日本同盟基督教団 宣教130周年記念宣言

日本同盟基督教団 宣教130周年記念宣言

《はじめに》
 私たち日本同盟基督教団に連なる教会、教職、信徒一同は、宣教130周年を迎える今日この時、父・子・聖霊なる神を賛美し、主イエスの再臨と神の国の完成を待ち望み、新たな献身の思いをもってここに宣言します。

《私たちのこれまで》
 私たち日本同盟基督教団の歩みは、1891年11月22日、北米スカンヂナビアン・アライアンス・ミッションから遣わされた15名の宣教師たちの横浜上陸に始まります。私たちに福音を託し、宣教の使命に召し、その召しに応える志と情熱を与え、一つの心で取り組むようにしてくださった主に感謝します。
 私たちは「過去の戦争協力と偶像礼拝の罪を悔い改め、世の終わりまでキリストへの信仰を堅持する」 者として、神の御前に自らの罪責を悔い改めます。
 私たちは教団存立の目的を「『聖書信仰、宣教協力、合議制』における一致のもと、聖霊の力によりキリストの宣教命令に応えて、神の栄光を現すことにある」と言い表し、「犠牲を惜しまず、積極的な開拓伝道と堅実な教会形成による国内宣教および『日本とアジアと世界』を視野に入れた国外宣教を推進して、地の果てまで福音を宣べ伝える」 わざに励み続け、今日に至っています。
 今なお宣教の使命を果たしきれていないことを率直に認め、それにもかかわらず主が私たちを用いて救いのわざをなし、多くの実を結ばせてくださったことを感謝します。

《私たちのいま》
 神が愛をもって造られたこの被造世界は、罪と悲惨の中にあってうめき、傷ついています。神のかたちに創造された人間は、罪ゆえに神のかたちをそこない、隣人を愛し、世界を正しく治めることができなくなりました。こうして、世界のあちらこちらに隔ての壁がそびえ立ち、断絶が広がり、あらゆる領域で対立、分断、格差があらわになっています。
 2011年3月11日に起こった東日本大震災とその後の各地の災害は、この時代に対する私たちの宣教と奉仕のあり方を見つめ直す機会となりました。2019年から2020年にかけての天皇代替わりは、この国でイエス・キリストのみを主と告白する信仰が問われる機会となりました。そして今、新型コロナウイルス感染症の世界的蔓延の渦中にあって、私たちは自らの生き方、教会のあり方を問われ、教会の改革へと促されています。
 この現実のただ中で、私たちはこの世界を愛される主を見つめ、主の眼差しに促されてこの世界を見つめます。羊飼いのいない羊のように弱り果てている羊たちの声に耳を澄まし、迷い出た羊を捜し出してくださる主の御声に耳を澄まします。

《私たちのこれから》
 宣教130周年を迎えた今日、私たちはまことの王なるイエス・キリストに従い、この方以外のものに決して膝をかがめず、この方のみを主と告白し、礼拝します。
 私たちは、「立ちなさい。さあ、ここから行くのです」 との主の呼びかけに応え、「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます」 との約束の成就である聖霊に押し出され、主イエス・キリストの十字架と復活を宣べ伝えます。
 私たちは、一人でも多くの人をキリストに導くために、様々な手段を用い、あらゆる機会を捉え、教職、信徒が一つとなって福音宣教に励みます。
 私たちは、従来の「国内宣教・国外宣教」の枠を越えて、民族、言語、世代、職業、社会のあらゆる領域の人々を悔い改めへと促し、キリストのもとに立ち返るよう招きます。
 私たちは、あらゆる世代のいのちを愛し、その存在を尊び、若者や子どもたちと共に成長します。
 私たちは、生活を通して福音をあかしし、言葉と愛のわざによって神の国の価値観を現し、地域の人々の隣人となって仕えます。
 私たちは、暴力と抑圧にさいなまれている地に正義と平和が打ち立てられるようにとりなし祈ります。
 私たちは、この世界の良き管理者としての責任を自覚し、主から委ねられたこの世界を正しく治めて、隣人と共に生きることを志します。
 私たちは、神の祝福をこの世界にもたらすために召された神の子ども、御国の民として、キリストのからだなる教会を建て上げ、世の光、地の塩として遣わされます。
 私たちは、今が「終わりの時」であることを知る者として、再び来られる主を待ち望みます。
主よ、来てください。

《私たちの祈り》
「立ちなさい。さあ、ここから行くのです」と言われる主よ。
私たちはあなたを愛します。
あなたが愛された人々を愛します。
あなたが愛された世界を愛します。
私たちは今日、あなたに自らをお献げします。
私たちを今日、ここから新しく遣わしてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。
アーメン。

2021年9月23日
日本同盟基督教団 教職・信徒一同

ダルムシュタット宣言(日本版)

ダルムシュタット宣言(日本版)
今のこの時代に、アジアの中の日本に派遣された牧師として、以下の内容を宣言します。
第一項-罪責の認識はキリストによる和解に基づいてのみ存在する
第二項-ナショナリズムと日本民族優越主義に対して
第三項-教会と保守勢力との同盟
第四項-悪しき者たちに対する善き者たちの戦線
第五項-共産主義が提示している、忘れられた教会の使命
第六項-キリスト者・教会に与えられている自由
第七項-正義と福祉と内なる平和と諸民族の和解に仕える新しい日本国
参考文献
第一項-罪責の認識はキリストによる和解に基づいてのみ存在する †
 われわれには、イエス・キリストの十字架と復活において、世界が神と和解されたという福音が語られている。この和解の福音をわれわれはまず聞き、それを本当に味わうことによってそれに生き、また伝えなければならない。もしわれわれが、自らのすべての罪責、つまり父祖たちとわれわれ自身の罪責から解き放たれておらず、われわれが日本人として、われわれの政治的意図・行動において過ちに踏み込んでしまったすべての誤った悪しき道から、良い羊飼いであるイエス・キリストによって呼び戻されていないとするならば、この和解の福音は聞かれておらず、受け入れられておらず、行われても伝えられてもいないことになるのである。

第二項-ナショナリズムと日本民族優越主義に対して †
 われわれは、あたかも世界は日本的本質(国体)に触れることによって救われるかのように、特別に日本には使命があるなどという夢を見始めた時、過ちに踏み込んでしまった。また、われわれは、われわれが聞くべき王の王、主の主としてのイエス・キリストに聞くことをしなかった。そのことによってわれわれは、政治的権力の無制限の使用に対して道を備え、われわれの民族を神の御座の上に置いた。われわれは自分たちの国家を内に対してはただ強い政府の上に、外に対してはただ軍事的な力の展開の上に基礎づけ始めたが、これは致命的に誤っていた。そのことによってわれわれは、われわれ日本人に与えられている贈物をもって、諸国民の共通の課題に仕えつつ協力するという召しを否定してしまったのである。

第三項-教会と保守勢力との同盟 †
 われわれは、人間の社会生活の中で必要となってきた新しい秩序に対して、「キリスト教的戦線」なるものを結成し始めた時、過ちに踏み込んでしまった。古い・在来のものを維持する保守勢力と教会の同盟は、われわれに対するきびしい報復となって帰ってきた。われわれは、人間の共同生活がそのような変革を求めているところで、生活の諸様式を変えることをわれわれに許しかつ命ずる、キリスト教的自由を売り渡してしまった。われわれは革命への権利は否定したのに、絶対的独裁制への発展は許容し、歓迎したのである。

第四項-悪しき者たちに対する善き者たちの戦線 †
 われわれは、政治的な生活の中で、政治的手段によって、悪しき者たちに対する善き者たちの、暗黒に対する光の、義しからざる者たちに対する義しき者たちの戦線なるものを結成しなければならないと考えた時、過ちに踏み込んでしまった。それと共にわれわれは、政治的、社会的、世界観的な統一戦線の結成によって、すべての人に対する神の恵みの自由な提供を変造し、世界をその自己義認にゆだねてしまったのである。

第五項-共産主義が提示している、忘れられた教会の使命 †
 われわれは、マルクス主義的教説の経済的な唯物主義が、この世における人間の生活と共同生活のために与えられている教会の委託や約束を果たすように、教会に注意を促さなければならなかったのだということを見過ごした時、過ちに踏み込んでしまった。われわれは、来たるべき神の国の福音にふさわしく、貧しい人々や権利を奪われた人々の事柄を、キリスト教会の事柄とすることをなおざりにしたのである。

第六項-キリスト者・教会に与えられている自由 †
 われわれが以上のことを認めて告白するとき、われわれは自分たちがイエス・キリストの教会として、神の栄光と人間の永遠的また時間的な救いのために、新しく、そしてより良く奉仕するべく自由にされていることを知るのである。キリスト教と日本文化といったスローガンではなく、イエス・キリストの死と復活の力によって神のもとへ立ち戻り、隣り人のところへ赴くことこそが、われわれの民族、また民族の真只中で、とくにわれわれキリスト者に必要なことである。

第七項-正義と福祉と内なる平和と諸民族の和解に仕える新しい日本国 †
 われわれは、「イエス・キリストによって、この世の神なき束縛から脱して、彼の被造物に対する自由な感謝に満ちた奉仕へと赴く喜ばしい解放がわれわれに与えられる」と告白した。そして、今日新しくそれを告白する。それゆえにわれわれは、切に訴える。絶望をあなたの主たらしめるな。なぜなら、キリストが主なのであるから。すべての不信仰な無関心に別れを告げよ。昔はもっと良かったといったたぐいの夢想や、来たるべき戦争の思わくなどに惑わされず、この自由において、また大いなる冷静さをもって、われわれのすべて、われわれの各自がより良き日本の国の建設のために負っている責任を自覚せよ。新しい日本国は、正義と福祉と内なる平和と諸民族の和解に仕えるものなのです。
参考文献 †
ベルトールト・クラッパート『和解と希望-告白教会の伝統と現在における神学』、新教出版社、1993年
J.モルトマン『二十世紀神学の展望』、新教出版社、1989年
栄光在主
日本同盟基督教団・杉戸キリスト教会牧師 野町真理