日本近代史に見る教会の分岐点 岩崎孝志著

日本近代史に見る教会の分岐点 岩崎孝志著

しかし、どんなに罪責を隠蔽し、見て見ぬふりをして、美談を並べ立てたとしても、罪は罪である。神の前にも、そして人の前にも隠しおおせるものではない。神は生きておられる。生きて働いて、人の悪をさばかれる。その神の前に私たち罪人がなし得る唯一の意味あることは、その罪を認め、正直に告白して悔い改めることしかない。そして、二度と同じ過ちを犯さぬよう、今度は罪と戦って生きることではないだろうか。悪魔の力に屈して沈黙したかつての失敗を悔い改め、神に立てられた預言者として、教会は声をあげ続けなければならない。・・・「おわりに」より引用

今こそ問われているキリスト者の信仰

捕らえられて殺されようとする者を救い出し、虐殺されようとする貧困者を助け出せ。もしあなたが、「私たちはそのことを知らなかった」と言っても、人の心を評価する方は、それを見抜いておられないだろうか。あなたのたましいを見守る方は、それを知らないだろうか。この方はおのおの、人の行いに応じて報いないだろうか。
箴言24章11−12節

今こそすべての日本のキリスト者が

今こそすべての日本のキリスト者が、
十字架による神との和解をしっかりと受け取り、
日本の教会の歴史をしっかりと心に刻み、
向きを変えて出発しなければならない。
世の光、地の塩、
全世界の祝福の基として召されたキリスト者日本人として、
天地の主から託されたその使命に生きるために。
戦時下におけるクリスチャンの心理的葛藤と信仰の戦いは、
実際に体験しないと理解出来ない極限状態にあったと想像する。
しかしキリスト者日本人である私たちは、
かつての「日本基督教団より大東亜共栄圏にある基督教徒に送る書翰」を、決して忘れ去ってはならない。
私たちが過去を心に刻むべき理由は、 ただ「我らの弱さを知りてあわれむ」主の、裏切りに先行する赦しと和解への招きにある。
それは、主イエス様の十字架と復活によって、すべての罪がすでに赦され、神との和解がすでに成就したという一事にかかっている。

シモン、シモン。見なさい。
サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。
しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。
だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。
ルカの福音書 22章31-32節

信教の自由セミナー2009 岡山英雄師資料

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