教会の最高の仕事は、世界の宣教である

教会の最高の仕事は、世界の宣教である。by オズワルド・J・スミス

地の果てにまで 海外宣教のチャレンジ

教会は全地に 国外宣教50周年記念誌

編集後記1

特別寄稿文までの最初の部分を、編集後記としてまとめてみたいと思います。

時期尚早と思われても熱い祈りが積まれ、世界宣教に果敢にチャレンジし続けた50年。宣教された経験を生かして、日本とアジアと世界に仕えることを試みた日本同盟基督教団の歴史。

最初の15年は「準備と派遣」、次の10年は「継続と発展」、その後の15年は「成熟と調整」、そして最近の10年は「新たな挑戦」の時です。戦争の70年があり、戦争放棄の70年がありました。今は「人・もの・情報」の世界的大移動がもたらすグローバル化と多元化が急激に起こっています。次の半世紀を見据えた新たな挑戦の時です。

20年後に迎える国外宣教70周年に向けて、アジア全域に宣教師を派遣することをビジョンとして掲げています。日本国内にいる外国人や国外にいる日本人がますます増え続けています。毎年1600名以上を数える海外で主イエスに出会った帰国者のフォローも急務です。国内と国外。実はそんなふうに考えることが改めて問われています。置かれている場所がエルサレムであり、そこにおいても世界宣教が可能であり、そこから世界を宣教区として、地の果てを目指します。

教師と信徒。それぞれに日本人もいますが国籍や文化の違う人たちもいます。多様化は今後ますます進むと思われます。正教師を中心とした教職宣教師と信徒宣教師、長期と短期、技術宣教師、医療宣教師、委託派遣などなど。特に各教会から海外に遣わされる信徒の一人一人が、これからの宣教の鍵を握っていると思われます。

各教会において、各宣教区において、各大会において、共に主イエス・キリストの御声に聞く祈りから始めることができたなら、「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって」と仰せられる主が、私たち日本同盟基督教団をこれまで以上に豊かに用いてくださり、様々な教団や宣教団体との宣教協力の中で、世界宣教を成し遂げてくださると私は堅く信じています。

前国外宣教委員 野町真理(杉戸キリスト教会牧師)

立体的福音宣教について

立体的福音宣教について

私たち日本同盟基督教団は、国内宣教、国外宣教、そして次世代育成の青年宣教を三本柱にしています。現在私は国外宣教委員会から伝道部(国内宣教)に移り、宣教区長も他の先生にしていただいております。

けれども、廣瀬薫理事長が教団誌「世の光」の2019年5月号に書かれている「立体的な宣教」とは、やはり「国内宣教だけに限定されない世界宣教」だと覚えます。

海外在住の邦人宣教、国内在住の外国人宣教、さらには海外で信仰に導かれた後に日本に帰国されるリターニーのフォローアップ。実に聖書が語る「立体的な宣教」とは、それらが互いにリンクしあった、立体的、統合的、多角的な宣教協力ではないでしょうか。さらには、国内宣教においても、諸外国から派遣される宣教師との宣教協力が立体的な宣教をもたらします。

アメリカから次々に遣わされ日本国内で実践的訓練を受けている次世代のTEAM宣教師たち。韓国を中心としたアジアからの多くの宣教師たち。そのような宣教師たちとの宣教協力がさらに豊かにされる。そのような「立体的な宣教」によって、日本とアジアと世界に仕える世界宣教が成し遂げられていくことを夢見ています。

YOUTH MISSION TRIP TAIWAN 2013 (PRAISE VERSION)

MISSION TRIP TAIWAN「When Love comes to the town 愛が町に来た時」

MISSION TRIP TAIWAN「When Love comes to the town(愛が町に来た時)」

聖書箇所:ルカ福音書19章1-10節

看哪!我站在門外敲門;如果有人聽見我的聲音就開門的,我要進到他那裡去,我要跟他在一起,他也要跟我在一起吃飯。

「お金があれば何でも出来る」、「もっとお金があれば幸せになれる」。 そんなことを私たちは考えてしまうのではないでしょうか? けれども、よく考えてみると、世の中にはお金で買えないものがたくさんあることがわかります。本当の友達、本当に自分を愛してくれる人、本当に自分のことを大切にしてくれる人、健康、平安、安眠などなど…。実は本当に大切なものは、お金では買えないのです。 聖書の中にザアカイという名前の人が登場します。ザアカイは取税人のかしらで金持ちでしたが、孤独の中をひとりぼっちで生きていました。

キセル、わいろ、恐喝、詐欺。現代に生かされている私たちも、お金に関わる事件を毎日のように耳にします。また、保険金目当ての殺人なども起こっています。お金のために、人を裏切り、だまし、殺すという罪にまみれた生き方をしている人が、やはり多いように感じます。「金の切れ目が縁の切れ目」という言葉もありますが、お金目当てで利用し、利用されるだけの付き合いも多くあります。本当の友、本当に自分を受け入れてくれる人、本当に自分を愛してくれる人がいない殺伐とした中で、今も多くの人が、お金のために不幸な人生を歩んでいます。あなたはどうでしょうか?お金持ちでもそうでなくても、本当の幸せに生きる道があることをご存知でしょうか?

イエス・キリストは、あのエリコの町のザアカイの所に来て下さったように、あなたの住んでおられる町、あなたの家にも来てくださるお方です。イエス様は、あなたを捜して救うために、あなたの所に足を運んでくださるお方なのです。 なぜなら、イエス様はあなたを愛しておられるからです。いのちをかけても惜しくないというあなたへの愛を、イエス様はあの十字架の上で最高に表わしてくださいました。イエス様は私たちの罪のために、十字架でいのちを投げ出してくださいましたが、3日目に復活されて、今も生きておられるお方です。

「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」と、イエス様はおっしゃいました。人の子とはイエス様がご自分のことを指してよく使われた言葉です。天地万物を創造されたまことの神であるイエス様は、私たちの造り主です。そして私たち人間は、この造り主なる神様に背を向けて罪の道を歩み続けています。けれどもその造り主なる神、イエス様は、失われた人を捜して救うために、肉体を持った人間となって、あなたの所に来て下さったのです。イエス様がこの世に来て下さった理由は、失われたあなたを捜して救うためだったのです。

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Mission Trip TAIWAN

ミッショントリップ台湾 Mission Trip Taiwan

祈りによって台湾に派遣され、祈りによって日本に無事帰還することができました。感謝します。

今回の旅は、北部、中部、南部の3チームに分かれて各地域の教会を訪問し、奉仕と交わりの時が与えられました。主日にそれぞれの地域教会で共に主を礼拝することができたのが最高の喜びでした。

私は中部チームとして台中を訪問し、齋藤宣教師ご家族と親しいお交わりの時が与えられました。北台中教会、ワイプ教会、愛家(アイジャ)教会を訪問することができました。

木曜:夕方に台北YMCAに到着、夕食後、顔合わせとチームごとのミーティング。

金曜:朝に車で台中に向かいました。途中新幹線が横を走り抜けていきました。昼は鹿港(ルーガン)を訪れ、夜に北台中教会を訪問しました。鹿港では古いお寺を訪れました。台湾人は非常に宗教心が厚く、真剣に拝んでいる姿が印象的でした。その後古い町並みを食べ歩き、鹿港民俗文物館を見学しました。民俗文物館は台湾の名門のお屋敷で、この世の栄華を極めたような装飾や骨董品などが印象的でした。てんそく用の小さな靴も展示されており、男尊女卑の旧習を覚えました。

土曜:午前はワイプ教会を訪れ、伝道集会で奉仕しました。お金持ちであったけれども幸せでなかったザアカイを訪ねたイエス様のお話をしたのですが、日本以上に拝金主義だということで、メッセージが集まった人たちの必要にマッチしていたようです。午後にキャンプ場見学、休憩、夕食の後、夜は愛家教会の青年集会に集うことができました。祈りと賛美に溢れた元気な集会でした。クリス・トムリンの曲などを熱く賛美してました。日本の地図をホワイトボードにササッと書いて、日本のために祈っている青年たちに感動しました。

日曜:愛家教会の礼拝式に参加。賛美と祈りの中で、天に突き抜けるような聖霊の感動を覚えることのできた素晴らしい礼拝でした。愛餐会の後、荷物をピックアップして台北に向かいました。台北では夕食を食べながらそれぞれのチームの報告と分かち合いがなされ、数え切れない恵みを少しだけ数えました。台湾人は日本人に対してとても親切で、終始暖かいもてなしを受けることができました。

台中は南北へと向かう交通の要所であり、かつおいしい果物が豊富なので、本当にエリコのような町だなと感じました。台湾バナナ、ドラゴンフルーツ(火龍果)、スターフルーツ(楊桃)、スイカ、パイナップル、オレンジ、柿、蓮霧(リエンウー)などなど、ほんとにおいしかったです。謝謝!

また、台湾の教会も、日本の教会と同じように、様々な痛みや苦しみを味わっていることを覚えることができました。ですから、1コリント 10:13 のみことば、『あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。 』が心に浮かんできました。