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光の指で触れよ 池澤夏樹
理工系でスピリチャルな内容の小説を書く池澤夏樹さんの長編小説。スピリチャルといっても、聖書的な信仰とか聖書的にスピリチャルな内容ではありません。レイキとかチャクラとか出てきます。けれども、現代人が消費生活に踊らされ、経済を神のように大切にしていること、効率を求めた果てにある毒性の強い農薬に対して耐性のある遺伝子組み換え農業、型にはめて個性を殺す教育などに対して、問題提起があります。
以下裏表紙から。
あの幸福な一家に何が起きたのか。『すばらしい新世界』の物語から数年後、恋人をつくった夫を置いて、幼い娘を連れた妻はヨーロッパへ渡り、共同生活を送りながら人生を模索する。かつて父をヒマラヤまで迎えに行った息子は、寮生活をしながら両親を想う。離れて暮らす家族がたどりつく場所は―。現代に生きる困難と、その果てにきざす光を描く長編小説。
解説・角田光代
Culture of the Kingdom 天国の文化 回復への旅
戦争のための道具は、文化を生み出すための豊かな手段に変えられます。預言者イザヤは、未来についての神の幻を得たのです。本書では、現代における聖書的真理の回復について、そして、神の御国が国の文化と接触する最前線で、私が発見した事柄を記しました。p17
私は、自分が、民主的な国家の市民だと理解していましたが、これまで一度も、神の国の住民だと考えたことはありませんでした。王であるイエスに仕えるとはどんな意味なのでしょう。このテーマこそ、これから改めて、本書で取り扱おうとしているテーマです。p52
敵を愛しなさいというイエスの戒めは、神の御国において最も偉大な真理の一つです。その真理の原則とは、戦争で敵を打ち負かすより、敵の心と魂を勝ち取るほうがより力強くそして好ましいということです。どちらが最終的に、永続的な本当の平和をもたらすでしょうか。p99
闘いや戦争のとき、その結果受ける心の傷は、単純な肉体の傷より、さらに深く人を傷つけます。暴力が収まった後でも、双方ともなお生命を破壊し続ける心的外傷の苦痛にたえなければなりません。p99
熱心に正義が求められなければならないし、正義は犯罪に対して厳正に適用されなければなりません。それでもなお多くの場合において、完全な正義が行われることはないでしょう。北アイルランド、南アフリカ、ルワンダなどの場所で唯一の解決をもたらしたのは、共通に悲しみと痛みを覚えながら、平和と和解を模索することでした。相手を人間だと思わなくなると、そこに増悪が生まれ、虐殺さえ起こります。愛とは、互いを人間であると理解し合うところに始まるのです。復讐と増悪の悪循環を壊せるのは、ただ愛だけです。p99-100
by ピーター・ツカヒラ
今こそすべての日本のキリスト者が
今こそすべての日本のキリスト者が、
十字架による神との和解をしっかりと受け取り、
日本の教会の歴史をしっかりと心に刻み、
向きを変えて出発しなければならない。
世の光、地の塩、
全世界の祝福の基として召されたキリスト者日本人として、
天地の主から託されたその使命に生きるために。
戦時下におけるクリスチャンの心理的葛藤と信仰の戦いは、
実際に体験しないと理解出来ない極限状態にあったと想像する。
しかしキリスト者日本人である私たちは、
かつての「日本基督教団より大東亜共栄圏にある基督教徒に送る書翰」を、決して忘れ去ってはならない。
私たちが過去を心に刻むべき理由は、 ただ「我らの弱さを知りてあわれむ」主の、裏切りに先行する赦しと和解への招きにある。
それは、主イエス様の十字架と復活によって、すべての罪がすでに赦され、神との和解がすでに成就したという一事にかかっている。
シモン、シモン。見なさい。
サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。
しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。
だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。
ルカの福音書 22章31-32節
寺田祐一牧師を天に送って
寺田祐一牧師を天に送って
霞ヶ関キリスト教会の池田勇人牧師に続いて、吉川福音教会の寺田祐一牧師。日本同盟基督教団の関東宣教区において、現役の牧師が天に召されるのはこれで2人目。関東フィールドにおいて親しくさせていただいていた同労者がまた天に行かれたことで、心の空白、喪失感を覚えざるを得ない。
寺田祐一牧師は一級建築士として活躍されていたが、信仰熱心な韓国系アメリカ人と国際結婚なさることによって、キリスト教の牧師へと召された。長い間踏ん切りがつかず、神学校に入学することをためらっていた寺田師。「牧師になるために神学校に行かないならアメリカに帰る」と言う言葉を残し、夫人を乗せた翼はアメリカに向かった。
引き止めることができず、空港から一人ドライブしていた帰り道、彼女がいるはずのない助手席に主イエスがおられることに気づかされ、寺田師は涙ながらにすべてを主イエスに明け渡す祈りをされた。その時寺田師は、設計事務所を辞めて神学校に入学する決心をしたのだ。「今度こそ神学校に入学するからアメリカから帰って来て欲しい。」口先だけでなく心からの決心であることが夫人に伝わり、夫人は日本に帰って来られた。そして神学校在学中から全力で吉川福音教会を開拓なさり、これまで教会を形成されてきた。
日本人と韓国人の違いから突然勃発する大げんか。寺田牧師の家庭には、まさに今日深刻化している日韓問題が存在した。しかしそのような家庭生活を通して、日本人でありつつ夫人を愛するが故に半分韓国人になった寺田牧師だからこそ言える言葉が紡ぎ出された。
「日本人は韓国に謝罪しなければならない。韓国人は日本を赦さなければならない。」
「日本と韓国が和解し協力していくことが日本宣教の希望であり、突破口である。」
日本同盟基督教団においても、今日韓国人の牧師が多く与えられている。日本人と韓国人による宣教協力。そのようなことを日本の牧師が考えてもいなかった何十年も前に、寺田師は一冊の本を執筆して上記のような言葉を発信している。ますます韓国からの宣教師や牧師に頼らざるを得ない日本のキリスト教会の現状において、寺田牧師の言葉は、預言者的響きを持って、日韓両国に真摯に受け止められることを待っている。
http://www.flickr.com/photos/nomachishinri/sets/72157635562676211/
礼拝メッセージ「あなたのために死ぬ愛」ローマ12
礼拝メッセージ「あなたのために死ぬ愛」ローマ12(クリックで聴けます)
聖書箇所:ローマ人への手紙5章6ー11節
6私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。
7 正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。
8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
9 ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。
10 もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。
11 そればかりでなく、私たちのために今や和解を成り立たせてくださった私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を大いに喜んでいるのです。ローマ5章6-11節
あなたが正しい人でも、あなたのために死ぬ人はほとんどいないでしょう。あなたが情け深い人なら、あなたのために進んで死ぬ人がいるかもしれません。
けれども、あなたがまだ罪人・不敬虔な者・敵であったとき、イエス・キリストがあなたのために死んでくださったことにより、神はあなたに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
恵みによる和解
恵みによる和解
『あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。』エペソ人への手紙2章8-9節
イエス・キリストはインマヌエル(「神は私たちと共におられる」という意味)と呼ばれています。(マタイの福音書1章23節参照)
この方は、すべてのものを造られた神であられますが、クリスマスに一人のユダヤ人として生まれ、肉体を持った人間として、私たちの間に住んで下さいました。 「神は愛であり、あなたを愛している」ということ、また神が決して私たちを見捨てず、共に生きておられることは、このイエス・キリストによって最高に明らかにされました。
神を神としないで、神なしで自己中心に生きること、つまり、自分を神として生きることを聖書では罪といいます。また、神の喜ばれないことをすること、口に出すこと、心に思い巡らすことも罪と言えます。
しかし、わたしたちが神に背を向け、自分は悪いとも思わず、神なしで生きていけると思い違いをしていた時に、イエス・キリストは、私たちのすべての罪を背負って、身代わりに十字架で死んで下さいました。
『しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。』 ローマ人への手紙5章8節
『まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。』イザヤ書53章4-6節
とても自分の力では払うことの出来ない罪の負債をすべて、イエス・キリストが代りに支払ってくれたのです!そしてイエス・キリストは3日目によみがえり、今も私たちと共に生きておられます。
『兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現われました。』コリント人への手紙第一15章1ー6節
イエス・キリストは世の終りまで、いつも私たちと共にいて下さるお方です。
『見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。』マタイの福音書28章20節
イエス・キリストは、永遠のいのちと豊かな愛の関係の中に、いつでもあなたを招いておられます。それは、あなたに、いのちをかけても惜しくない使命、人生の目的を与えてくださるためなのです。
『人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。』マタイの福音書16章26節
あなたがもし、イエス・キリストを心に迎え、キリストと共に生きるなら、あなたに永遠のいのちが与えられ、生き生きとしたいのちが回復します。
『だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川(聖霊)が流れ出るようになる。』ヨハネの福音書7章37-38節
あなたのすべての罪が赦され、和解によって神との関係が回復します。
『主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる。』詩篇103篇3-5節
あなたのすべてがきよめられ、新しく造られた者とされます。
『だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。』 コリント人への手紙第二5章17節
神をもう一度「お父さん」と呼ぶことの出来る神の子どもとされ、愛を受けることが出来ます。
『しかし、この方(イエス・キリスト)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。 』ヨハネの福音書1章12節
そして、神の子どもとして父なる神を信頼し、キリストに似たものに変えられ続ける生涯に入れられます。
『私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。』コリント人への手紙第二3章18節
人を愛し、人を赦すことが出来る者に、将来必ず変えられます。心からのやすらぎを持つことができ、生きる力が与えられます。
『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。』マタイの福音書11章28-30節
人生の様々な問題や苦難を乗り越えることが出来る力と知恵と愛が与えられます。
喜ぶものと共に喜び、泣くものと共に泣くことの出来る人生を生きることが出来ます。 他者の心・気持ちを理解する感受性が豊かにされるからです。
全世界の祝福の基として、他者のために共に生きることが出来ます。
いつまでも残る、信仰と希望と愛に生きることが出来ます。
すべての栄光を主イエス・キリストの三位一体の神に帰することが出来ます。
これが、本当の意味で、人生の勝利者、成功者になるということです。
人間としての存在価値、生きる目的・意味の回復がここにあります。