五十歳の誕生日

 一九七〇年生まれの私は、今年五十歳の誕生日を迎えた。私は、高知県高知市で生まれ育った。よさこい節で有名な、土佐の高知である。土佐ことばに「いごっそう」という言葉がある。土佐人の代表的な気性を表す言葉で、良く言えば「気骨があり筋を通す人」だが、悪く言えば単なる「がんこ者」である。コロナ禍の夏、父が脳梗塞で入院したという知らせを聞いて、私は久しぶりに高知に帰省した。ベッドに寝ている「いごっそう」の父を見つめながら、父の息子である私自身も、まさしく「いごっそう」であることを深く覚えた。

 良くも悪くも「筋金入り」を意味する「いごっそう」が生まれ育つ環境。それは、厳しい家庭環境ではないかと私は考えている。私の父も、いわゆるドメスティックバイオレンス・家庭内暴力の加害者であるが、恐らく被害者でもあったと考えられる。つまり「いごっそう」とは、激しい虐待や暴力の中で、それでも生き残ることができた「サバイバー・生存者」なのだと私は考えている。

 高知県は全国に先駆けて断酒会が出来た県である。それだけお酒によって辛い思いをする人々が多いのだろう。男も女も、日本酒やビールを浴びるように飲む。火に油のように、「いごっそう」に酒が加わると、まさに修羅場になる。ビール瓶を叩き割り、割れたビール瓶を振り上げて怒号が響く。そういうわけで、私の両親は離婚には至っていないが、別居状態が続いている。母がどう耐えても、もはや一緒には住めないのだ。

 そんな厳しい家庭環境で生まれ育った私は、幸いにも中学校を卒業してから親元を離れることができた。二年間は全寮制の高知高専(国立高知工業高等専門学校)に入学することができたから。可哀想なのは妹だ。私が親元を離れた後も、しばらくは両親と一緒に暮らさなければならなかったので、父のことを考えただけでお腹が痛くなるような状態となった。

 親元を離れた私は、結局五年間寮に住むことになった。高専という学校は、工業高校+短大のような所だ。5年間で卒業となり、技術者・エンジニアの卵として巣立って行く。普通高校と違い、3年後に大学受験を考えなくてもよいので、伸び伸びと部活動にも励むことができた。中学では帰宅部で、ゲームばかりしていたのに、空手道部の先輩のカッコいい演舞と力強い瓦割りのパフォーマンスに心奪われ、空手道部に入部し、5年間空手道に励むこともできた。

karate

 そして高専の最終学年、5年生の時、人生を変える出会いが待っていた。この出会いがなければ、私も家庭内暴力の加害者になっていたはずだ。女性を叩いたり蹴ったりするような男は最低だとわかっていながら、わかっちゃいるけどやめられないという状態で加害者になっていたはずだ。幸いにしてこの出会いのおかげで、私は妻に暴力をふるったことは一度もない。

 人生を変える出会い、それは、まずフィリピンから日本に留学に来た一人の留学生との出会いだった。そしてその留学生が、イエス・キリストを信じるクリスチャンで、私にイエス・キリストを紹介し、私がイエス・キリストと出会うことができるように、祈ってくれたのであった。

 彼はまず東京で半年間、日本語の語学研修を受け、それから高知高専にやってきた。普通の留学生のように、彼も羽を伸ばすために日本に来た。けれども主イエスが、彼の信仰の炎を再び燃え立たせ、私に対する救霊の思いを与えてくださった。主イエスがそのために用いられたのが、「ボーン・アゲイン ウォーターゲート後日物語」という本だった。そのことに先立って、主イエスは私にも働いてくださった。ある先生のおかげで、英語がとても好きになっていた私は、英語を話す留学生のお世話係のアルバイトを引き受けることになった。

 それで私は、1990年、高専5年生の春に、フィリピンからの留学生レイモンドのチューター(お世話係)をすることになった。共に高知高専の切正寮に住むことになった。チューターの私は、レイモンドの隣の部屋になり、一緒に寮生活をすることになった。そして私が、寮生活や学校生活全般のこと、日本語や日本文化を彼に教えた。レイモンドは私に、英語やフィリピンの文化、そしてイエス・キリストの福音、さらにはギターを教えてくれた。

 英語に興味があったので、まずは英語の勉強のために、ギデオンの対訳聖書(日本語と英語、新約のみ)をもらった。9月23日には、日本語の新改訳聖書をプレゼントしてくれた。けれども私は、もらった聖書を、あまり読む気にならなかった。「聖書を読むなんて女々しい」と思っていたから。「宗教は、弱い人間が必要とすることだ。俺は強いから宗教なんて必要ない」と本気で思っていたから。

 けれども、私の心の中には、むなしさと孤独とことばにならない苛立ち、そして深い闇があった。その頃良く聞いていた音楽は、浜田省吾であった。特にアルバム、ダウン・バイ・ザ・メインストリートの中にあった、「サイレンス」という曲がお気に入りだった。
 
 ある時レイモンドは、日本人クリスチャン作家、三浦綾子さんの塩狩峠という本を貸してくれた。そしてこの本との出会いが、私の人生の向きを大きく変えてくれた。むさぼるように聖書を読み始め、そして生まれて初めてキリスト教会に行くことになった。

 自転車で南国市から高知市の教会へ。途中で雨が降り、着いたらすでに洗礼を受けたようなびしょびしょの状態。(加賀野井にある日本ナザレン教団、高知キリスト教会)。福江等牧師との出会い。ビリー・グラハムのメッセージを衛星中継で聴くこともできた。そして切正寮の部屋で、四つの法則を読み、そしてイエス・キリストを、信じ受け入れる祈りをした。祈り終えた後、となりのレイモンドの所へ行き、「ありがとね!」当時書いた文章を以下に記す。

 私が高知高専の最終学年の時、フィリピンから留学生が来ました。ある英語の先生のおかげで英語が大好きになっていた私は、担任の先生に勧められて彼のチューターになりました。私は寮に住んでいましたが、彼は私の部屋の隣に住むことになりました。いっしょに食事をしたり、夜が明けるまで彼の部屋でいろんなことを語り合ううちに、彼とは国籍、異なる文化、言葉の壁を超えてなかなか巡り会えない親友になりました。

 彼は夏休みが終わったころには土佐弁と呼ばれる高知の方言を覚え、私に福音と呼ばれているイエス・キリストの十字架のメッセージを語ってくれました。「野町君、心の中に罪を持っちょったら天国に行けんがでー。けんど神のひとり子のイエス様は野町君のために身代わりに十字架に架かって死んでくれたが。ほんでもし野町君がイエスキリストを信じると天国に行けるがやきー。」というようなかんじで…。私は神などいてもいなくても自分には関係ない。神などに頼るのは弱い人間のすることだと思っていたので聞き流していました。しかし新潮文庫の100冊の中に挙げられている三浦綾子著の「塩狩峠」という本を読んだ時、プレゼントしてもらった聖書を自分から読むようになりました。

 北海道に塩狩峠という峠があります。そこで起こった列車事故のことがその本には書かれてありました。ちょうど列車が峠を登りきろうとしたとき、連結器が外れて後ろの車両が暴走を始めたのです。叫び声の中で一人のイエス・キリストを信じていたクリスチャン青年が立ち上がり、手回しのハンドブレーキを回して暴走を止めようとしました。しかし、列車は止まらず目の前に大きなカーブが迫って来たのです。彼は祈って考えました。今このスピードなら、私が列車の前に身を投げて列車の下敷きになれば乗客を助けることが出来ると…。そしてもう一度祈った彼は自分の命を犠牲にして乗客を助けたのです。真っ白な雪を彼の血飛沫が真っ赤に染めたそうです…。私は涙が止まりませんでした。自分には絶対出来ないことだと思いました。そしてクリスチャンは自分にはない何かを持っているような気がして聖書を読み始めたのです。

 聖書の中には人間がつくった神ではなく、人間を、そしてこの無限の大宇宙を創られたただひとりの神様(天の父なる私たちの神)のことが書かれてありました。神秘的な自然や偉人が拝む対象になる日本的な神観を持ち、深く考えることなく無意識に進化論を受け入れていた私にとって、衝撃的な神観の革命でした。そして聖書はまるで本当の自分を映し出す鏡のように私の心の中の醜さ、弱さを見せてくれました。神を神とせず、自分は正しいとして人を見下し、裁き、結局自分のことしか考えていない自己中心なエゴの姿に絶望を覚えました。しかし神様からのラブレターと呼ばれている聖書にはこう書かれてあったのです。

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」 旧約聖書イザヤ書43章4節 

(聖書全体が語っているメッセージは「神は愛なり」ということです。明治時代に二葉亭四迷という文学者が英語の”LOVE”という言葉をどのように日本語に翻訳したか、ご存じでしょうか?愛の本当の意味を伝えるために「あなたのために死ねるよ。」と訳したそうです。愛とは自分の最も大切なもの、命を与えることです。なぜ神が愛なのでしょうか?それは神が最も大切なひとり子、イエス・キリストの命を、ご自分の命を私たちに与えて下さったからです。)

 そのとき、私を造り、生かして下さっている神様は、すべてをお見通しのはずなのにこんな私を高価で尊い存在として愛していて下さることがわかったのです。そしてあのイエス様を十字架につけて殺したのは他の誰でもない、私であることに気がついたのです。イエス様は私の罪から来る報酬である死を身代わりに受けて下さり、永遠いのちそのものである神様と結びついて生きることが出来るようにして下さったのです。十字架につけられた後、3日目によみがえって今も生きておられるイエス様に出会ったとき、私はイエス様を心に受け入れるお祈りをして永遠のいのちをいただきました。私のいっさいの努力に関係なくただ神の恵みによって…。
 私はこの神様の愛を知るまではいつも他の人と自分を比較して生きていました。そして自分よりもできる人を見る時、自分には価値が無いように思えて仕方がありませんでした。ですから一生懸命努力し、価値のある人間になろうとしました。しかし努力すればするほど、自分には価値がないように感じました。それは自分でしたいと思う良いことをすることが出来ず、かえってしたくない悪いことばかりをしてしまう自分をどうすることも出来なかったからです。

 今考えると、無意識のうちに自分よりもだめな人間を見つけ、心の中でその人を見下すことによって自分には価値があると思い込ませ、かろうじて生きていました。しかし私を造って下さり、生かして下さっている神様はいのちを与えて下さるほどに私を愛して下さっている。そのことを知ってから、私の人生は180度変わりました。美しい自然や、目に映るもの全てが神様によってつくられたものだということを実感した時、世界が輝いて見えました。生きててよかったと心から言えるようになりました。

(聖書は言います。ひとりの人間には全宇宙に優る価値があると。生まれる前の赤ちゃんであったとしても、老人であろうと、健康であろうと病気であろうと、有能であろうと無能であろうと、あなたには何にも代えられない価値、はかり知れない宇宙のすべてにもまさる価値があると。それは神のひとり子のイエス・キリストが、神ご自身が十字架の上で自らの命を捨ててまでして救おうとしているのがまさにあなたなのだからです。)

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」 新約聖書 ヨハネの福音書3章16節

 神様と人との間には、創られたものと創ったものという無限の違いと罪という壁が存在します。しかしイエス・キリストの十字架と復活によって、神と和解し、人はもう一度いのちと愛の源である神に結びついて生きることが出来るのです。神との関係が回復するとき、おのずから人との関係も回復し、自然との関係も回復するのです。

光の指で触れよ 池澤夏樹

光の指で触れよ 池澤夏樹

理工系でスピリチャルな内容の小説を書く池澤夏樹さんの長編小説。スピリチャルといっても、聖書的な信仰とか聖書的にスピリチャルな内容ではありません。レイキとかチャクラとか出てきます。けれども、現代人が消費生活に踊らされ、経済を神のように大切にしていること、効率を求めた果てにある毒性の強い農薬に対して耐性のある遺伝子組み換え農業、型にはめて個性を殺す教育などに対して、問題提起があります。

以下裏表紙から。

あの幸福な一家に何が起きたのか。『すばらしい新世界』の物語から数年後、恋人をつくった夫を置いて、幼い娘を連れた妻はヨーロッパへ渡り、共同生活を送りながら人生を模索する。かつて父をヒマラヤまで迎えに行った息子は、寮生活をしながら両親を想う。離れて暮らす家族がたどりつく場所は―。現代に生きる困難と、その果てにきざす光を描く長編小説。
解説・角田光代