クリストファー・ノーラン監督の映画「インターステラー」を観て
まだ見に行ってない方のためにあまりネタバレになることは書けませんが、ぜひ年内に観に行くべき映画の一つだと思います。
実はこの映画でクリストファー・ノーラン監督を知ったのですが、その後、インセプション、ダークナイトシリーズも見ました。
私と同じ44歳の映画監督ですが、どの映画も非常に見応えがあります。
時間と空間を超える次元としての愛の提示
イマジネーション・想像力の豊かさ
非常にスピリチャルな映像
パイオニア フロンティア アドベンチャー
宇宙の壮大さと惑星間の孤独
危機的状況における人間の行動、家族愛
グラビティ 重力
相対性理論と浦島効果
マンネリ化したものを斬新に提示する卓越したスキル
カテゴリー: 終末論
春夏秋冬と人生の四季
春夏秋冬と人生の四季
東南アジアではホット、ホッター、ホッテストという3つの季節しかないと言われる。
つまり、いつも夏のような一年があたりまえという状態。
けれども日本では春夏秋冬があり、立ち止まりさえすれば、それぞれの季節を満喫することができる。
春には、寒さを耐え抜いた木々や草花が一斉に芽生え、美しい花を咲かせる。
夏には、蝉時雨と向日葵、入道雲と青空、そして照りつける太陽と水遊びを満喫することができる。
秋には、赤や黄色に色付いた紅葉、ススキ、虫の声、そして月。
冬には、じっと我慢の子で風雪に耐え、暖かい春の訪れを待ち望む。
そしてどこに住んでいようと、人生には四季がある。
春
夏
夏の思春期、青年時代。最も体力があり、エネルギーに満ちあふれている時期。
秋
秋の断捨離、円熟期。この時期に豊かな実を結ぶことができたら幸せ。
冬
紅葉2014 with PENTAX
聖書の神がなさっておられること
音楽を奏でることの意味や音楽が果たす役割について
浜田省吾のツアー「ON THE ROAD 2011 “The Last Weekend”」は、史上希に見るツアーだった。それは、2011年に起きた人類史に残る悲劇的な出来事に起因していたことは言うまでもない。こんな時に音楽なんかやっていて良いのか、という空気も経験したことのないものだったし、そうだったからこそ、音楽を奏でることの意味や音楽が果たす役割、コンサート、あるいはツアーという形が、観客やスタッフも含めたチームワークの産物であることも再確認させられた。 田家秀樹著「僕と彼女と週末に」あとがきより
人間が音楽を奏でることの意味や音楽が果たす役割。それは次の言葉に要約されているかもしれない。
いつか子ども達に この時代を伝えたい
どんなふうに人が 希望(ゆめ)をつないできたか
One day I want to tell the children about this era,
How hope was passed on through mankind.
by Shogo Hamada
「ON THE ROAD 2011 “The Last Weekend”」ツアーDVDの最後に、”Dedicated to J.”と書かれていることも興味深い。
ONLY JESUS ただ主イエスだけ
Pastoral Landscape with PENTAX
今週の月曜日のこと。山登りを予定していたが山が雲隠れしていたので、霧降高原をドライブし続け、大笹牧場の方に向かった。すると、関東平野ではなかなか見れない立体的でダイナミックな風景が目の前に現れた。少し移動しては車を止めて、カメラを向けてフレーミングし、そして撮影した。
実はこのあたりも福島で起こった原発事故によって放射能汚染され、莫大な費用をかけて除染作業が続けられている。約3年の間、放牧も中止されていたが、今年の8月にやっと、除染が終わった所から放牧が再開されている。一度事故が起こると、原子力発電は天文学的な負債をもたらす。それが原発の真実。
除染完了、震災後初の放牧 日光・大笹牧場
Jackson Browne – For America 日本語和訳付き
主の祈りについて
日本人にとって、主の祈りは、お題目やお経のように感じてしまう場合があるかもしれません。意味がわからずに、あるいは意味をよく考えずに祈るなら、主の祈りもお題目や意味不明のお経のようになってしまいます。
そこで改めて、主の祈りの意味について考えてみたいと思います。主の祈りの意味を良く知るために、以下のように主の祈りをひっくり返してみましょう。
天におられる私たちの父よ!➡省略
御名(神の名前)があがめられますように➡私の名前があがめられますように。「○○さんすごいね!」と。
御国(主イエスを中心とした神の国)が来ますように➡私を中心とした、私の国が来ますように。
みこころがなりますように。天でなされているようにこの地でも。➡私の心と願い(心願)、私の考えと計画が、この地において成就しますように。
私たちの日毎の糧を今日もお与えください➡私は自分の力で今日も糧を得よう。神などいなくても生きていける。
私たちの罪を赦してください。私たちに罪を犯す者を、私たちも赦します。➡誰でも私に罪を犯す者は、絶対に赦さず、いつか必ず仕返ししてやる。倍返しだ。
私たちを試みにあわせないで、悪から救ってください。➡私は自分の力であらゆる誘惑に打ち勝ち、自分で自分を悪から救い出そう。私が救い主だ。
国と力と栄光は、永遠にあなた(神)のものです。アーメン(心からの真実な願いです)。➡国と力と栄光は、永遠に私のものだ。
いかがでしょうか?主の祈りをひっくり返すと、私たち人間が心密かに願い求めている内容になります。このような的外れで自己中心で自分勝手な願望こそ、聖書が語る「罪」です。
意味を考えながら主の祈りを祈るなら、自らの内にある罪と格闘し、神を中心とし、的を射た人生を勝ち取ることができます。そして主の祈りを心を合わせて共に祈るなら、神の家族として共に生きることができます。
今この国に必要なもの
平均すると40秒毎に1人が、自ら命を絶っているこの国。
羊飼いのない羊のように、弱り果て、倒れている人々で満ち溢れているこの国。
影のように過ごす、むなしい、束の間の人生において、一瞬の刹那に生きるこの国。
平気で嘘をつく人々、偽りとごまかし、虚偽に満ちたこの国。
この国に、今必要なものは何でしょうか。
それは、罪と死と誘惑に打ち勝つ、主イエス・キリストの福音、十字架と復活です。
神の子どもとされる特権、罪の赦し、からだのよみがえり、永遠の命です。
恵みに生かされている世の光、地の塩としてのキリスト者、
先行する恵みによって、愛の輝きと塩けを取り戻した教会の存在、
そこから逃げ出さず、置かれた場所で花を咲かせるキリスト者の存在です。
主よ!収穫は多いですが、働き手が少ないです!
だから主よ!収穫の主よ!収穫のために働き手を送ってください!
ここに私がおります。私をより良い働き手として整え、私を遣わしてください!