From "REVERSED THUNDER" by Eugene H. Peterson

The prayers which had ascended, unremarked by the journalists of the day, returned with immense force – in George Herbert’s phrase, as “reversed thunder.” Prayer reenters history with incalculable effects. Our earth is shaken daily by it.
ジャーナリストたちに注目されずとも、
天に向かって捧げられたすべての祈りは、
やがて物凄い力を帯びて戻って来る。
ジョージ・ハーバートの表現を借りるなら、
まさに「反転した雷」のように、
祈りは計り知れない影響力を伴い、歴史に再突入して来る。
我らの地球は、祈りによって日毎に震撼させられているのだ。
From “REVERSED THUNDER” by Eugene H. Peterson

礼拝メッセージ「主イエスよ、来てください」

礼拝メッセージ「主イエスよ、来てください」(クリックで聴けます)
聖書箇所:ヨハネの黙示録22章16ー21節

「わたし、イエスは御使いを遣わして、諸教会について、これらのことをあなたがたにあかしした。わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」御霊も花嫁も言う。「来てください。」これを聞く者は、「来てください」と言いなさい。渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。これらのことをあかしする方がこう言われる。「しかり。わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください。主イエスの恵みがすべての者とともにあるように。アーメン。黙示録22章16-21節

上記のみことばは、聖書のエンディングに記されている主イエス・キリストのメッセージです。
1、わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である
2、「来てください」と言いなさい
3、聖書のことばは加えても取り除いてもいけない
4、しかり。わたしはすぐに来る→応答のことば

礼拝メッセージ「預言のことばを封じるな」

礼拝メッセージ「預言のことばを封じるな」(クリックで聴けます)
聖書箇所:ヨハネの黙示録22章8ー15節

また、彼は私に言った。「この書の預言のことばを封じてはいけない。時が近づいているからである。不正を行う者はますます不正を行い、汚れた者はますます汚れを行いなさい。正しい者はいよいよ正しいことを行い、聖徒はいよいよ聖なるものとされなさい。」「見よ。わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、わたしの報いを携えて来る。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」自分の着物を洗って、いのちの木の実を食べる権利を与えられ、門を通って都に入れるようになる者は、幸いである。黙示録22章10-14節

神は、「この書の預言のことばを封じてはいけない。時が近づいているからである。」と命じておられます。
神に背を向け続けて不正と汚れをますます行うのか、それとも、神の方に向きを変えて、正しさと聖さを追い求めるのか。的外れの人生を歩み続けるのか、それとも、主イエスの十字架が私の罪のためであったと信じて着物を洗い、的を射た人生を歩み続けるのか。神は今日あなたに、二者択一を迫っています。
的外れの人生の先には、天国の外に用意された報いしかありません。けれども、的を射た人生の先には、天国の中に用意された素晴らしい報いがあります。
主イエスは言われます。「見よ。わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、わたしの報いを携えて来る。」

礼拝メッセージ「いのちの水の川」

礼拝メッセージ「いのちの水の川」(クリックで聴けます)
聖書箇所:ヨハネの黙示録22章1ー7節

御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。黙示録22章1-2節

昨年5月末から一緒に耳を傾け始めた黙示録も、いよいよ最後の章になりました(メッセージは教会のホームページにて配信しています)。聖書最後の章でもあるこの大切な章を、3回に分けて味わいましょう。まず今日は「いのちの水の川」のビジョンです。
いのちを育む川が豊かに流れ、いのちの木が中央にあったエデンの園(喜びの園)から追放され、その後続く長くて曲がりくねった旅路は、新しい天と新しい地、聖なる都エルサレムにて終わりを迎えます。
そこには、水面が水晶のようにキラキラ光るいのちの水の川があります。いのちの水の川は、神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央をゆったりと流れています。
川の両岸にはいのちの木があり、12種の実がなり、毎月実を実らせます。そしていのちの木の葉は、諸国の民をいやす効用があります。
そこに至る旅路において、あまりにも悲しみや苦しみが多いので、神はいやしをもたらすいのちの木と、それを育むいのちの水の川を備えていてくださるのでした。そこはエデンの園よりも素晴らしい所です。

礼拝メッセージ「聖なる都エルサレム」

礼拝メッセージ「聖なる都エルサレム」(クリックで聴けます)
聖書箇所:ヨハネの黙示録21章9ー27節

都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからである。諸国の民が、都の光によって歩み、地の王たちはその栄光を携えて都に来る。都の門は一日中決して閉じることがない。そこには夜がないからである。こうして、人々は諸国の民の栄光と誉れとを、そこに携えて来る。しかし、すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行う者は、決して都に入れない。小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、入ることができる。黙示録21章23-27節

もはや海がなく、孤独もなく、死もなく、悲しみの涙もなく、叫びもなく、苦しみもなく、のろわれるものもなく、夜がない新しい天地・新しい世界。
そこにはエルサレムという名の聖なる都があります。神の栄光であられる小羊イエスが都を照らし、そこには夜がないので、都の門は一日中決して閉じることがありません。
人々は、諸国の民の栄光と誉れとを、その都に携えて来て門をくぐり、すべての栄光を神に帰し、都上りの旅を終えます。
けれども、「すべて汚れた者や憎むべきことと偽りとを行う者は、決して都に入れない。小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、入ることができる。」とみことばは語っています。方向転換をして生き方が変えられ続ける真の悔い改めがいつも必要です。

U2のWhere The Streets Have No Nameの歌詞を試訳する

Where The Streets Have No Name by U2
I wanna run
I want to hide
I wanna tear down the walls
That hold me inside
I wanna reach out (holy spirit, sprit like a flame)      
And touch the flame
Where the streets have no name
Ha…ha…ha…
I want to feel Sunlight on my face
I see the dust cloud disappear Without a trace
I want to take shelter from the poison rain 
Where the streets have no name
Ho…ha…
Where the streets have no name
Where the streets have no name
We’re still building
Then burning down love
Burning down love
And when I go there
I go there with you
It’s all I can do
The city’s flood
And our love turns to rust
We’re beaten and blown by the wind
Trampled in dust
I’ll show you a place
High on a desert plain
Where the streets have no name
Where the streets have no name
Where the streets have no name
We’re still building Then burning down love  
Burning down love
And when I go there
I go there with you
It’s all I can do
Our love turns to rust
We’re beaten and blown by the wind
Blown by the wind
Oh, and I see our love
See our love turn to rust
Oh, we’re beaten and blown by the wind
Blown by the wind
Oh, when I go there
I go there with you
It’s all I can do

通りに名前がない所で(のまちゃん牧師による試訳)
僕は逃れたい
僕は隠れたい
僕は自分を内に閉じ込める壁を壊したい
僕は手を伸ばして、聖霊の炎に触れたい
通りに名前がない所で
僕は顔に太陽の光を感じたい
埃まみれの雲が跡形もなく消え去るのを見たい 
僕は毒の雨から身を守るシェルターが欲しい
通りに名前がない所で
通りに名前がない所で
通りに名前がない所で
僕らはまだ建て上げようとし、そして愛は全焼するんだ
愛は燃え尽きてしまうんだ
僕がそこに行く時
僕は君といっしょに行くよ
それが僕にできることのすべて
町は洪水
僕らの愛は錆び付いちゃった
僕らは風に打たれ吹き付けられて塵の中
僕は君にその場所を見せるよ
砂漠の遥か上にある
通りに名前がない所で
通りに名前がない所で
通りに名前がない所で
僕らはまだ建て上げようとし、そして愛は全焼するんだ
愛は燃え尽きてしまうんだ
僕がそこに行く時
僕は君といっしょに行くよ
それが僕にできることのすべて
僕らの愛は錆び付いちゃった
僕らは風に打たれ吹き付けられて
風に吹き付けられて
ああ、僕たちの愛が見える
僕たちの愛が錆びていくのが
僕らは風に打たれ吹き付けられて
風に吹き付けられて
僕がそこに行く時
僕は君といっしょに行くよ
それが僕にできることのすべて

新年礼拝メッセージ「新しい天地」

新年礼拝メッセージ「新しい天地」(クリックで聴けます)
聖書箇所:ヨハネの黙示録21章1ー8節

また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。
「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」黙示録21章1-4節