キリエ KYRIE 宗教詩集よりクリスマスの歌

キリエ KYRIE 宗教詩集
ヨッヘン・クレッパー 著
富田恵美子・ドロテア 富田裕 訳

キリエ宗教詩集 ヨッヘン・クレッパー//embedr.flickr.com/assets/client-code.js

p46-49より

クリスマスの歌

やめなさい、あなたの罪と弱さの中で
あなたが何者かを見つめるのは。
あなたの弁護のために来られた
御子に目をとめなさい、
見なさい、今日あなたの身に起こることを。
今日救い主があなたを訪れ、
あなたを再び故郷へ導いていく、
鷲のように力強い翼に乗せて。

自ら己のものを奪い去る
罪人である自分の貧しいさまを見つめるのは、やめなさい。
助け主イエス・キリストを見上げなさい。
御子のことばにひたすら依り頼みなさい。
御子の慈しみのほかは何ものも助けをもたらさず、
御子こそがあなたを救うために来られると信じるなら、
いかに大きな罪であれ、あなたは忘れてかまわないのだ。

あなたが信じなくとも、御子は誠実を保ち、
宣べ伝えたことを変わらず守られる。
御子は自ら造られたものとなって
災いの只中にいるあなたを探し出し、
新たに創造する。
御子は自らに背くことはないから、
御子を見なさい、いつまでもあなたの罪を見ていてはならない。
御子は自ら堅く約束した。
御子は探し求め、あなたは見出される。

あなたが誰であれ、もう自分をみつめてはならない。
あなたはあなた自身からすでに解き放たれた。
神自らが来られた、
これを知ること以上に、今あなたに必要なものはない。
御子の名は不思議な助言者、力の君、永遠の平和をもたらす主。
あなたの罪を見つめる眼差しから
御子自らがあなたを解き放たれる。

御子の産着がどんなに粗末でも、
たゆまず望みなさい。
なおも神の子、人の子が
それに包まれているのだから。
ここであなたを解き放とうと、御子は待ち焦がれている。
御子の耳に届く叫びがいかに底知れぬ罪のものであっても、
御子はそれをもう帳消しにされた。
嘆くのは、やめなさい。むしろ讃えなさい。

就職&仕事のための老婆心

就職&仕事のための老婆心

1、ツイッターやフェイスブックといったSNSやネットを利用する際には、投稿する内容に注意する。

情報社会ですから、入社試験の面接担当などは、入社を希望して面接に来る人のことを知るために、その人の投稿内容などを参考にすることが多いからです。

そしてこれは入社してからも要注意です。SNSやネットは基本的に不特定多数への情報発信ですから、不適切な投稿が発覚すると、せっかくの仕事を辞めなければいけないことにもなりかねません。

あなたの才能や持ち味がいちばん活かせる職場に、1日も早く就職できますように。

2、いきなり正社員を目指すのではなく、まずはアルバイトでも派遣でもさせていただく。

この不況の時代に、会社も余裕がほとんどありません。ですから最初から正社員を目指しての就職活動は無謀です。でも、雇ってもらった所で、信頼されて任された仕事を誠実に一つずつ成し遂げていくなら、近い将来きっと正社員にしてもらえることでしょう。小さなことに忠実であれば、やがて大きな仕事も委ねられることでしょう。

3、今与えられている人間関係を大切にする。

家族や友人、先輩や同僚や後輩との関係を大切にしましょう。特に耳の痛いことを言ってくれる人との関係を大切にしましょう。本当に愛してくれている人は、たとえその時その人が傷ついたとしても、あえて語ります。そして家族のありがたさを本当に理解するためには、逆説的ですが親元を離れて寮やアパートなどに住むことも必要です。親から経済的にも精神的にも自立する。その時、本当の意味で与えられている人間関係を大切にすることができるでしょう。

4、心を尽くして主なる神に拠り頼む。自分の悟りに頼らない

 これはとても信仰的かつ霊的なことです。この世的には「己こそ己の寄る辺」、「頼れるのは自分しかいない」、「神に頼るなんて弱い人間のすること」となります。ですからこの世的には、「心を尽くして自分に拠り頼み、自分の悟りに頼る」ということになります。けれども、自分の弱さや限界や無力さを少しでも覚えるならば、その時こそ素直に、「自分は頼りにならない」「私は神に頼らないと生きていけない弱い人間だ」と認めて、苦しい時こそ神頼みをするのです。しかしそこで問題になるのは、どの神を頼りとするのかということです。鼻で息をする人間が勝手に作ったり祭り上げた神々を頼りとしても、救われません。天地万物を創造し、あなたをデザインされた神、あなたを造られたメーカーである神、聖書で「主」と呼ばれている神を頼りとすることが大切です。主なる神にとって、力のある者を助けることも力のない者を助けることも同じです。主なる神にとって能力のある者を助けることも能力のない者を助けることも同じです。主なる神は、助けを求める者を豊かに力強く助け、就職への道を切り開き、そしてその仕事を続けていける力を与えてくださいます。その時あなたは、劣等感と優越感の間から解放され、自由に生きることができます。

父となる旅路 聖書の失敗例に学ぶ子育て

父となる旅路 聖書の失敗例に学ぶ子育て//embedr.flickr.com/assets/client-code.js

「主は愛する者を懲らしめる」とあるように、父の真実な愛は子どもの幸せを願い、「懲らしめ」を与える。懲らしめを与えることには精神的苦痛が伴う。懲らしめを与える者は愛されず、憎まれる。懲らしめを与えることで、築いてきた関係が一時的に損なわれることがある。しかし、父の愛は子どもの将来を見据えている。今、子どもに喜ばれることよりも、将来、いつの日にか感謝されることを選び取る。父なる神の愛が、その模範である。神が私たちの人生に試練を許されるのも、同じ愛からである。p48

熊本大地震と中央構造線

1日も早く揺れが収まりますように。避難している方々や孤立している方々に必要なライフラインが届きますように。

現在本震とされた地震の震度分布図をよく見てほしい。ほぼ中央構造線と呼ばれる日本列島を縦断する大断層に沿って、揺れが伝わっているのがよくわかる。

310081_00000_0000_yhrg99g-4-20160416012510//embedr.flickr.com/assets/client-code.js

Tectonic_map_of_southwest_Japan//embedr.flickr.com/assets/client-code.js

幸せはあなたの心が決める 渡辺和子

幸せはあなたの心が決める 渡辺和子//embedr.flickr.com/assets/client-code.js

目次より

第1章 人は不完全なもの
人は不完全なもの
人を許せば自分も救われる
人と人とのあいだを美しくみよう
意地悪く批判しない
真の愛にはきびしさがある
聞きたくない意見にたいせつなヒントがある
依頼心を捨てた時に力が生まれる
幸・不幸は、自分に由る
社会に歩みだすあなたへ

第2章 求めたものが与えられなくても
挫折のすすめ
失ったものではなく得たものに目を向けて生きよう
「あなたは何さまなの?」
人間には問題をどうとらえるかを選ぶ自由がある
不条理を受け入れる
人生は思い通りにならないのが当たり前

第3章 自分を見捨てない
相手をより自由にするのが本当の愛
受け入れがたい自分を受け入れる
劣等感のかたまり
自分の花を咲かせなさい
愛する力を育てるために

第4章 輝いて生きる秘訣
大学とは何をするところ?
雑用に祈りをこめて
自分を美しくきたえる
「美しさ」を保つ秘訣

第5章 愛ある人になる
「させていただく」
お金で買えないもの
人間関係の秘訣
あなたの近くにも「カルカッタ」はある
我以外、皆師なり

4月の絵画

4月の絵画//embedr.flickr.com/assets/client-code.js

関東の春

菜の花ツーリング//embedr.flickr.com/assets/client-code.js

神の国の証人ブルームハルト父子 待ちつつ急ぎつつ

神の国の証人ブルームハルト父子 待ちつつ急ぎつつ//embedr.flickr.com/assets/client-code.js

それが、そのような困難は承知の上で、やはり書かずにいられない気持ちになったことには、日本のキリスト教会の現状についてのーことに一九六九年以降の日本基督教団の現状についての、私自身の認識が関係している。今そのことについて、ここに詳しく述べることはできない。ただ一言で言えば、私には、今日の日本の教会にもっとも欠けているもの、そして日本の教会が(自覚的ではないにしても)今日もっとも必要としているものは、ブルームハルト的なものだと、思われてならない。ブルームハルト父子におけるような「活ける神」への立ち返りと素朴な信仰のリアリティの快復なしには、日本の教会の新しい出発はないと思われてならない。(あとがきより)

「イエスの出現によって、単に心情の問題が提出されたのではなくて、力の問題が提出された。」と言っている。これは重要な指摘である。ブルームハルトが、この出来事を通して、聖書が証しする事柄を、そしてわれわれの救いの問題を、単に心情の問題としてではなく、力の問題として捉え、「戦い」の問題として捉えたということ。これがブルームハルト父子を敬虔主義から区別する中心的なものであると共に、彼らがカール・バルトらに教えたもっとも重要なものの一つであり、今日のわれわれが自分自身の信仰の問題としてもっとも緊急に聞かなければならない事柄だと、私は思う。ド・ヴァレンティ博士に対する「弁明書」の中で語っているように、彼がゴットリービンの悲惨の中に見たものは、今も力を振るっている闇の力の支配のもとにある人間の姿であった。そのような事実に直面して、彼が覚えたのは、「憤怒」であった。彼が子どものころから聖書で読んだように、神が主イエスにおいてすでに勝利し給うたということがもし事実であれば、このような人間の悲惨に対して、どうして神の力の介入がないはずがあろうか。そのような焦燥が彼を捉えた。その場合、彼は、神の力の介入を、史的イエスの時代や使徒たちに限定することに堪えられなかった。主イエスの高挙の後の時代の有様が、それ以前と同じであって良いはずはないのであった。したがって、彼の問題は、主イエスの支配か、それとも彼に逆らう者の支配か、というまさに「力の問題」であった。p78-79

凍 沢木耕太郎

凍 沢木耕太郎著

凍 沢木耕太郎//embedr.flickr.com/assets/client-code.js

この本の解説を池澤夏樹氏が「最も自由なクライマー」と題して書いているが、核心部分を少し引用する。

彼らが確保している自由の中で大事なのは名声からの自由である。つまり名声を求めないこと。そういうものに振り回されないこと。(日本人の自由観には「何々からの自由」というのがない。みんな自由とは何かしたいことを邪魔されずにできることだと思っているが、しかし、したくないことをしない自由もあるのだ。例えば、徴兵制は人を殺さない自由を奪う。)

キリスト者であっても、なかなか「名声からの自由」に生きることは難しいと思う。だからこそ、この本を読む必要を私は感じる。