは言われます。自分の欲望を満たすための道具・モノとして人間を見るということは、人格やいのちを踏みにじって奴隷とする、恐ろしい罪です。そのような姦淫の罪は、相手とその家族を不幸に落とし入れ、あなたのからだ全体をゲヘナ、つまり地獄、永遠の滅びに至らせる恐ろしい罪であると、主イエス様は警告しておられます。

主イエスは、姦淫の罪を犯している私たちを救い、神と隣人を愛する自由に生かすために、私たちの身代わりに十字架で死なれました。主イエスは、夕に葬られましたが、三日目の朝に復活されました。

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礼拝メッセージ「殺してはならない」

礼拝メッセージ「殺してはならない」

聖書箇所:出エジプト記20章1-17節

殺してはならない。出エジプト記20章13節

ここに陶器があるとしましょう。もしあなたが、その陶器を造ったのであれば、気に入らなければ壊す権利を、あなたは持っています。けれども、他の人が造った陶器ならば、勝手に壊す権利を、あなたは持っていません。

もしあなたが、他の人の造り主であるなら、その人を殺す権利があるでしょう。しかしすべての人は造り主なる神の作品なので、あなたには、神の作品を勝手に殺す権利などないのです。

聖書は、神を陶器師に、あなたを陶器にたとえています。私たち人間はすべて、陶器師である神の最高傑作です。ですから、あなたは偶然の産物ではありませんし、失敗作でもありません。神はあなたに、いのちと使命を与え、使命が達成された時には地上のいのちを取られるお方です。

人を殺すということは、神の作品を壊すということです。人を殺すということは、神の作品である相手の存在価値、あるいは自分自身の存在価値を認めないということです。それは、傲慢にも自分が造り主の立場、神の立場に立つ越権行為です。

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