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バベル Babel
聖書に記録された緊急祈祷課題発信について
★エステル記に記録されたエステルの緊急祈祷課題発信
行って、シュシャンにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食をしてください。三日三晩、食べたり飲んだりしないように。私も、私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。そこで、モルデカイは出て行って、エステルが彼に命じたとおりにした。エステル4章16−17節
★ヨナ書に記録されたニネベの指導者たちの緊急祈祷課題発信
ヨナはその町に入って、まず一日目の道のりを歩き回って叫び、「もう四十日すると、ニネベは滅ぼされる」と言った。そこで、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者から低い者まで荒布を着た。このことがニネベの王の耳に入ると、彼は王座から立って、王服を脱ぎ、荒布をまとい、灰の中にすわった。王と大臣たちの命令によって、次のような布告がニネベに出された。「人も、獣も、牛も、羊もみな、何も味わってはならない。草をはんだり、水を飲んだりしてはならない。人も、家畜も、荒布を身にまとい、ひたすら神にお願いし、おのおの悪の道と、暴虐な行いから立ち返れ。もしかすると、神が思い直してあわれみ、その燃える怒りをおさめ、私たちは滅びないですむかもしれない。」神は、彼らが悪の道から立ち返るために努力していることをご覧になった。それで、神は彼らに下すと言っておられたわざわいを思い直し、そうされなかった。ヨナ書3章4−10節
Spring has come to Japan after March 11
礼拝メッセージ「ノアの子孫たち The clans of Noah’s son」
礼拝メッセージ「ノアの子孫たち The clans of Noah’s son」(クリックで聴けます)
聖書箇所:創世記10章1節-32節
以上が、その国々にいる、ノアの子孫の諸氏族の家系である。大洪水の後にこれらから、諸国の民が地上に分かれ出たのであった。創世記10章32節
大洪水が全地に襲いかかった後のことです。ノアの息子たち、セム、ハム、ヤペテそれぞれの家族に、新しい命が次々と誕生しました。それは、人間の罪や恥をおおってくださる神の恵みでした。
今、東北地方太平洋沿岸を中心とする被災地において、妊婦さんの存在や赤ちゃんの誕生が人々に計り知れない慰め、思いやり、そして生きる力を与えているように、ノア夫婦と3人の息子夫婦は、子どもたちや孫たちから元気や勇気をもらい、「また、再建しましょう!」と力を合わせ、再建が続けられました。
創世記10章には、そのようにして歩み続けたノアの子孫たちの歴史が記されています。2節からはヤペテの子孫、6節からはハムの子孫、21節からはセムの子孫が、それぞれ氏族、国語、地方、国ごとに記録されています。
しかし大震災の後、今私たちが注目すべきは、「何を指針として再建すべきか」です。ハムの子孫は神に反逆しつつ再建し、バベルを築くニムロデ、ペリシテ人、カナン人、ソドム、ゴモラを生み出しました。一方、セムの子孫は神に従って再建を試み、アブラハム、ダビデ、そしてイエス・キリストへとつながる再建となりました。
Sugito Jesus Junior – Youth Praise and Worship
主イエスは、逃げない
礼拝メッセージ「ノアの息子たち The sons of Noah」
礼拝メッセージ「ノアの息子たち The sons of Noah」(クリックで聴けます)
聖書箇所:創世記9章18−29節
ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。カナンの父ハムは、父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた。それでセムとヤペテは着物を取って、自分たちふたりの肩に掛け、うしろ向きに歩いて行って、父の裸をおおった。彼らは顔をそむけて、父の裸を見なかった。創世記9章21-23節
巨大地震・津波・火災などで被災された方々の上に、大きな慰めと支え、何より救いがありますようにと祈ります。
一年に渡る大洪水の後、箱舟から降り、再び大地を踏みしめたノアは、緊張の糸が切れ、ぶどう酒に酔っぱらい、裸になって寝てしまいます。
レビ記20章17節のように、「裸を見る」という表現が「性的関係を持つ」ということなら、ノアの息子ハムは、酔って裸でいる父に性的いたずらをしたとの理解が可能です。酔いからさめ、末の息子が自分にしたことを知ったノアが厳しくハムをのろったことを覚えるなら、おそらくそうでしょう。
とにかくハムは、父の恥を覆うことをせず、かえって父をバカにした態度で、兄たちに父の恥を告げます。けれどもセムとヤペテは、父の裸を見ないように、うしろ向きに行って父に着物を掛けました。
どんな立派な人であっても、弱さや恥があり、失敗や過ちを犯してしまうことでしょう。しかし恵みの神は、私たちに義の衣をそっと掛けてくださいます。私たちの罪や恥を覆い、救ってくださるためです。