礼拝メッセージ「だれも閉じることのできない門」

礼拝メッセージ「だれも閉じることのできない門」(クリックで聴けます)

聖書箇所:ヨハネの黙示録3章7−13節

また、フィラデルフィヤにある教会の御使いに書き送れ。『聖なる方、真実な方、ダビデのかぎを持っている方、彼が開くとだれも閉じる者がなく、彼が閉じるとだれも開く者がない、その方がこう言われる。「わたしは、あなたの行いを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。なぜなら、あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。黙示録3章7-8節

未来を見るということは、主イエス・キリストを見ることです。

復活された主イエスは、11人の弟子たちと山の上で再会された時、こう言われました。

「わたしには天においても地においても、
いっさいの権威が与えられています。」(マタイ福音書28章18節)

その主イエスは「聖なる方、真実な方、ダビデのかぎを持っている方、彼が開くとだれも閉じる者がなく、彼が閉じるとだれも開く者がない」方です。

だから主イエスは、「わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。」と語ることができるお方なのです。

主イエスは、だれも閉じることのできない門を、私たちの前に開いてくださっています。それは日本とアジアと世界における、救いの門であり、天国の門であり、教会の門、つまり福音宣教の門です。

釈義から説教へ

釈義 使徒14章8−18節

説教「教会の働きとしての証し」

礼拝式における祝祷について

礼拝式における祝祷について

主の日(日曜日)ごとの礼拝式において、キリスト教会で行なわれていることは何でしょうか?

それは、一つ所(教会堂)に呼び集められた神の民(教会)が、御言葉(聖書)によって取り扱われ、自らのからだを、十字架の故に、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげること。そして、自らを委ねた復活の主の御手の中から、一人一人、それぞれの生活の場に、祝福の基として派遣される、散らされるということではないでしょうか。

祝祷は、もう一度散らされて、一人一人、それぞれの生活の場に、祝福の基として派遣される際になされます。

その時、牧師は何をしているのでしょうか?

その時、牧師は、三位一体の主の祝福が、散らされて派遣されていくお一人お一人の上に、豊かに限りなくありますようにと祈ります。牧師は祝祷において、派遣されるお一人一人の上に、祝福の祈りを捧げています。そしてそれは同時に、お一人お一人に対する派遣の宣言でもあります。

私たちは、祝福の基として世界に遣わされるために集められるのですから、礼拝式において、司会者、奏楽者、説教者、そしてすべて集められた礼拝の民が目指すべきことは、祝祷においてクライマックスを迎えると言っても過言ではないと私は考えています。

世界を変えるために派遣されるお一人お一人が聖霊に満たされ、上からの祝福に満ち満ちるようにと、祝祷の時牧師は祈っているのです。

U2 魂の歌を求めて WALK ON: THE SPIRITUAL JOURNEY OF U2

「普通の社会で通用しないなら、そりゃあダメでしょ!」

ぜひお勧めの本です!

ますます英語力などが必要となる時代

11年ほど前に作られたプレゼンテーションですが、ますます英語力などが必要となっている時代に私たちは生かされています。

IN GOD’S HANDS(イン・ゴッズ・ハンズ)

ジョーズ(JAWS)という言葉には、以下の3つの意味がある。

1、1975年公開のアメリカ映画。
2、英語で「顎」(あご)という意味。
3、アメリカ合衆国ハワイ州のマウイ島の東側の沖に発生する、世界でも最大級のうねり。

JAWS(ジョーズ)と呼ばれる伝説のビッグウエーブに、命をかけて挑戦していくトップ・プロサーファーたちのドラマ、IN GOD’S HANDS(イン・ゴッズ・ハンズ)。スタントなし、本物のサーファーたちが主役を演じる素晴らしい映画です。死という問題も真っ向から取り上げています。

実は私、愛知県豊橋市にいた時、ある方の勧めでサーフィンをほんの少しだけ体験したことがあります。遠州灘にはサーフィンができるいい波が打ち寄せているのです。立つことが出来ず、ボディボードのようにしか乗れませんでしたが、ザビエル野町というあだ名と共に、波乗り牧師と呼ばれたこともあります。

今は、主イエス様の大宣教教育命令に従って、主なる神が起こされる世界最大級のうねり、JAWSに乗って、JapanとAsiaとWorldに仕えるServant、波乗り牧師を目指します。

世界最大級の波、JAWSに乗ってワールドミッションサーフィンをするためには、情熱と共に、熟練技術が必要不可欠である。

自ら波を作ろうなどと不可能なことに力を注ぐと、徒労に終わる。

労苦奮闘しても、熟練技術を身につける努力を怠っているなら、大波が来ても、乗ることが出来ず、波に呑まれてしまう。

伝道者の書に「もし斧が鈍くなったとき、その刃をとがないと、もっと力がいる」と記されている通り。

JAWSに乗る、すなわち、日本(Japan)と、アジア(Asia)と、世界(World)に仕えるしもべ(Servant)となるためには、聖書通読、聖霊に満たされ続ける祈り、礼拝する日常、聖書研究といった、日々の地道な訓練によって、体力、気力、バランス感覚、霊的判断力などを磨き上げなければならない。

P.S.杉戸にはRADIXというサーフショップがあります。

教会形成・アジア21・そして世界へ(宣教協力JAWS21)

日本とアジアと世界に仕える日本同盟基督教団・国外宣教デー2008のための動画です。

礼拝メッセージ「世界を変える祈り」

礼拝メッセージ「世界を変える祈り」

聖書箇所:ルカ福音書11:1-13

さて、イエスはある所で祈っておられた。その祈りが終わると、弟子のひとりが、イエスに言った。「主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください。」そこでイエスは、彼らに言われた。「祈るときには、こう言いなさい。…ルカ福音書11章1-2節

主イエスに聴く祈りをする時にだけ、静まって聖書に耳を傾ける時にだけ、祈ることが出来る素晴らしい祈りがあります。それが「主の祈り」と呼ばれている祈りです。「主の祈り」は、神が私たち人間に与えて下さった「世界を変える祈り」です。

いじめ、虐待、家庭内暴力、離婚、心の病、自殺、殺人、テロ、報復戦争、地球規模の異常気象災害。この世界は今、孤独と絶望と無関心に満ちた不毛の地になっています。なぜなら、私たち人間が神を神とせず、自分を神として歩んでいるからです。「自分さえよければそれでいい」と考え、どこまでも自己中心に生活しているからです。人間の罪がこの世界を不毛の地に変えているのです。

しかし私たちが「主の祈り」を祈るなら、不毛の地に信仰と希望と愛の木が芽生え、豊かなオアシスが現れます。いのちを奪い取っていくのではなく、いのちを与え、活き活きと生かしていく世界が育まれていくのです。なぜなら「主の祈り」とは、「罪人の自己中心な祈り」とは正反対の祈りだからです。

主の祈りを、その一つ一つの言葉の意味を考えながら祈る時、あなたも世界を変える一人となることができます。

ペンテコステ(国外宣教デー)礼拝メッセージ「神の国の門」

ペンテコステ礼拝(国外宣教デー)メッセージ「神の国の門」(ここをクリックするとメッセージが聞けます)

聖書箇所:ルカ福音書13:22-30

努力して狭い門からはいりなさい。なぜなら、あなたがたに言いますが、はいろうとしても、はいれなくなる人が多いのですから。ルカ13:24

今週の説教のあらすじ

「主よ。救われる者は少ないのですか。」と問う人に対して、主イエスは上記のみことばを語られました。神の国の門は、以下の3つの意味で狭いのです。

1、対象的な狭さ:世の中には様々な信仰の門戸があります。しかしイエス様だけが、神の国の門なのです。ヨハネ福音書10章9節に「わたしは門です。だれでも、わたしを通ってはいるなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。」とある通りです。

2、時間的な狭さ:門戸は今、全世界に向かって大きく開かれていますが、やがて閉じられる時が来ます。ノアの箱舟の戸が閉ざされたように、やがて神の国の戸は閉じられるのです。戸が閉まってしまうと、戸をいくらたたいても、神の国にはいれません。今がチャンスです。

3、実質的な狭さ:学んでも不法を行っていては、神の国にはいれません。聞いたことを行う信仰、みこころを行う信仰が必要です。マタイ福音書7章21節に「わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。」とある通りです。