ワンピース名言メモ

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ONE PIECE 90 世界累計4億4千万部突破!

ONE PIECE 1

ワンピース名言メモ(更新中)

ノジコ!ナミ!誰にも負けるな!女の子だって強くなくちゃいけない!何があっても、生まれてきたこの時代を憎まないで!人に褒められなくたって構わない!いつでも笑ってられる強さを忘れないで。生き抜けば必ず楽しいことが・・・たくさん起こるから・・・!
巻九 第79話「生きる」より ベルメールの言葉

「おれは剣術を使えねぇんだコノヤロー!航海術も持ってねぇし!料理も作れねぇし!ウソもつけねぇ!おれは助けてもらわねぇと生きていけねぇ自信がある!」
巻十 第90話「何ができる」よりモンキー・D・ルフィーの言葉

己の行動に罪を感じた時、人は最も弱くなる。
巻二十七 第255話「うわばみと探索組」より ガン・フォールの言葉

傷つけるのはお前じゃねぇだろ?政府の人間もお前の存在を罪というが、どんな凶器をかかえてようとも、そこにいるだけで罪になるなんて事はねぇ!存在することは罪にならねぇ!!!
巻三十九 第375話「エニエス・ロビーの超人達」より フランキーの言葉

あなた達の生きる未来を、私達が諦めるわけにはいかない!
巻四十一 第396話「サウロ」より ニコ・オルビアの言葉

”歴史”は・・・人の財産。あなた達がこれから生きる未来をきっと照らしてくれる。だけど過去から受け取った歴史は、次の時代へ引き渡さなくちゃ消えていくの。
巻四十一 第396話「サウロ」より ニコ・オルビアの言葉

よく聞けロビン・・・。今は一人だけどもよ、いつか必ず”仲間”に会えるでよ!海は広いんだで・・・いつか必ず!!!お前を守ってくれる”仲間”が現れる!この世に生まれて一人ぼっちなんて事は絶対にないんだで!!!
巻四十一 第397話「未来へ届くように」より ハグワールの言葉

ごめんね。ーもっとみんなを遠くまで運んであげたかった・・・ごめんね。ずっと一緒に冒険したかった・・・だけどぼくは、だけどぼくは、幸せだった。今まで大切にしてくれてどうもありがとう。ぼくは本当に幸せだった。
巻四十四 第430話「降りそそぐ追想の淡雪」より ゴーイング・メリー号の言葉

船長が”威厳”を失った一味は必ず崩壊する!!!
巻四十五 第438話「プライド」より ロロノア・ゾロの言葉

災難ってモンはたたみかけるのが世の常だ。言い訳したらどなたか助けてくれんのか?死んだらおれはただそこまでの男・・・!
巻五十 第484話「ぷに」より ロロノア・ゾロの言葉

能力や技じゃない。ーその場にいる者達を次々に自分の味方につける。この海において、あの男は最も恐るべき力を持っている・・・!
巻五十七 第561話「ルフィVSミホーク」より ジュラキュール・ミホークの言葉

今は辛かろうがルフィー・・・!それらを押し殺せ!失った物ばかり数えるな!無いものは無い!確認せい!お前にまだ、残っておるものは何じゃ!!!
巻六十 第590話「弟よ」より ジンベイの言葉

ONE PIECE STRONG WORDS

杉戸キリスト教会地図2016

YouTube Bible Message

杉戸キリスト教会地図2016

教会開拓と教会支援

教会開拓と教会支援

島村牧師

関東宣教区壮年会主催の夏の集いに参加した教会のメンバーたちが、良い意味で大きなショックを受けて帰って来た。その原因は、井上貴詞先生の講演とともに、島村秀雄牧師(新狭山福音教会)によるバルナバ基金の受給報告にあった。

バルナバ基金とは、関東宣教区における教会開拓と教会支援のための基金である。将来教会開拓をするための基金であり経済的に厳しい教会を支援するための基金。関東宣教区における宣教協力の柱。それがバルナバ基金だ。

島村牧師は都内でタクシーの運転手をしながら、牧師として奉仕している。今の教会に赴任した時から、教会は経済的に非常に厳しい。毎週3日間ほど勤務して、1週間分の仕事をこなす。大切な日曜日の朝も、いつも徹夜明けで教会に戻り、礼拝奉仕をする。もし日曜朝にかけてのオールナイト勤務で、事故などが生じた場合には、礼拝時間までに戻れなくなる。そんな中バルナバ基金を受けることは、大きなゆとりと励ましになり、一度も礼拝奉仕を欠かすことなくここまで来ることができた。

教団全体でも、同じような問題を抱えた教会が多くある。一方で新しい教会の開拓がなされるが、もう一方では牧師が二足の草鞋を履きながら、必死で奉仕を続けている。教会開拓と教会支援。それぞれの働きが伝道部と教会支援部によって進められているが、いずれも困難を極めている。

これを読んだあなたも、ぜひ互いに支え合い、互いに助け合う教会形成の働きに加わってほしい。主イエスもこう言われる。「受けるよりも与えるほうが幸いである」と。

万引き家族と神の家族

井上貴詞先生

井上貴詞先生(東京基督教大学国際キリスト教福祉学科准教授)の講演「神の家族の新たな『かたち』を求めて」を月曜日に聴いた後、気になっていた映画「万引き家族」をどうしても観なければという思いになり、火曜日に観て来ました。

「万引き家族」は、結婚関係にない大人たちと血のつながりのない子どもたちが、生きていくために互いを必要とし、一緒に集まり、本当の家族のように毎日共に生きるという映画です。一緒に住んでいる家族に捨てられたおばあちゃんの年金をあてにしながら、日雇い労働者の大人と親に捨てられた子どもが協力して万引きをし、何とか食いつないでいます。それでも、血のつながりのある家族から虐待され、寒い中ベランダでお腹を空かして凍えている女の子を見た時、見て見ぬ振りができず、思わず一緒に連れて帰り、アイロンで焼かれた火傷の痛みを共有する優しい家族です。

全体を通して、「血のつながりのある家族が、果たして本当の家族になっているのか?」「血のつながりのある家族の元に帰れば、本当に幸せに暮らせるのか?」という真剣な問いかけがなされていました。この映画が世界に認められたということは、世界中で血のつながりのある家族が崩壊しているということでしょう。DV、虐待、遺棄、ネグレクトなどによって。そして、何とかその日を生き抜くために、血のつながりはないけど共に生活しながら、本当の家族を切に求めている人々が多くいることでしょう。講演で聴いた真剣な問いかけ、「世界中の人々が必死になって、本物の家族や人間の尊厳を切に求めているのに、教会は神の家族に本当になっているのか?その必要に応えているのか?」が、改めて重く響きます。

子どもに対する優しい一声が、すべてを変え始める

万引き家族に転機となった出来事がある。駄菓子屋のおじさんが、万引きをして立ち去ろうとする子どもに声をかけ、商品をプレゼントしながら、「妹にはさせるなよ。」とお兄ちゃん役の子どもに優しい声をかける場面だ。それまで見て見ぬ振りをしていた店のおじさんの、子どもに対する優しい一声が、すべてを変え始める。

その後、父親役が駐車してある車のガラスを割って、中のものを盗もうとした時、その子は幼く尋ねる。「これは店に並べてあるものじゃないから、誰かのものだよね。」そして一緒に犯罪を続けることから距離を置こうとする。「店に並べてあるものはまだ誰のものでもない。だから万引きすることは悪いことではない。」と父親役に教えられ、万引き常習犯として生きていた少年の方向転換が始まった。

その後、妹を外で待たせ、自分だけ店に入って万引きをしようとした時、妹が店に入ってきてまた万引きをしようとする。恐らくその時、「妹にはさせるなよ。」というあの優しい言葉が少年の心に響いたのだ。そして「こんなことしてちゃダメだ!」と心の中で叫んだのだろう。だからその時、妹をかばうように、わざと商品を落として店員の注意を引きながら、商品を持って逃げるという行動に出た。わざと捕まることで、少年は終止符を打ちたかったのだ。子どもに対する優しい一声が、すべてを変え始める。

福祉が教会に近づいている

礼拝メッセージ 最高傑作として YouTube Bible Message

あらゆる境遇に対処する秘訣 YouTube Bible Message

人材派遣

天を見上げて地上を旅する

埼玉県北葛飾郡杉戸町、旧日光街道沿い、古利根の流れのほとりに植えられた日本同盟基督教団・杉戸キリスト教会、野町真理牧師のゴスペルメッセージ。

聖書 新改訳2017

聖書新改訳2017

宗教改革500周年記念で出版されたばかりの聖書新改訳2017が届き、早速いろんな箇所を読んでいます。

まず詩篇1篇3節。
すごい!「水路のそばに植わった木」から「流れのほとりに植えられた木」に新改訳。自分で植わったわけではなく、植えられた(受身形)であることが明確になりました。「流れのほとり」という表現もとても素敵です。

その人は
流れのほとりに植えられた木。
時が来ると実を結び
その葉は枯れず
そのなすことはすべて栄える。

次に創世記15章5節。
「星を数えることができるなら、それを数えなさい」が「星を数えられるなら数えなさい。」に新改訳。とてもスッキリしました。

そして主は、彼を外に連れ出して言われた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えられるなら数えなさい。」さらに言われた。「あなたの子孫は、このようになる。」

さらに創世記15章6節。
旧約聖書の創世記に記されている信仰義認の箇所です!
「彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。」でしたが、「アブラムは主を信じた。それで、それが彼の義と認められた」という表現になりました。信じたことが義と認められた理由であるということがしっかり伝わってきます。

アブラムは主を信じた。それで、それが彼の義と認められた。

新約聖書も見てみましょう。

聖書新改訳2017。マタイ福音書1章で、一番インパクトがあった変更点は、「バビロン移住」を「バビロン捕囚」としたことです!日本においては、「終戦」を「敗戦」と改訳したほどのインパクトではないでしょうか。旧約聖書に書き記されたイスラエルの歴史に耳を傾けると、自らの罪と恥の結果、主なる神の怒りを買い、無条件降服、そして強制連行によってバビロン捕囚に至る経緯が明記されています。自らの罪をごまかしたり、なかったことにしたり、お茶を濁すような曖昧な言葉ではなく、ごまかさない、なかったことにしない、お茶を濁さないこの新改訳2017の言葉こそ、ルターが語った「日々悔い改め」の初めの一歩ではないでしょうか。

マタイ福音書2章18節。
東日本大震災の後に日本で出版される日本語訳の聖書として、心に響きます。

「ラマで声が聞こえる。
むせび泣きと嘆きが。
ラケルが泣いている。その子らのゆえに。
慰めを拒んでいる。
子らがもういないからだ。」

マタイ福音書6章34節。
「だから、あすのための心配は無用です。」が「ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。」に新改訳!心配性の私たちに優しく寄り添う素敵な訳です。

ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。

同じくマタイ福音書の18章3節。なんと「悔い改めて」を「向きを変えて」に新改訳!これで「悔い改める」という聖書的専門用語の意味が明快に伝わってきます。素晴らしいですね。

こう言われた。「まことに、あなたがたに言います。向きを変えて子どものようにならなければ、決して天の御国には入れません。

放蕩息子のたとえと言われるルカ福音書15章の20節。
「走り寄って彼を抱き、口づけした。」が「駆け寄って彼の首を抱き、口づけした。」に新改訳。
「走り寄る神」というメッセージ題がありましたが、今度は「駆け寄る神」ですね。

こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとへ向かった。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、駆け寄って彼の首を抱き、口づけした。

ローマ人への手紙12章1−2節はどうでしょうか。
すごい!「自分を変えなさい」が「自分を変えていただきなさい」に見事に新改訳され、原文の受身形が鮮明になりました!

ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。

コリント人への手紙第一12章21節はどうでしょうか。

これまでの訳だと、以下のようでした。

そこで、目が手に向かって、「私はあなたを必要としない」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない」と言うこともできません。

新改訳2017では、以下のようになりました。

目が手に向かって「あなたはいらない」と言うことはできないし、頭が足に向かって「あなたがたはいらない」と言うこともできません。

すぐに「あなたはいらない」という言葉が多用される今の日本にとって、まさに必要な翻訳ではないでしょうか。

コリント人への手紙第一15章14節はどうでしょうか。

以前の訳では、以下のようになっていました。つい先日メッセージしたのですが、「実質のないもの」というとても難しい言葉が使われていました。

そして、 キリストが復活されなかったのなら、 私たちの宣教は実質のないものになり、 あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。

新改訳2017では、以下のようになりました。シンプルで、とてもわかりやすい訳に感謝です!

そして、キリストがよみがえらなかったとしたら、私たちの宣教は空しく、あなたがたの信仰も空しいものとなります。

コリント人への手紙第二4章17節はどうでしょうか。

今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。

が、以下のように改訳されました!

私たちの一時(いっとき)の軽い苦難は、それとは比べものにならないほど重い永遠の栄光を、私たちにもたらすのです。

今の時の苦難がずっと続くかのように思い込んでしまいやすいのですが、「一時(いっとき)の軽い苦難」と訳してくれると、本当に救いになりますね。乗り越えていく力、立ち向かっていく勇気が与えられます!

ガラテヤ人への手紙2章16節はどうでしょうか。
以前の新改訳では、

「しかし、人は律法の行いによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。これは、律法の行いによってではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行いによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。」

でしたが、以下のように新しく改訳されました。

しかし、人は律法を行うことによってではなく、ただイエス・キリストを信じることによって義と認められると知って、私たちもキリスト・イエスを信じました。律法を行うことによってではなく、キリストを信じることによって義と認められるためです。というのは、肉なる者はだれも、律法を行うことによっては義と認められないからです。

まだまだほんの部分的な読み比べですが、全体的に日本語がよりこなれて、とてもわかりやすくなったという印象を受けました。聖書 新改訳2017、聖書を新しく買うことを考えておられる方々にぜひオススメです。