LOVE SUGITO 新年聖会のご案内 2022-01-10

LOVE SUGITO 新年聖会のご案内 2022-01-10

日本同盟基督教団 宣教130周年記念宣言

日本同盟基督教団 宣教130周年記念宣言

《はじめに》
 私たち日本同盟基督教団に連なる教会、教職、信徒一同は、宣教130周年を迎える今日この時、父・子・聖霊なる神を賛美し、主イエスの再臨と神の国の完成を待ち望み、新たな献身の思いをもってここに宣言します。

《私たちのこれまで》
 私たち日本同盟基督教団の歩みは、1891年11月22日、北米スカンヂナビアン・アライアンス・ミッションから遣わされた15名の宣教師たちの横浜上陸に始まります。私たちに福音を託し、宣教の使命に召し、その召しに応える志と情熱を与え、一つの心で取り組むようにしてくださった主に感謝します。
 私たちは「過去の戦争協力と偶像礼拝の罪を悔い改め、世の終わりまでキリストへの信仰を堅持する」 者として、神の御前に自らの罪責を悔い改めます。
 私たちは教団存立の目的を「『聖書信仰、宣教協力、合議制』における一致のもと、聖霊の力によりキリストの宣教命令に応えて、神の栄光を現すことにある」と言い表し、「犠牲を惜しまず、積極的な開拓伝道と堅実な教会形成による国内宣教および『日本とアジアと世界』を視野に入れた国外宣教を推進して、地の果てまで福音を宣べ伝える」 わざに励み続け、今日に至っています。
 今なお宣教の使命を果たしきれていないことを率直に認め、それにもかかわらず主が私たちを用いて救いのわざをなし、多くの実を結ばせてくださったことを感謝します。

《私たちのいま》
 神が愛をもって造られたこの被造世界は、罪と悲惨の中にあってうめき、傷ついています。神のかたちに創造された人間は、罪ゆえに神のかたちをそこない、隣人を愛し、世界を正しく治めることができなくなりました。こうして、世界のあちらこちらに隔ての壁がそびえ立ち、断絶が広がり、あらゆる領域で対立、分断、格差があらわになっています。
 2011年3月11日に起こった東日本大震災とその後の各地の災害は、この時代に対する私たちの宣教と奉仕のあり方を見つめ直す機会となりました。2019年から2020年にかけての天皇代替わりは、この国でイエス・キリストのみを主と告白する信仰が問われる機会となりました。そして今、新型コロナウイルス感染症の世界的蔓延の渦中にあって、私たちは自らの生き方、教会のあり方を問われ、教会の改革へと促されています。
 この現実のただ中で、私たちはこの世界を愛される主を見つめ、主の眼差しに促されてこの世界を見つめます。羊飼いのいない羊のように弱り果てている羊たちの声に耳を澄まし、迷い出た羊を捜し出してくださる主の御声に耳を澄まします。

《私たちのこれから》
 宣教130周年を迎えた今日、私たちはまことの王なるイエス・キリストに従い、この方以外のものに決して膝をかがめず、この方のみを主と告白し、礼拝します。
 私たちは、「立ちなさい。さあ、ここから行くのです」 との主の呼びかけに応え、「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます」 との約束の成就である聖霊に押し出され、主イエス・キリストの十字架と復活を宣べ伝えます。
 私たちは、一人でも多くの人をキリストに導くために、様々な手段を用い、あらゆる機会を捉え、教職、信徒が一つとなって福音宣教に励みます。
 私たちは、従来の「国内宣教・国外宣教」の枠を越えて、民族、言語、世代、職業、社会のあらゆる領域の人々を悔い改めへと促し、キリストのもとに立ち返るよう招きます。
 私たちは、あらゆる世代のいのちを愛し、その存在を尊び、若者や子どもたちと共に成長します。
 私たちは、生活を通して福音をあかしし、言葉と愛のわざによって神の国の価値観を現し、地域の人々の隣人となって仕えます。
 私たちは、暴力と抑圧にさいなまれている地に正義と平和が打ち立てられるようにとりなし祈ります。
 私たちは、この世界の良き管理者としての責任を自覚し、主から委ねられたこの世界を正しく治めて、隣人と共に生きることを志します。
 私たちは、神の祝福をこの世界にもたらすために召された神の子ども、御国の民として、キリストのからだなる教会を建て上げ、世の光、地の塩として遣わされます。
 私たちは、今が「終わりの時」であることを知る者として、再び来られる主を待ち望みます。
主よ、来てください。

《私たちの祈り》
「立ちなさい。さあ、ここから行くのです」と言われる主よ。
私たちはあなたを愛します。
あなたが愛された人々を愛します。
あなたが愛された世界を愛します。
私たちは今日、あなたに自らをお献げします。
私たちを今日、ここから新しく遣わしてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。
アーメン。

2021年9月23日
日本同盟基督教団 教職・信徒一同

LOVE SUGITO RADIO 2020-06-16 新しい生活様式

LOVE SUGITO RADIOは、杉戸キリスト教会の「のまちゃん牧師」によるラジオです。杉戸町に関すること、聖書に関すること等について話しています。杉戸町と宮代町を愛するラジオです。34回目の配信。宮代町のホームページと聖書から、新しい生活様式について語りました。

LOVE SUGITO RADIO 2020-05-12 姿を変えた神のあわれみ

LOVE SUGITO RADIOは、杉戸キリスト教会の「のまちゃん牧師」によるラジオです。杉戸町に関すること、聖書に関すること等について話しています。杉戸町と宮代町を愛するラジオです。24回目の配信。ローラ・ストーリーさんの曲blessingsの紹介。聖書のメッセージは創世記6章後半から「ノアの箱舟」について。のまちゃん牧師のブログ記事はこちらhttp://gospel.sakura.ne.jp/weblog/2020/02/04/laura-storyさんの歌blessingsの意訳/

今は伝道できないという人がいる。私はそうは思わない。

今は伝道できないという人がいる。私はそうは思わない。

今こそ、キリスト者一人一人が、この困難な状況をどう受け止め、どう祈り、どう信じ、何が見たくて、何のために、どう預けられた人生を生きているかが問われ、世の人々から注目されている。

苦悩しながらも、変わらない聖書の中から、今この時に私たちに語りかけておられる神の言葉を聞き取り、預かり、それを主とともに語っていく。

この困難の向こう、ポストコロナの時代に、日本とアジアと世界において、やがて星の数の人々が、共に天を見上げ、兄弟姉妹として一緒に神を礼拝し賛美する時が必ず来ると信じながら。

今こそ、私たちが招かれた信仰の道を伝える絶好の機会だと私は考えている。

さあ天を見上げなさい

見よ、世の罪を取り除く神の小羊 オンライン礼拝2020-04-26

動画(YouTube)によるオンライン礼拝はこちらです。

音声(LOVE SUGITO RADIO)によるオンライン礼拝はこちらです。

式次第は以下の通りです。

2020年 4月26日 第4主日オンライン礼拝式
前   奏
賛   美  讃美歌461 主われを愛す

使徒信条
 われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
 われはそのひとり子、われらの主、
 イエス・キリストを信ず。
 主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより
 生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
 十字架につけられ、死にて葬られ、よみにくだり、
 三日目に死人の内よりよみがえり、天にのぼり、
 全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより
 来たりて生ける者と死ねる者とを裁きたまわん。
 われは聖霊を信ず。聖なる公同の教会、
 聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、
 とこしえの命を信ず。アーメン

主の祈り(マタイ福音書6章、ルカ福音書11章参照)
 天にましますわれらの父よ。
 願わくは御名をあがめさせたまえ。
 御国をきたらせたまえ。
 みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
 われらの日用の糧を、今日も与えたまえ。
 われらに罪を犯す者を、われらが赦すごとく、
 われらの罪をも赦したまえ。
 われらを試みにあわせず、
 悪より救いいだしたまえ。
 国と力と栄えとは、
 限りなくなんじのものなればなり。アーメン

祈   り  
賛   美  讃美歌271 いさおなき我を
聖   書  ヨハネ福音書1章19−34節
メッセージ 「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」
賛   美  讃美歌164 こひつじをば
献   金  感謝と献身の告白として
 (郵便振替 00110-3-177729 杉戸キリスト教会)
祈   り  
頌   栄  讃美歌542 世をこぞりて
祝   祷  
後   奏  主に栄光あれ
報   告  その他

メッセージアウトラインは以下の通りです。

見よ、世の罪を取り除く神の小羊(メッセージアウトライン)
2020年 4月26日 第4主日オンライン礼拝式 杉戸キリスト教会から
聖書:ヨハネの福音書1章19−34節
結論:神のかたちであられる主イエスは、世の罪を取り除く神の小羊として、
あなたの身代わりに死なれた。
導入:神のかたちそのものであるイエス・キリストの姿
   ①十字架に向かわれた神のしもべ(目的概念)
   ②世の罪を取り除く神の小羊(関係概念)
   ③第二のアダム(実体概念)

起:私は『主の道をまっすぐにせよ、と荒野で叫ぶ者の声』です。(19ー23節)
19 さて、ヨハネの証しはこうである。ユダヤ人たちが、祭司たちとレビ人たちをエルサレムから遣わして、「あなたはどなたですか」と尋ねたとき、 20 ヨハネはためらうことなく告白し、「私はキリストではありません」と明言した。 21 彼らはヨハネに尋ねた。「それでは、何者なのですか。あなたはエリヤですか。」ヨハネは「違います」と言った。「では、あの預言者ですか。」ヨハネは「違います」と答えた。 22 それで、彼らはヨハネに言った。「あなたはだれですか。私たちを遣わした人たちに返事を伝えたいのですが、あなたは自分を何だと言われるのですか。」 23 ヨハネは言った。「私は、預言者イザヤが言った、『主の道をまっすぐにせよ、と荒野で叫ぶ者の声』です。」

承:その方は私の後に来られる方で、私にはその方の履き物のひもを解く値打ちもありません。(24ー27節)
24 彼らは、パリサイ人から遣わされて来ていた。 25 彼らはヨハネに尋ねた。「キリストでもなく、エリヤでもなく、あの預言者でもないなら、なぜ、あなたはバプテスマを授けているのですか。」 26 ヨハネは彼らに答えた。「私は水でバプテスマを授けていますが、あなたがたの中に、あなたがたの知らない方が立っておられます。 27 その方は私の後に来られる方で、私にはその方の履き物のひもを解く値打ちもありません。」

転:ヨハネは自分の方にイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の子羊。(28ー31節)
28 このことがあったのは、ヨルダンの川向こうのベタニアであった。ヨハネはそこでバプテスマを授けていたのである。 29 その翌日、ヨハネは自分の方にイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の子羊。 30 『私の後に一人の人が来られます。その方は私にまさる方です。私より先におられたからです』と私が言ったのは、この方のことです。 31 私自身もこの方を知りませんでした。しかし、私が来て水でバプテスマを授けているのは、この方がイスラエルに明らかにされるためです。」

結:私はそれを見ました。それで、この方が神の子であると証しをしているのです。(32ー34節)
32 そして、ヨハネはこのように証しした。「御霊が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを私は見ました。 33 私自身もこの方を知りませんでした。しかし、水でバプテスマを授けるようにと私を遣わした方が、私に言われました。『御霊が、ある人の上に降って、その上にとどまるのをあなたが見たら、その人こそ、聖霊によってバプテスマを授ける者である。』 34 私はそれを見ました。それで、この方が神の子であると証しをしているのです。」

結論:神のかたちであられる主イエスは、世の罪を取り除く神の小羊として、あなたの身代わりに死なれた。

ドイツの画家、マティアス・グリューネバルトが描いたイーゼンハイム祭壇画。その中心には、十字架に磔にされているイエス様の姿が描かれています。非常に生々しく、そしてリアルに、十字架で処刑されるということ、十字架の上で死ぬということの恐ろしさが描かれています。

暗く塗られた背景に、十字架の主イエスが浮かび上がっています。太い釘が両手を刺し貫いて打ち込まれた十字架の横木は、イエス様の体重によって大きく曲がっています。全身鞭打たれ、傷だらけの皮膚。よく見ると、身体中に刺のようなものが刺さっています。槍で刺された脇腹。イエス様のお体は裂かれ、釘で刺し貫かれた足元に、血が流れ落ちています。左右に広げられた両腕、その先の両手の指は引きつっています。すでに命が絶たれているのでしょう。茨の冠が被せられた頭を、垂れておられるイエス様の姿。

十字架で死なれたイエス様の左側には、気を失って後ろに倒れかけている白装束の女性がいます。イエス様の母マリアです。そしてその卒倒しているマリアを、しっかりと抱き抱えている使徒ヨハネ。十字架の下にひざまづき、組んだ手を高く上げ、嘆いているマグダラのマリアの姿もあります。

十字架に磔にされて死なれたイエス様の横に、イエス様を指差しているバプテスマのヨハネが描かれている。その指の所には、「あの方は栄え、私は衰えねばなららない」と、バプテスマのヨハネの言葉が書かれています。

そしてバプテスマのヨハネの足元、十字架のイエス様とバプテスマのヨハネの間には、小羊がいけにえとして屠られています。屠られた小羊は十字架を抱えていて、小羊の血が、下に置かれた杯に流れ落ちています。

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適用:自分では自分の罪を取り除くことができません。ですから、「あなたの罪を取り除く神の小羊」であられる主イエス・キリストを、ぜひ見てください!そして、あなたも主イエス・キリストを信じ受け入れてください。イエス様があなたの罪を取り除いてくださいます。

主日礼拝(日曜礼拝)に関するお知らせ

礼拝のご案内

主日礼拝(日曜礼拝)に関するお知らせ

愛する皆様へ

いつもありがとうございます。杉戸キリスト教会牧師の野町です。

新型コロナウイルス感染症の広がりの中、これまで様々なことを配慮し、主日礼拝だけは集まり続けたいと願い、日々祈って参りました。けれども、私を含めて、共に集うことへの不安や恐れを覚えておられる方々が増えていることを深慮し、4月12日からしばらく、主日礼拝のために集まることを控えることにいたしました。

教会のホームページにて、日曜午前10時半から動画と音声で礼拝メッセージを配信致します。それぞれ生活の場において、礼拝を捧げてください。なお、祈祷会などは、有志でと考えています。献金は、郵便振替をご利用ください(00110-3-177729 杉戸キリスト教会)。

キリスト教会にとって、集まること、一緒に礼拝すること、一緒に祈り賛美すること、一緒に食事することは、教会そのものです。コロナウイルスの脅威が取り除かれ、再び皆様と、喜びのうちに共に集うことができる日が、1日も早く来ますようにと切に祈りつつ。

2020年 4月17日
野町 真理

なぜ杉戸キリスト教会は、2020年4月12日から、集まる礼拝を一時的に止めたのか?

理由1、弱さを覚えている隣人を、自分にしてもらいたいように愛するため
この状況で集まる礼拝を続け、そこに大切な未信者の方々を喜んでお招きできるのか?
無自覚・無症状の人が感染を広げる怖さ、自分自身が保菌者である可能性が高い怖さ
礼拝出席者に高齢者や持病持ちの方が多い怖さ
教会員の背後におられる家族、学校、職場(高齢者施設等含む)、地域の方々のために
信仰の強い人が信仰の弱い人を裁く怖さ
(3度主を裏切る前のペテロと主のとりなし。ルカ福音書22章31ー34節参照)

理由2、教会の礼拝式が集団感染の場(クラスター)にならないため
もし教会がクラスターになったら、福音宣教の前進になるのか?
無理心中や集団自殺をするカルト集団と見られる可能性は?
集まる礼拝を持つと、社会的距離(ソーシャル・ディスタンス)を保つことが困難
(近距離でマスクなしの長時間会話などを避けるのは、現実的には非常に難しい)
マスクやアルコール消毒液が入手困難な状況が続いている。受付の消毒液は残りわずか
短距離走ではなくマラソンに例えられる長期戦

★プロセス:時間をかけて祈りつつ、段階的に役員会で決めたこと。
 3月 1日(日)役員会で以下のことを決定し、役員会報告に掲載。
「教会で感染者が出た時、杉戸宮代で感染者が出た時や、他に礼拝中止などの措置が必要と認めた場合は、牧師が幾人かと相談の上、指示を連絡網で知らせる。緊急時は牧師に一任。」
 3月22日(日)臨時役員会でも上記のことを再度確認し、役員会報告に再度掲載。
 3月29日(日)及び4月5日(日)は以下のアナウンスを事前に連絡網で回して礼拝を行う。
  礼拝に参加される方へ 新型コロナウイルス感染症を覚えて
 4月 5日(日)役員会で審議し、杉戸、宮代で発生したらオンライン礼拝礼拝も考える。
 4月 7日(火)夜に埼玉県にも緊急事態宣言が出される。5月6日までの予定。
 4月 8日(水)役員全員に打診する。
 4月 9日(木)朝に全員から了承の返事をいただく。午前に教会ホームページに掲載し、教会員や来会者に連絡網を回す。夜に杉戸町から2名の感染者、幸手市から1名の感染者が出たことを知る。
 4月12日(日)最初のオンライン礼拝を行う。当日朝に収録した動画と音声を通常の礼拝時間の午前10時半にホームページで配信する。

新型コロナウイルス感染症に関する資料2020

日本同盟基督教団・第71回教団総会2020-03-17

日本同盟基督教団・第71回教団総会2020-03-17

閉塞感からの脱却 日本宣教神学 山口勝政

それゆえ神は神の国の不思議な業をなすためにあえて地方の弱小教会を選ばれたのである。p44

地方伝道は霊性の集約である。いわば霊性のテストでもあるのだ。p50

閉塞感からの脱却 日本宣教神学 山口勝政

墓掘り人の手記 by オズ・ギネスより

Grave Digger’s File(墓掘り人の記録)

80年代初頭、我々の時代でもっとも知的なクリスチャン作家のオズ・ギネスが、C・S・ルイスの『悪魔の手紙』をふまえた『Grave Digger’s File(墓掘り人の記録)』という本を書いたが、教会を内側から壊滅させるための戦略を上級の悪魔が語るというその内容は、U2について考える上でも参考になりそうだ。この本のなかで最も強力な作戦として挙げられているのは、教会を「内部の者には魅力的でも、外部とは切り離された世界にする」ということだった。

#墓掘り人の手記(by オズ・ギネス)より
##作戦4 教会をプライベート動物園化する
###所見:これはキリスト教会の福音宣教に対する最も効果的な迎撃方法だと思われる。
###作戦内容:教会(一人一人のキリスト者)を完全にパブリックから切り離し、孤立したプライベート空間に留まらせ、全世界の祝福の基としての使命を放棄させる。
###プライベートとバブリックの断絶化・断片化
教会と世界、キリスト者と社会、個人生活と公同生活の間にグランドキャニオンのような深い谷間を!
家族の縮小化 最小単位の核家族へ
家族の個人主義 社会貢献よりも個人の人生の充実を追い求める
家族の非生産化 熱望よりもただなんとなく過ごし、生産よりも消費志向
今最もモダンな人々は、リアルな自分でいれる孤島としてのプライベート空間を体験している?リアルな世界に生活していないリアルな自分?
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