礼拝メッセージ「御怒りの大いなる日」

礼拝メッセージ「御怒りの大いなる日」(クリックで聴けます)

聖書箇所:ヨハネの黙示録6章1ー17節

私は見た。小羊が第六の封印を解いたとき、大きな地震が起こった。そして、太陽は毛の荒布のように黒くなり、月の全面が血のようになった。そして天の星が地上に落ちた。それは、いちじくが、大風に揺られて、青い実を振り落とすようであった。天は、巻き物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山や島がその場所から移された。地上の王、高官、千人隊長、金持ち、勇者、あらゆる奴隷と自由人が、ほら穴と山の岩間に隠れ、山や岩に向かってこう言った。「私たちの上に倒れかかって、御座にある方の御顔と小羊の怒りとから、私たちをかくまってくれ。御怒りの大いなる日が来たのだ。だれがそれに耐えられよう。黙示録6章12-17節

黙示録6章では、小羊イエスによって巻き物の封印が順番に解かれていきます。そして上記のみことばのように、未来にやがて来る「御怒りの大いなる日」が啓示されます。

1、その日は宇宙規模の災害の日です

2、その日は全人類が直面する災害の日です

3、その日に耐えうる備えとは、信仰によって、
小羊イエスの御腕の中に逃げ込むことです

礼拝メッセージ「ほふられた小羊」

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聖書箇所:ヨハネの黙示録5章1ー14節

彼らは大声で言った。「ほふられた小羊は、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい方です。」また私は、天と地と、地の下と、海の上のあらゆる造られたもの、およびその中にある生き物がこう言うのを聞いた。「御座にすわる方と、小羊とに、賛美と誉れと栄光と力が永遠にあるように。」黙示録5章12-13節

被造物としての万物がひれ伏して礼拝し、賛美をささげている「ほふられた小羊」とは、十字架の上であなたの罪のためにほふられ、あなたの救いのためによみがえられたイエス・キリストです。

聖なる神の霊(聖霊)によって、ヨハネは天における神の御座とその回りの現実を見ました。御座に座っておられる方の右の手には、7つの封印で封じられた巻き物がありました。

巻き物を開く者がいないのでヨハネが激しく泣いていると、長老のひとりが言いました。「泣いてはいけない。見なさい。ユダ族から出た獅子、ダビデの根が勝利を得たので、その巻き物を開いて、7つの封印を解くことができます。」しかしヨハネが見たのは、獅子ではなく「ほふられたと見える小羊」でした。

「あなたは、巻き物を受け取って、その封印を解くのにふさわしい方です。あなたは、ほふられて、その血により、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から、神のために人々を贖い、私たちの神のために、この人々を王国とし、祭司とされました。彼らは地上を治めるのです。」

教会創立記念礼拝メッセージ「万物の創造主」

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聖書箇所:ヨハネの黙示録4章1ー11節

「主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。あなたは万物を創造し、あなたのみこころゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。」黙示録4章11節

手に入れた形あるものも、やがて失い、やがて過ぎ去り、やがて消え去る。そんなこの世の無常さを、いやというほど感じていたとしても、上を向いて、天を見上げるなら、雲のむこう側には、変わらない希望の光がいつも輝いています。

黙示録4章は、今も天におられる、万物の創造主なる神の御座とその回りの現実を映写しています。

野獣の代表として獅子(ライオン)、家畜の代表として雄牛、鳥の代表として鷲、そして創造の冠としての人間。

万物を代表する4つの生き物が絶え間なく賛美をささげ、24人の長老たちがひれ伏しつつ拝んでいたのは、虹が取り巻く御座についておられ、永遠に生きておられ、宝石のように光を放っておられる万物の創造主でした。

聖書が語る救いとは、存在の成就です。決して滅びることのない永遠の存在とされること。いつまでも残る者とされること。それが聖書の語る救いです。

万物の創造主は、そのような救いを創造の目的として私たちを造り、そのような救いに向かって万物を、そしてあなたを、今も導いておられます。

あなたが先に選ばれた理由ー教会の目的宣言文のために

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礼拝メッセージ「だれも閉じることのできない門」

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聖書箇所:ヨハネの黙示録3章7−13節

また、フィラデルフィヤにある教会の御使いに書き送れ。『聖なる方、真実な方、ダビデのかぎを持っている方、彼が開くとだれも閉じる者がなく、彼が閉じるとだれも開く者がない、その方がこう言われる。「わたしは、あなたの行いを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。なぜなら、あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。黙示録3章7-8節

未来を見るということは、主イエス・キリストを見ることです。

復活された主イエスは、11人の弟子たちと山の上で再会された時、こう言われました。

「わたしには天においても地においても、
いっさいの権威が与えられています。」(マタイ福音書28章18節)

その主イエスは「聖なる方、真実な方、ダビデのかぎを持っている方、彼が開くとだれも閉じる者がなく、彼が閉じるとだれも開く者がない」方です。

だから主イエスは、「わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。」と語ることができるお方なのです。

主イエスは、だれも閉じることのできない門を、私たちの前に開いてくださっています。それは日本とアジアと世界における、救いの門であり、天国の門であり、教会の門、つまり福音宣教の門です。

礼拝メッセージ「実はあなたは死んでいる」

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聖書箇所:ヨハネの黙示録3章1−6節

「わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、生きているとされているが、実は死んでいる。目をさましなさい。そして死にかけているほかの人たちを力づけなさい。わたしは、あなたの行いが、わたしの神の御前に全うされたとは見ていない。黙示録3章1-2節

「あなたは、生きているとされているが、実は死んでいる」という主イエスのみことばを心に留めながら、ルカ福音書15章に登場する、あの放蕩息子のお兄さんのことを、思い浮かべてみましょう。

人間的に見れば、お兄さんは家出するわけでもなく、父親に逆らうわけでもなく、毎日黙々と働く立派な息子さんでした。けれども、神の瞳に映ったお兄さんは、まさに「生きているとされているが、実は死んでいる」人でした。

死んでいなくて本当に生きているお兄さんならば、主イエスのように、父に向かって次のように言ったことでしょう。

「お父さん、弟は本当に愚かでした。今ではちゃんとした生活もままならない状態でしょう。でも、僕はあの子を探し出して、家に連れて帰ります。そのために、たぶん、僕の財産も使い果たしてしまうかもしれません。それでもいい。この家族に僕の弟を連れ戻しに行ってきます。」
(ティモシー・ケラー著『「放蕩」する神』より)

何としてもの国外宣教 吉持章師

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東武動物公園 TOBU ZOO with PENTAX K-7

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