キリスト教会の樹形図

キリスト教会の樹形図

旧約時代のイスラエル共同体

➡️新約時代の初代キリスト教会

➡️ローマ帝国のキリスト教国教化(ローマ・カトリック教会)

➡️東方教会(ギリシア&ロシア正教会)と西方教会(ローマ・カトリック教会)に分かれる
(大シスマ=大分裂)

➡️西方教会(ローマ・カトリック教会)とプロテスタント教会に分かれる(16世紀宗教改革)

➡️プロテスタント教会は、各国において、国教会と自由教会(フリーチャーチ)に分かれる。

死せる正統主義教会 ➡️ 信仰復興・リバイバル運動、聖霊の働きによる教会のいのちの回復と多様性。

ルーテル(ルター)、改革・長老、メソジスト、ウエスレアン、ホーリネス、ナザレン、バプテスト、アナバプテスト、アライアンス、ペンテコステ、アッセンブリー、メノナイト、ブラザレン、兄弟団、救世軍、聖公会、日本基督教団、日本福音自由教会、同盟福音基督教会、イエス福音教団、単立教会、無教会、日本同盟基督教団、などなど。

プロテスタント教会は、実に多種多様な教団教派を各国で形成しながら、世界に広がり、宣教地に根ざしていく。

日本同盟基督教団は、聖書信仰に基づき、宣教協力のために、合議制によって形成された教団。
杉戸キリスト教会は日本同盟基督教団に所属しています。
 

実行委員として宣教130周年記念大会に参加して

実行委員として宣教130周年記念大会に参加して
杉戸キリスト教会牧師 野町 真理(のまちしんり)

宣教130周年記念大会2021

東京オリンピックとパラリンピックが行われ、新型コロナウイルス感染症が猛威を振るった2021年の9月23日。日本同盟基督教団の宣教130周年記念大会がリモートで開催された。直前に突貫作業もあったが、無事終了した。大会を終えた奉仕者たちが、教団事務所で感謝の祈りを捧げた。そして一人の理事が、祈りの途中で言葉を詰まらせた。「あの最初の15名の宣教師たちが、130年後の、今のこの日本同盟基督教団の姿を見たら・・・」

130年前に日本に遣わされた15名の宣教師たちは、それぞれ一粒の麦として地に落ちて死んだ。そして130年後の今、261の教会と435名の教師、そして11,965名の教会員で構成される日本同盟基督教団が芽生え育ち、世界宣教を試みている。ある人たちは言う。「日本は泥沼だ。宣教師の墓場だ。いくら福音宣教をしても無駄だ。」そのような言葉は真っ赤な嘘だ。

コロナに翻弄される3年目を迎え、私たちは今、それぞれ厳しい状況に置かれているかもしれない。しかし、これまでの130年の足跡を振り返り、主にある労苦が決して無駄ではないことを覚えよう。そして聖書に基づいて、130年後の日本同盟基督教団の姿をイメージしながら、日本とアジアと世界に仕える僕として、十字架のもとに力を合わせ、今できるベストを尽くして歩みたい。

収穫の主イエスは言われる。『収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、働き手を送ってくださるように祈りなさい。』(マタイの福音書9章37−38節)

日本同盟基督教団宣教130周年記念宣言

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日本同盟基督教団 宣教130周年記念宣言

日本同盟基督教団 宣教130周年記念宣言

《はじめに》
 私たち日本同盟基督教団に連なる教会、教職、信徒一同は、宣教130周年を迎える今日この時、父・子・聖霊なる神を賛美し、主イエスの再臨と神の国の完成を待ち望み、新たな献身の思いをもってここに宣言します。

《私たちのこれまで》
 私たち日本同盟基督教団の歩みは、1891年11月22日、北米スカンヂナビアン・アライアンス・ミッションから遣わされた15名の宣教師たちの横浜上陸に始まります。私たちに福音を託し、宣教の使命に召し、その召しに応える志と情熱を与え、一つの心で取り組むようにしてくださった主に感謝します。
 私たちは「過去の戦争協力と偶像礼拝の罪を悔い改め、世の終わりまでキリストへの信仰を堅持する」 者として、神の御前に自らの罪責を悔い改めます。
 私たちは教団存立の目的を「『聖書信仰、宣教協力、合議制』における一致のもと、聖霊の力によりキリストの宣教命令に応えて、神の栄光を現すことにある」と言い表し、「犠牲を惜しまず、積極的な開拓伝道と堅実な教会形成による国内宣教および『日本とアジアと世界』を視野に入れた国外宣教を推進して、地の果てまで福音を宣べ伝える」 わざに励み続け、今日に至っています。
 今なお宣教の使命を果たしきれていないことを率直に認め、それにもかかわらず主が私たちを用いて救いのわざをなし、多くの実を結ばせてくださったことを感謝します。

《私たちのいま》
 神が愛をもって造られたこの被造世界は、罪と悲惨の中にあってうめき、傷ついています。神のかたちに創造された人間は、罪ゆえに神のかたちをそこない、隣人を愛し、世界を正しく治めることができなくなりました。こうして、世界のあちらこちらに隔ての壁がそびえ立ち、断絶が広がり、あらゆる領域で対立、分断、格差があらわになっています。
 2011年3月11日に起こった東日本大震災とその後の各地の災害は、この時代に対する私たちの宣教と奉仕のあり方を見つめ直す機会となりました。2019年から2020年にかけての天皇代替わりは、この国でイエス・キリストのみを主と告白する信仰が問われる機会となりました。そして今、新型コロナウイルス感染症の世界的蔓延の渦中にあって、私たちは自らの生き方、教会のあり方を問われ、教会の改革へと促されています。
 この現実のただ中で、私たちはこの世界を愛される主を見つめ、主の眼差しに促されてこの世界を見つめます。羊飼いのいない羊のように弱り果てている羊たちの声に耳を澄まし、迷い出た羊を捜し出してくださる主の御声に耳を澄まします。

《私たちのこれから》
 宣教130周年を迎えた今日、私たちはまことの王なるイエス・キリストに従い、この方以外のものに決して膝をかがめず、この方のみを主と告白し、礼拝します。
 私たちは、「立ちなさい。さあ、ここから行くのです」 との主の呼びかけに応え、「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます」 との約束の成就である聖霊に押し出され、主イエス・キリストの十字架と復活を宣べ伝えます。
 私たちは、一人でも多くの人をキリストに導くために、様々な手段を用い、あらゆる機会を捉え、教職、信徒が一つとなって福音宣教に励みます。
 私たちは、従来の「国内宣教・国外宣教」の枠を越えて、民族、言語、世代、職業、社会のあらゆる領域の人々を悔い改めへと促し、キリストのもとに立ち返るよう招きます。
 私たちは、あらゆる世代のいのちを愛し、その存在を尊び、若者や子どもたちと共に成長します。
 私たちは、生活を通して福音をあかしし、言葉と愛のわざによって神の国の価値観を現し、地域の人々の隣人となって仕えます。
 私たちは、暴力と抑圧にさいなまれている地に正義と平和が打ち立てられるようにとりなし祈ります。
 私たちは、この世界の良き管理者としての責任を自覚し、主から委ねられたこの世界を正しく治めて、隣人と共に生きることを志します。
 私たちは、神の祝福をこの世界にもたらすために召された神の子ども、御国の民として、キリストのからだなる教会を建て上げ、世の光、地の塩として遣わされます。
 私たちは、今が「終わりの時」であることを知る者として、再び来られる主を待ち望みます。
主よ、来てください。

《私たちの祈り》
「立ちなさい。さあ、ここから行くのです」と言われる主よ。
私たちはあなたを愛します。
あなたが愛された人々を愛します。
あなたが愛された世界を愛します。
私たちは今日、あなたに自らをお献げします。
私たちを今日、ここから新しく遣わしてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。
アーメン。

2021年9月23日
日本同盟基督教団 教職・信徒一同

日本同盟基督教団105周年記念大会 横浜宣言

日本同盟基督教団105周年記念大会—横浜宣言—

私たちは、日本同盟基督教団に連なる全ての聖徒たちと共に、宣教105周年のこの記念すべき時に、初期の宣教師たちの霊的遺産を受けとめ、神のみ許しの中で刻んできた教団の宣教の「きのう」、「きょう」、「あす」を見つめ直し、21世紀にむかい、神のみ前に以下の宣言をします。

1.日本同盟基督教団の歩みは、フレデリック・フランソンとその仲間たちによって米国シカゴに設立された「北米スカンジナビアン・アライアンス・ミッション」から日本に派遣された、スカンジナビア出身の男女15名の宣教師たちの横浜上陸(1891年・明治24年11月23日)をもって開始されました。

2.宣教師たちの来日した時代は、福音宣教にとって、必ずしも好機とは言えませんでした。「大日本帝国憲法」発布(1889年・明治22年)、「教育勅語」発令(1890年・明治23年)など、明治国家の基軸がすえられ、西洋思想排斥や民族回帰思想の強まる時代でした。それでも、宣教の熱意に燃えた宣教師たちは、それまで他教派の踏み込まない「伊豆半島」、「房総半島」、「伊豆七島」、「飛騨」、「アイヌ人地域 」など、日本各地の福音未伝地に向かいました。当時の未伝地伝道は、多大の困難と迫害の伴う生死をかけた宣教であり、強い信仰と忍耐を要し、宣教の基盤をすえるまでには長い年月を必要としました。しかし、宣教師たちは幾多の試練を乗り越え、困難によく耐え、伝道と奉仕の業に努め、各地に教会の基礎を築きました。「日本同盟基督教団」は、こうした霊的遺産と宣教の基盤を受け継いで、今日に至っています。

3.その後、宣教師たちとの間に「日瑞(にっすい)同盟基督協会」の誕生を見、「日本同盟基督協会」(1922年・大正11年)が形成されました。戦時下には、「宗教団体法」の実施に伴い、「日本基督教団」(1941年・昭和16年)設立時に、第八部に合同しました。戦後、その一部の教会は日本基督教団離脱を決意し、新たに「日本同盟基督教団」(1949年・昭和24年)を結成しました。

4.かえりみて、戦時下、特に「昭和15年戦争(1931-1945年)」の間、私たちの教団 は、天皇を現人神(あらひとがみ)とする国家神道を偶像問題として拒否できず、かえって国民儀礼として受け入れ、「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない」・「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではなら ない。それらに仕えてはならない」との十戒の第一戒と第二戒を守り抜くことができませんでした。さらに近隣諸国の諸教会と積極的に平和をつくり出す者として生きることができず、国家が推進した植民地支配や侵略戦争に加担し、アジア地域の侵略に協力しました。こうして神と隣人の前に、とりわけアジアの人々に、偶像礼拝の強要と侵略の罪を犯し、しかも戦後、この事実に気付かず、悔い改めに至ることもなく、無自覚なままその大半を過ごしました。

 近代日本の100年余の歴史に重なる私たちの教団の歴史をかえりみ、私たち教職・信徒は、「信仰と生活の唯一絶対の規範」である神のみことばに、十分聞き従い続けることができなかったことを主のみ前に告白し、悔い改め、神と隣人とに心から赦しをこい求めます。私たちは、今、あらためて、堅く聖書信仰の原理に立ち、聖霊の助けにより、福音にふさわしい内実を伴ったキリストの教会へと変革されることを心から願います。

5.私たちは、21世紀を目前にした歴史的節目にあたり、戦前・戦後の宣教師たちの 「世界的視野に立った宣教」、「犠牲をおしまない救霊の情熱」、「教派形成にとらわれない宣教協力」という優れた霊的遺産を受け継いできた光栄を覚えます。その背後にあったフランソン宣教師のモットー「キリストとの恒常的、自覚的、親密な交わり」 (Constant,Conscious,Communion with JESUS CHRIST)に示される敬虔な信仰姿勢を深く心に刻みます。さらに、初期宣教師たちが、この困難な異教の地盤に鍬をおろし、あえて福音未伝地を目指した宣教精神を受け継ぐことを決意します。

6.宣教105年をかえりみて、私たちの教団の使命とそのあり方は、福音宣教に果敢に生きることにあります。さらに、すべての教会が一致・協力して、キリスト再臨の待望に生き、聖霊の力を頂き、潔い生活を目指し、世の終わりまで、全世界に出て行ってすべての造られた者に福音を宣べ伝えることです。 国内宣教においては、国家が再び危険な道を歩み始めている今日、主から託された見張りの使命を自覚しつつ「1億2千万宣教」に励み、国外宣教においては、全世界の諸国・諸民族間の分裂と混迷と困窮の時代にあって、「マケドニアの叫び」を聞きつつ、 世界宣教の使命を果たします。そのために、教団内の組織と機関を再点検し、活性化させ、個人、家庭、教会、教団の宣教体制をさらに整えてゆきます。

 私たちの、21世紀の宣教にむかう祈りは、日本と、アジアと、世界に目をむけ、全世界の神の民と福音を共有できることを喜び、犠牲をいとわず、福音宣教に燃えて輝く群れとなることにあります。ここに、私たち日本同盟基督教団の教職・信徒は、父なる神と、み子イエスと、聖霊のみ前にあって、新たなる前進を図ることを決意し、表明します。

『この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。』(マタイ 24:14)

1996.11.19 MISSION 21 Yokohama

横浜宣言

教憲・教規からみた日本同盟基督教団の特色

神の国の証人ブルームハルト父子 待ちつつ急ぎつつ

神の国の証人ブルームハルト父子 待ちつつ急ぎつつ

それが、そのような困難は承知の上で、やはり書かずにいられない気持ちになったことには、日本のキリスト教会の現状についてのーことに一九六九年以降の日本基督教団の現状についての、私自身の認識が関係している。今そのことについて、ここに詳しく述べることはできない。ただ一言で言えば、私には、今日の日本の教会にもっとも欠けているもの、そして日本の教会が(自覚的ではないにしても)今日もっとも必要としているものは、ブルームハルト的なものだと、思われてならない。ブルームハルト父子におけるような「活ける神」への立ち返りと素朴な信仰のリアリティの快復なしには、日本の教会の新しい出発はないと思われてならない。(あとがきより)

「イエスの出現によって、単に心情の問題が提出されたのではなくて、力の問題が提出された。」と言っている。これは重要な指摘である。ブルームハルトが、この出来事を通して、聖書が証しする事柄を、そしてわれわれの救いの問題を、単に心情の問題としてではなく、力の問題として捉え、「戦い」の問題として捉えたということ。これがブルームハルト父子を敬虔主義から区別する中心的なものであると共に、彼らがカール・バルトらに教えたもっとも重要なものの一つであり、今日のわれわれが自分自身の信仰の問題としてもっとも緊急に聞かなければならない事柄だと、私は思う。ド・ヴァレンティ博士に対する「弁明書」の中で語っているように、彼がゴットリービンの悲惨の中に見たものは、今も力を振るっている闇の力の支配のもとにある人間の姿であった。そのような事実に直面して、彼が覚えたのは、「憤怒」であった。彼が子どものころから聖書で読んだように、神が主イエスにおいてすでに勝利し給うたということがもし事実であれば、このような人間の悲惨に対して、どうして神の力の介入がないはずがあろうか。そのような焦燥が彼を捉えた。その場合、彼は、神の力の介入を、史的イエスの時代や使徒たちに限定することに堪えられなかった。主イエスの高挙の後の時代の有様が、それ以前と同じであって良いはずはないのであった。したがって、彼の問題は、主イエスの支配か、それとも彼に逆らう者の支配か、というまさに「力の問題」であった。p78-79

杉戸キリスト教会清地チャペル

杉戸キリスト教会清地チャペル