礼拝メッセージ「すべては神から始まる」

礼拝メッセージ「すべては神から始まる」

聖書箇所:ヨハネ福音書1章1-18節

すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。ヨハネ福音書1章3節

無神論者として有名なバートランド・ラッセルは、以下のような驚くべき結論に達しました。『神がおられると仮定しない限り、人生の目的を問うことには何の意味もない。』

無神論の共産主義統治下で育ったロシアの小説家、アンドレイ・ビトフも、『神がおられないなら人生には何の意味もない』という言葉によって、光に向かって歩み始めることが出来たと語っています。

聖書のみことばは、あなたの人生に意味と目的をもたらす、神からの希望のメッセージです。天地万物を創造された唯一の創造主なる神がおられ、すべてはこの方の作品だと聖書は語ります。

あなたは、自分で産まれ、自分で大きくなり、自分で生きてきたかのような顔をしているかもしれません。しかしそうではないと聖書は語ります。

あなたは神によって造られたユニークな神の作品です。神は、人生を導く5つの目的のためにあなたを造り、生かしておられます。

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礼拝メッセージ「都にとどまっていなさい」

礼拝メッセージ「都にとどまっていなさい」

聖書箇所:ルカ福音書24章28-53節

さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。ルカ福音書24章49節

死者の中から復活された主イエスが、うれしさのあまりまだ信じられない弟子たちに向かって語られた約束と命令。それが上記のみことばです。

1、約束

『さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。』

わたしの父の約束してくださったもの。それは聖なる神の霊、聖霊、御霊なる神です。聖霊こそ、天の父なる神が約束してくださった最高の贈り物です。

2、命令

『あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。』

この命令は、『ルカ福音書』後編である『使徒の働き』の冒頭においても繰り返されている、とても大切な命令です。

聖霊による上からの力こそ、キリスト者の原動力であり、教会の原動力です。聖霊に満たされることなしに出て行くなら惨めな敗北です。しかし聖霊に満たされて出て行くなら、圧倒的な勝利です。ですから、朝に夕に天を見上げ、聖霊に満たされることを熱心に祈り求める必要があるのです。

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イースター歓迎愛餐礼拝メッセージ「ここにはおられません」

Easter08 in SUGITO

イースター歓迎愛餐礼拝メッセージ「ここにはおられません」

聖書箇所:ルカ福音書24章1-27節

「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。… ルカ福音書24章5-6節

寒い冬の後に来るもの。それは暖かな春です。悲しみの受難週の後に訪れるもの。それが歓喜のイースター、復活祭です。

実に復活こそ、キリスト教の中身、エッセンスです。キリスト教会がこの世に向かって発信し続けているイエス・キリストの福音の、最も大切な中身、それがキリストのよみがえり、死者の復活です。

もし復活がないのなら、何が語られたとしても、中身がない殻だけの卵、空の財布、空の宝箱です。もし死者の復活がないとしたら、死んだらすべてが終わり、死んだらすべてがゼロです。ですからそのような信仰はむなしいと言う以外にありません。使徒パウロは、嘆きを込めて記しています。

『もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。』1コリント15:19

しかし霊の目がさえぎられていると、共に今も生きておられる復活の主イエスを見ることはできません。主イエスがあなたの目を開いて、あなたの心を喜びと希望、そして情熱で満たしてくださいますように。

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礼拝メッセージ「三本の十字架」

礼拝メッセージ「三本の十字架」

聖書箇所:ルカ福音書23章26-56節

「どくろ」と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に。そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。ルカ福音書23章33―34節

受難週の金曜日、午前9時、どくろ(ゴルゴタ、カルバリ)と呼ばれるエルサレム郊外の丘に、3本の十字架が立てられました。主イエスと共に、2人の犯罪人が十字架につけられたのです。

犯罪人のひとりは、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え。」と主イエスに言いました。

しかしもうひとりの犯罪人は、彼をたしなめてこう言いました。「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」そして彼は、主イエスに向かって言いました。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」

その時主イエスは、驚くべき福音を彼に語られました。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」

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礼拝メッセージ「受難 PASSION」

礼拝メッセージ「受難 PASSION」

聖書箇所:ルカ福音書23章1-25節

・・・見なさい。この人は、死罪に当たることは、何一つしていません。 ルカ福音書23章15節

今年もキリストの受難を覚える受難週が近づいて来ました。「パッション」という映画をご覧になったことがあるでしょうか。メル・ギブソンが監督となって、キリストの受難をリアルに描いた映画です。

「パッション」は死罪に当たることは何一つなさらなかったのに、私たちの罪のために苦しみを受けてくださった主イエスの愛を覚えることの出来る映画です。受難週には「パッション」を見ることをお勧めします。

四季で例えると、受難週は冬です。凍えそうな冬、吹雪く冬は受難の季節です。しかし、どんなに厳しい冬であっても、やがて冬は過ぎ去ります。雪は解け、花が咲き乱れる春を迎えます。ちょうどそのように、受難週の後に、喜びのイースター(復活祭)が近づいています。

一日で例えると、受難週は夜です。真っ暗な夜。出口の見えないトンネルのように長い夜。特に夜明け前は、最も暗くなります。しかし、どんなに長い夜であっても、やがてその闇は薄れ、夜明けが来るのです。ちょうどそのように、受難週の後に、喜びのイースター(復活祭)が近づいています。

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礼拝メッセージ「隣人のものを欲しがってはならない」

礼拝メッセージ「隣人のものを欲しがってはならない」

聖書箇所:出エジプト記20章1-17節

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。出エジプト記20章17節

「人間の心の中には神の形をした空洞があり、神以外では満たすことができない。」(パスカル)

お金、おいしい食物、やりがいのある仕事、地位や名声、知恵や学問、趣味、新製品、恋愛、セックス、心を癒してくれるペット、パチンコ、タバコ、酒、ドラッグ。

実に様々なものを、むさぼるように欲しがって生きている。それが私たち人間ではないでしょうか。しかし、それらはすべて、こわれた水ためです。どんどん流れ出てしまうため、決して心の中を満たすことができないのです。

何が原因で隣人のものまで欲しがってしまうのでしょうか。それは私たちが、湧き水の泉である神を捨ててしまったことにあります。いのちの水の源である神を、私たちは捨ててしまいました。だから何を手にしても満足できないのです。

神は決して、私たちを捨てることがありませんが、私たちが、神を捨ててしまったのです。けれども、イエス様があなたに代わって十字架で捨てられ、復活されました。神によって満ち足りて生きる道が備えられたのです。むさぼるようにこの神を慕い求めて生きる。それがあなたの生きる道です。

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礼拝メッセージ「偽証してはならない」

礼拝メッセージ「偽証してはならない」

聖書箇所:出エジプト記20章1-17節

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。出エジプト記20章16節

この国の2007年を象徴する漢字として選ばれたのは、「偽」でした。これまでの「偽」を水に流し、これからも「偽」に生き続けるなら、そのうちに「滅」とか「亡」という漢字が選ばれる年を迎えることになるでしょう。

聖書の中には「アーメン」という言葉が使われています。その意味は、「偽」ではなくて「真」です。
聖書の神は、アーメンなる神、うそ偽りのない真実な神、約束したことを必ず果たしてくださる神です。

アーメンなる神は、「偽」なる者を「愛」し、「愛」をもって「真」を語られます。ですから、もし私たちが自分の「偽」を素直に認め、神の前に「罪」を言い表し、赦しを求めるなら、神はすべての悪から私たちをきよめてくださるという約束があります。

『しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。』ヨハネの手紙第一1:7-9より

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礼拝メッセージ「父と母を敬え」

礼拝メッセージ「父と母を敬え」

聖書箇所:出エジプト記20章1-17節

あなたの父と母を敬え。出エジプト記20章12節

十戒の前半には、私たちを奴隷の家から救い出して下さった神との関わり方が語られています。後半には、隣人との関わり方が語られています。十戒を通して、神が私たちに教えておられること。それは、親子関係に始まる人間関係の土台は、十戒の前半に語られている、神との関係だということです。

神は、あなたを神と隣人を愛する自由の中に生かすために、十字架であなたの身代わりに死なれ、葬られました。しかし神は、3日目によみがえられ、今も生きておられます。

十字架の縦棒は縦の関係、神と私たちの関係を表わしています。そして十字架の横棒は横の関係、人と人との関係を表わしています。神との関係が人との関係の土台であり、神との関係をしっかり持っていくなら、豊かな人間関係を持つことができるのです。十戒の前半で語られているような神との関係を持たなければ、後半で語られるような人との関係を持つことはできないのです。

「あなたの父と母を敬え」という命令は、「もし天の父なる神の愛に根差すならば、あなたは将来必ず、父と母を敬うことのできる者に変えられる。」という約束です。神の愛に根差すならば、どんな難しい親子関係においても、父と母を敬う自由、父と母を愛する自由に生きることができるのです。

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礼拝メッセージ「安息日」

礼拝メッセージ「安息日」

聖書箇所:出エジプト記20章1-17節

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。出エジプト記20章8節

創世記の冒頭には「夕があり、朝があった。」ということばが繰り返し使われ、日ごとに恵みの2ビートを奏でています。恵みの2ビートは、7日目には休符となり、一週間というリズムを刻みます。

普通私たちが一日の始まりと考えるのは朝です。しかし、旧約聖書の感覚では、夕方が一日の始まりです。夕方から夜にかけて、人間は眠りにつきます。働きを止めて休むのです。新しい朝を迎え、私たちが目を覚ます時、すべてが整えられ、神のご計画が進んでいることに気づきます。創造主なる神は、人間が何もしない間に、すべてのことを備え、ご自身の計画を進めておられるのです。

「夕があり、朝があった。」という恵みのリズムは、次のような響きを持っています。「あなたの神様は小さすぎるよ。あなたが何かをする前に、まず神様が問題の只中にいて、働いておられるよ。全知全能の神様は、必ずすべての問題を解決へと導いていて下さる。そして神様は、あなたに出来るあなたのなすべきことを備えて下さっている。あなたの小さな働きを、神様は大きく用いて下さるんだ。」

7日毎にすべての営みをストップし、天を見上げる。そして主を待ち望む。そのようにして神の恵みに浸るなら、上からの良きもので満たされて、なすべき仕事に立ち向かっていくことができます。

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