LOVE SUGITO RADIOは、杉戸キリスト教会の「のまちゃん牧師」によるラジオです。杉戸町に関すること、聖書に関すること等について話しています。杉戸町と宮代町を愛するラジオです。8回目の配信は、杉戸町のオススメ桜スポットについて、そして旧約聖書創世記1章前半から、天地創造のメッセージを語ります。円心の桜の写真はhttps://flic.kr/p/2fmWzoG
タグ: ポッドキャスト
LOVE SUGITO RADIO 2020-03-12
LOVE SUGITO RADIOは、杉戸キリスト教会の「のまちゃん牧師」によるラジオです。杉戸町に関すること、聖書に関すること等について話しています。杉戸町と宮代町を愛するラジオです。6回目の配信は、杉戸近辺の桜の穴場スポット、やり場のない怒りやストレスがたまった時にオススメの聖書のメッセージを語ります。
https://anchor.fm/shinri-nomachi/episodes/LOVE-SUGITO-RADIO-2020-03-12-ebf8jc/a-a1mgu9l
LOVE SUGITO RADIO 2020-03-11
LOVE SUGITO RADIOは、杉戸キリスト教会の「のまちゃん牧師」によるラジオです。杉戸町に関すること、聖書に関すること等について話しています。杉戸町と宮代町を愛するラジオです。5回目の配信は、3.11東日本大震災を覚えつつ、エレミヤ書31章から聖書のメッセージを語ります。
https://anchor.fm/shinri-nomachi
ポッドキャストアプリで視聴なさる方は、以下のrssを登録してください。
https://anchor.fm/s/14e0527c/podcast/rss
礼拝メッセージ「額の印」
聖書箇所:ヨハネの黙示録7章1ー8節
また私は見た。もうひとりの御使いが、生ける神の印を持って、日の出るほうから上って来た。彼は、地をも海をもそこなう権威を与えられた四人の御使いたちに、大声で叫んで言った。「私たちが神のしもべたちの額に印を押してしまうまで、地にも海にも木にも害を与えてはいけない。」それから私が、印を押された人々の数を聞くと、イスラエルの子孫のあらゆる部族の者が印を押されていて、十四万四千人であった。黙示録7章2-4節
災いが起こる前に、神のしもべたち(真の信仰者)の額に印が押される未来が啓示されています。似たような光景は、旧約聖書エゼキエル書9章にも啓示されています。
『主は彼にこう仰せられた。「町の中、エルサレムの中を行き巡り、この町で行われているすべての忌みきらうべきことのために嘆き、悲しんでいる人々の額にしるしをつけよ。」また、私が聞いていると、ほかの者たちに、こう仰せられた。「彼のあとについて町の中を行き巡って、打ち殺せ。惜しんではならない、あわれんではならない。年寄りも、若い男も、若い女も、子どもも、女たちも殺して滅ぼせ。しかし、あのしるしのついた者にはだれにも近づいてはならない。まずわたしの聖所から始めよ。」そこで、彼らは神殿の前にいた老人たちから始めた。』エゼキエル9章4-6節
「神が悲しまれることを悲しむ心があるかどうか」額の印においては、それだけが問われています。
礼拝メッセージ「だれにも数えきれない人々」
礼拝メッセージ「だれにも数えきれない人々」(クリックで聴けます)
聖書箇所:ヨハネの黙示録7章1ー17節
その後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。彼らは、大声で叫んで言った。「救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある。」黙示録7章9-10節
日本のようにキリスト者が少数派である国の人たちは、閉塞感に囚われてこう言うかもしれません。「天国には少ない人たちしかいない。天国はとても寂しい場所だ」と。
けれども聖書は、今どんなに教会に集う人たちが少なくても、最終的には世界中のあらゆる国民から、だれにも数えきれない人々が天国に招き入れられている素晴らしい未来を啓示しています。
だれにも数えきれない人々。それは「さあ天を見上げなさい。星を数えることができるならそれを数えなさい。あなたの子孫はこのようになる」と約束されている神のビジョンではないでしょうか。
★「普通の人にイエス・キリストの福音を届け、星の数ほどの人たちと一緒に天国に行く」
これがキリスト教会に呼び集められた私たちに、主なる神が与えてくださっているワクワクするビジョンです。
教会創立記念礼拝メッセージ「万物の創造主」
教会創立記念礼拝メッセージ「万物の創造主」(クリックで聴けます)
聖書箇所:ヨハネの黙示録4章1ー11節
「主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。あなたは万物を創造し、あなたのみこころゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。」黙示録4章11節
手に入れた形あるものも、やがて失い、やがて過ぎ去り、やがて消え去る。そんなこの世の無常さを、いやというほど感じていたとしても、上を向いて、天を見上げるなら、雲のむこう側には、変わらない希望の光がいつも輝いています。
黙示録4章は、今も天におられる、万物の創造主なる神の御座とその回りの現実を映写しています。
野獣の代表として獅子(ライオン)、家畜の代表として雄牛、鳥の代表として鷲、そして創造の冠としての人間。
万物を代表する4つの生き物が絶え間なく賛美をささげ、24人の長老たちがひれ伏しつつ拝んでいたのは、虹が取り巻く御座についておられ、永遠に生きておられ、宝石のように光を放っておられる万物の創造主でした。
聖書が語る救いとは、存在の成就です。決して滅びることのない永遠の存在とされること。いつまでも残る者とされること。それが聖書の語る救いです。
万物の創造主は、そのような救いを創造の目的として私たちを造り、そのような救いに向かって万物を、そしてあなたを、今も導いておられます。
礼拝メッセージ「冷たいか熱いかであれ」
礼拝メッセージ「冷たいか熱いかであれ」(クリックで聴けます)
聖書箇所:ヨハネの黙示録3章14−22節
また、ラオデキヤにある教会の御使いに書き送れ。『アーメンである方、忠実で、真実な証人、神に造られたものの根源である方がこう言われる。「わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。黙示録3章14-16節
想定外の大災害を防ぐためには、近い未来に何が起こるのかをきちんと想定し、具体的にイメージして備えることが大切です。そのためには「歴史を心に刻みつつ聖書に聞き従う」必要があります。なぜなら「聖書は時が来ると未来の出来事となる神の言葉」であり、「聖書信仰の本質は歴史を心に刻むこと」だからです。
冷たくもなく、熱くもない人。つまりなまぬるい人は、主イエスの口から吐き出されてしまいます。
深刻なのは、やがて主イエスに吐き出される人に、自覚がまったくないことです。まさに盲目となった裸の王様です。自分を欺き、現実から仮想現実(バーチャルリアリティ)へと逃避し、富んで豊かに生きているつもりになっているのです。
しかし主イエスは、愛する者をしかったり懲らしめたりなさるお方です。それが未来を見ることが私たちに許されている理由です。私たちは、主イエスに熱心に愛されている者として、熱心になって悔い改め、人生の向きを変えようではありませんか。
礼拝メッセージ「だれも閉じることのできない門」
礼拝メッセージ「だれも閉じることのできない門」(クリックで聴けます)
聖書箇所:ヨハネの黙示録3章7−13節
また、フィラデルフィヤにある教会の御使いに書き送れ。『聖なる方、真実な方、ダビデのかぎを持っている方、彼が開くとだれも閉じる者がなく、彼が閉じるとだれも開く者がない、その方がこう言われる。「わたしは、あなたの行いを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。なぜなら、あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。黙示録3章7-8節
未来を見るということは、主イエス・キリストを見ることです。
復活された主イエスは、11人の弟子たちと山の上で再会された時、こう言われました。
「わたしには天においても地においても、
いっさいの権威が与えられています。」(マタイ福音書28章18節)
その主イエスは「聖なる方、真実な方、ダビデのかぎを持っている方、彼が開くとだれも閉じる者がなく、彼が閉じるとだれも開く者がない」方です。
だから主イエスは、「わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。」と語ることができるお方なのです。
主イエスは、だれも閉じることのできない門を、私たちの前に開いてくださっています。それは日本とアジアと世界における、救いの門であり、天国の門であり、教会の門、つまり福音宣教の門です。
礼拝メッセージ「実はあなたは死んでいる」
礼拝メッセージ「実はあなたは死んでいる」(クリックで聴けます)
聖書箇所:ヨハネの黙示録3章1−6節
「わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、生きているとされているが、実は死んでいる。目をさましなさい。そして死にかけているほかの人たちを力づけなさい。わたしは、あなたの行いが、わたしの神の御前に全うされたとは見ていない。黙示録3章1-2節
「あなたは、生きているとされているが、実は死んでいる」という主イエスのみことばを心に留めながら、ルカ福音書15章に登場する、あの放蕩息子のお兄さんのことを、思い浮かべてみましょう。
人間的に見れば、お兄さんは家出するわけでもなく、父親に逆らうわけでもなく、毎日黙々と働く立派な息子さんでした。けれども、神の瞳に映ったお兄さんは、まさに「生きているとされているが、実は死んでいる」人でした。
死んでいなくて本当に生きているお兄さんならば、主イエスのように、父に向かって次のように言ったことでしょう。
「お父さん、弟は本当に愚かでした。今ではちゃんとした生活もままならない状態でしょう。でも、僕はあの子を探し出して、家に連れて帰ります。そのために、たぶん、僕の財産も使い果たしてしまうかもしれません。それでもいい。この家族に僕の弟を連れ戻しに行ってきます。」
(ティモシー・ケラー著『「放蕩」する神』より)
礼拝メッセージ「隠れたマナと白い石」
聖書箇所:ヨハネの黙示録2章12−17節
耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。わたしは勝利を得る者に隠れたマナを与える。また、彼に白い石を与える。その石には、それを受ける者のほかはだれも知らない、新しい名が書かれている。」』
黙示録2章17節
勝利を得る秘訣は、両刃の剣よりも鋭い主イエス・キリストの御言葉に聞き、悔い改める(考え方を判別して向きを変える)ことにあります。
『神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。』ヘブル4章12節
ペルガモの教会は、外なる敵に対しては立派に戦っていました。しかし内なる敵に負けていました。
人は金銭欲、物欲、食欲、性欲といった内なる欲望に支配された時、思いを遂げるために、都合のいい偽りの教えを信じて行動に移します。その時私たちは自分をだまし、自分を欺いて欲望の奴隷、神の敵となってしまうのです。
勝利を得る者に「偶像の神にささげた物」ではなく「隠れたマナ」を、「つまずきの石」ではなく新しい名が書かれた「白い石」を、主イエスは与えてくださいます。あなたはどうされますか?