今こそ問われているキリスト者の信仰

捕らえられて殺されようとする者を救い出し、虐殺されようとする貧困者を助け出せ。もしあなたが、「私たちはそのことを知らなかった」と言っても、人の心を評価する方は、それを見抜いておられないだろうか。あなたのたましいを見守る方は、それを知らないだろうか。この方はおのおの、人の行いに応じて報いないだろうか。
箴言24章11−12節

今こそすべての日本のキリスト者が

今こそすべての日本のキリスト者が、
十字架による神との和解をしっかりと受け取り、
日本の教会の歴史をしっかりと心に刻み、
向きを変えて出発しなければならない。
世の光、地の塩、
全世界の祝福の基として召されたキリスト者日本人として、
天地の主から託されたその使命に生きるために。
戦時下におけるクリスチャンの心理的葛藤と信仰の戦いは、
実際に体験しないと理解出来ない極限状態にあったと想像する。
しかしキリスト者日本人である私たちは、
かつての「日本基督教団より大東亜共栄圏にある基督教徒に送る書翰」を、決して忘れ去ってはならない。
私たちが過去を心に刻むべき理由は、 ただ「我らの弱さを知りてあわれむ」主の、裏切りに先行する赦しと和解への招きにある。
それは、主イエス様の十字架と復活によって、すべての罪がすでに赦され、神との和解がすでに成就したという一事にかかっている。

シモン、シモン。見なさい。
サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。
しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。
だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。
ルカの福音書 22章31-32節

礼拝メッセージ「陽のあたる場所」

礼拝メッセージ「陽のあたる場所」(クリックで聴けます)
聖書箇所:ヨハネ福音書8章1ー12節

1イエスはオリーブ山に行かれた。2 そして、朝早く、イエスはもう一度宮に入られた。民衆はみな、みもとに寄って来た。イエスはすわって、彼らに教え始められた。3 すると、律法学者とパリサイ人が、姦淫の場で捕らえられたひとりの女を連れて来て、真ん中に置いてから、4 イエスに言った。「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。5 モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」6 彼らはイエスをためしてこう言ったのである。それは、イエスを告発する理由を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に書いておられた。7 けれども、彼らが問い続けてやめなかったので、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」8 そしてイエスは、もう一度身をかがめて、 地面に書かれた。9 彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。女はそのままそこにいた。10 イエスは身を起こして、その女に言われた。「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める者はなかったのですか。」11 彼女は言った。「だれもいません。」そこで、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」〕12 イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」ヨハネ福音書8章1−12節