受難日に

受難週に、特に主イエスが十字架で死なれた受難日・聖金曜日に、
私たち人間の内側・心の奥底に潜んでいる罪深さを改めて覚えている。
普通の人間の内にある心の闇、罪深さは、
条件さえ整えば外側に言動となって吹き出す。
しかしそれ以前においても、
主イエスが教えてくださった主の祈りによって、最も明瞭に暴き出される。
天からの啓示・神の言葉という強力なスポットライトによって、
闇に紛れていた的が照らし出される時、
初めて何が的外れ・罪なのかが明らかにされる。
見事に的を照らし出している主の祈りを裏返すと、
私たち罪人の内にあるエゴイスティックで邪悪な願望が、以下のように明文化される。
「私の名前があがめられるように。
 私を中心とした私の国が来るように。
 私の心願が成就するように。地においても天においても。
 私は己の力と悟りによって今日も収入を得、自力で糧を得ることができる。
 神など必要ない。
 誰でも私に罪を犯す者は、決して赦さないでいつか必ず報復してやる。倍返しだ。
 私は自力であらゆる誘惑に打ち勝ち、己を己によって悪から救い出そう。
 救い主・キリストなど必要ない。私が救い主だ。
 国と力と栄え、世界に満ちているすべてのものは、私のものだ。」
 
これほど自己中心な祈りがあるだろうか。
これほど自分勝手な祈りがあるだろうか。
これほど的外れな祈りがあるだろうか。
これほど悪魔的な祈りがあるだろうか。
そして罪人にとって、これほど自然な祈りがあるだろうか。
これは神を神とせず、 自分が神になることを願う祈り。
これは神を第一とせず、自分を第一とする祈り。
これは神を中心とせず、自分を中心にする祈り。
これは神の義を求めず、自分の義を求める祈り。
これは心を尽くして自分に拠り頼み、自分の悟りにたより、主なる神を認めない祈り。
この内容と方向性こそが聖書が語っている罪。
そしてこれが、私たち人間が、
人となられた神の御子・主イエス・キリストを十字架につけて殺した動機。
絶対にこの祈りに意識的にアーメンと言ってはならない。
主の祈りを己の祈りとすることによって、この罪に立ち向かい続け、
罪と死に勝利された主イエスによって、この罪に勝利しなければならない。

礼拝メッセージ「道」

礼拝メッセージ「道」(クリックで聴けます)
聖書箇所:ヨハネ福音書14章1ー11節

1「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。2 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。3 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。4 わたしの行く道はあなたがたも知っています。」5 トマスはイエスに言った。「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう。」6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。7 あなたがたは、もしわたしを知っていたなら、父をも知っていたはずです。しかし、今や、あなたがたは父を知っており、また、すでに父を見たのです。」8 ピリポはイエスに言った。「主よ。私たちに父を見せてください。そうすれば満足します。」9 イエスは彼に言われた。「ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、あなたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください』と言うのですか。10 わたしが父におり、父がわたしにおられることを、あなたは信じないのですか。わたしがあなたがたに言うことばは、わたしが自分から話しているのではありません。わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざをしておられるのです。11 わたしが父におり、父がわたしにおられるとわたしが言うのを信じなさい。さもなければ、わざによって信じなさい。ヨハネ福音書14章1−11節

バイブルフォト イザヤ40

バイブルフォト イザヤ40

イースター召天者記念礼拝メッセージ「死者を生かす神」ローマ10

イースター召天者記念礼拝メッセージ「死者を生かす神」ローマ10(クリックで聴けます)
聖書箇所:ローマ人への手紙4章17ー25節

17 このことは、彼が信じた神、すなわち死者を生かし、無いものを有るもののようにお呼びになる方の御前で、そうなのです。18 彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。それは、「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父となるためでした。19 アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。20 彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、21 神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。22 だからこそ、それが彼の義とみなされたのです。23 しかし、「彼の義とみなされた」と書いてあるのは、ただ彼のためだけでなく、24 また私たちのためです。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。25 主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。 ローマ4章17-25節

パウロがローマ人への手紙において語るアブラハムの姿は、罪や不信仰がおおわれたアブラハムの姿です。
おおわれる前のアブラハムの姿は、創世記17章17節に以下のように記録されています。

アブラハムはひれ伏し、そして笑ったが、心の中で言った。「百歳の者に子どもが生まれようか。サラにしても、九十歳の女が子を産むことができようか。」

クリスマス礼拝メッセージ「いのちの書」

クリスマス礼拝メッセージ「いのちの書」(クリックで聴けます)

聖書箇所:ヨハネの黙示録20章1ー15節

また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行いに応じてさばかれた。それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。黙示録20章12-15節

今年は東日本大震災等によって、多くの方々が亡くなられました。残された方々の上に慰めを祈りつつ、聖書が啓示する死の向こうの未来を、勇気を持って見つめたいと思います。

まず、この地上の生き方が、死の向こうの未来に大きく影響します。「自分の行いに応じてさばかれた」と繰り返し語られているからです。

次に、いのちの書に名のしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれてしまいます。(15節)

最後に、あなたの名前をいのちの書に記すために、クリスマスにイエス・キリストが与えられました。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ福音書3章16節)

牧師が意訳したSteve Jobsの言葉

Your time is limited, so don’t waste it living someone else’s life.
あなたに与えられている時間(この地上の人生)には限りがあるんだ。だからあなたの人生を生きることによって、貴重な時間を無駄にしないでほしい。

Don’t be trapped by dogma — which is living with the results of other people’s thinking.
他人が無責任に導き出した結論なんかに、絶対縛られないでほしい。

Don’t let the noise of others’ opinions drown out your own inner voice.
「あなたの内に語りかけるゴーストのささやき」をかき消してしまう他人の雑音なんか無視すればいい。

And most important, have the courage to follow your heart and intuition.
一番大切なことは、あなたの心(ハート)と直感(ゴーストのささやき)に勇気を持って聴き従うことだ。

They somehow already know what you truly want to become.
内なるささやきは、あなたが本当に願っていることを誰よりもよく知っているからね。

Everything else is secondary.
本当に優先すべきことが第一で、ほかのすべては二の次だよ。

by のまちゃん牧師

イースター歓迎礼拝メッセージ「勝利者なる神」

勝利者なる神

イースター歓迎礼拝メッセージ「勝利者なる神」(クリックで聴けます)

聖書箇所:イザヤ53章10−12節

彼(イエス・キリスト)は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。イザヤ53章11節

イエス・キリストは、勝利者です。主イエスが勝利者であるということを、順番に考えてみましょう。

1、死に打ち勝たれた勝利者

 私たちのため十字架で死なれたイエス・キリストは、墓に葬られよみにくだられましたが、3日目(日曜日)によみがえられ、今も生きておられます。イエス・キリストは、死に勝利されたのです。主イエスを信じる時、私たちも死に勝利することができます。その時、死は終わりではなく、新しいいのちの始まりとなります。

2、悪魔に打ち勝たれた勝利者

 イエス・キリストは、私たちのすべての罪を背負って十字架で死なれ、復活されたことを通して、悪魔に勝利されました。主イエスを信じる時、私たちも悪魔に勝利することができます。

3、罪(虚偽、高慢、怠惰)に打ち勝たれた勝利者

 イエス・キリストは、罪(虚偽、高慢、怠惰)に打ち勝って十字架で死なれました。それは私たちのすべての罪を十字架に釘付けにし、葬り去るためでした。主イエスを信じる時、私たちも新しく生まれて、罪に勝利することができます。

Because He Lives 主イエスが生きておられるから

Because He Lives ~ William and Gloria Gaither ~

日本語訳歌詞(1番)
 神は人を 愛されて     そのひとり子を この世におくり
 私たちの 罪のために    十字架につけて くださった
 主は今  生きておられる  我が内に    おられる
 すべては 主の御手にあり  明日も生きよう 主がおられる

英語の歌詞と試訳

God sent His son, they called Him Jesus. He came to love, heal, and forgive.
He lived and died to buy my pardon, An empty grave is there to prove my Savior lives.

神はひとり子を遣わされ、その方はイエスと呼ばれた。愛するため、いやすため、そして赦すために、彼は来られた。彼は生きて死なれた。私の恩赦を買うために。そして空っぽになった墓は、私の救い主が、今も生きておられることを証明している。

Because He lives, I can face tomorrow. Because He lives, All fear is gone.
Because I know He holds the future, And life is worth the living just because He lives.

主イエスが生きておられるから、私は明日に立ち向かえる。主が生きておられるから、すべての恐れは逃げ去る。 主は生きておられ未来を御手の中に握っておられるから、人生は生きるに値する。

How sweet to hold a newborn baby, And feel the pride and joy he gives.
But greater still the calm assurance, This child can face uncertain days because He lives.

新しく生まれた赤ちゃんをだっこすることは、なんと嬉しいことだろうか。彼が与えてくれるプライドと喜びを、私は味わっている。しかしそれよりも素晴らしい静かな心と穏やかな確信。主イエスが生きておられるから、この子も不確かな日々に向かって生きていける。

Because He lives, I can face tomorrow. Because He lives, All fear is gone.
Because I know He holds the future, And life is worth the living just because He lives.

主イエスが生きておられるから、私は明日に立ち向かえる。主が生きておられるから、すべての恐れは逃げ去る。 主は生きておられ未来を御手の中に握っておられるから、人生は生きるに値する。

And then one day I’ll cross the river, I’ll fight life’s final war with pain.
And then as death gives way to victory, I’ll see the lights of glory and I’ll know He lives.

ある日私は、川を向こう岸に向かって横切ることになり、痛みを伴う人生最後の戦いを戦う。そして死が勝利への道を与えるその時、主の栄光を見て、主イエスが生きておられることを知るだろう。

Because He lives, I can face tomorrow. Because He lives, All fear is gone!
Because I know He holds the future, And life is worth the living just because He lives!

主イエスが生きておられるから、私は明日に立ち向かえる。主が生きておられるから、すべての恐れは逃げ去る。主は生きておられ未来を御手の中に握っておられるから、人生は生きるに値する。

2011年のイースター歓迎礼拝のために 杉戸キリスト教会牧師 野町真理

勝利者なる神

勝利者なる神