YouTube Bible Message

杉戸キリスト教会地図2016

万引き家族と神の家族

井上貴詞先生

井上貴詞先生(東京基督教大学国際キリスト教福祉学科准教授)の講演「神の家族の新たな『かたち』を求めて」を月曜日に聴いた後、気になっていた映画「万引き家族」をどうしても観なければという思いになり、火曜日に観て来ました。

「万引き家族」は、結婚関係にない大人たちと血のつながりのない子どもたちが、生きていくために互いを必要とし、一緒に集まり、本当の家族のように毎日共に生きるという映画です。一緒に住んでいる家族に捨てられたおばあちゃんの年金をあてにしながら、日雇い労働者の大人と親に捨てられた子どもが協力して万引きをし、何とか食いつないでいます。それでも、血のつながりのある家族から虐待され、寒い中ベランダでお腹を空かして凍えている女の子を見た時、見て見ぬ振りができず、思わず一緒に連れて帰り、アイロンで焼かれた火傷の痛みを共有する優しい家族です。

全体を通して、「血のつながりのある家族が、果たして本当の家族になっているのか?」「血のつながりのある家族の元に帰れば、本当に幸せに暮らせるのか?」という真剣な問いかけがなされていました。この映画が世界に認められたということは、世界中で血のつながりのある家族が崩壊しているということでしょう。DV、虐待、遺棄、ネグレクトなどによって。そして、何とかその日を生き抜くために、血のつながりはないけど共に生活しながら、本当の家族を切に求めている人々が多くいることでしょう。講演で聴いた真剣な問いかけ、「世界中の人々が必死になって、本物の家族や人間の尊厳を切に求めているのに、教会は神の家族に本当になっているのか?その必要に応えているのか?」が、改めて重く響きます。

子どもに対する優しい一声が、すべてを変え始める

万引き家族に転機となった出来事がある。駄菓子屋のおじさんが、万引きをして立ち去ろうとする子どもに声をかけ、商品をプレゼントしながら、「妹にはさせるなよ。」とお兄ちゃん役の子どもに優しい声をかける場面だ。それまで見て見ぬ振りをしていた店のおじさんの、子どもに対する優しい一声が、すべてを変え始める。

その後、父親役が駐車してある車のガラスを割って、中のものを盗もうとした時、その子は幼く尋ねる。「これは店に並べてあるものじゃないから、誰かのものだよね。」そして一緒に犯罪を続けることから距離を置こうとする。「店に並べてあるものはまだ誰のものでもない。だから万引きすることは悪いことではない。」と父親役に教えられ、万引き常習犯として生きていた少年の方向転換が始まった。

その後、妹を外で待たせ、自分だけ店に入って万引きをしようとした時、妹が店に入ってきてまた万引きをしようとする。恐らくその時、「妹にはさせるなよ。」というあの優しい言葉が少年の心に響いたのだ。そして「こんなことしてちゃダメだ!」と心の中で叫んだのだろう。だからその時、妹をかばうように、わざと商品を落として店員の注意を引きながら、商品を持って逃げるという行動に出た。わざと捕まることで、少年は終止符を打ちたかったのだ。子どもに対する優しい一声が、すべてを変え始める。

福祉が教会に近づいている

SUGITO GOSPEL CAFE HD 2018-02-09 ハイデルベルク信仰問答1

聖書 新改訳2017

聖書新改訳2017

宗教改革500周年記念で出版されたばかりの聖書新改訳2017が届き、早速いろんな箇所を読んでいます。

まず詩篇1篇3節。
すごい!「水路のそばに植わった木」から「流れのほとりに植えられた木」に新改訳。自分で植わったわけではなく、植えられた(受身形)であることが明確になりました。「流れのほとり」という表現もとても素敵です。

その人は
流れのほとりに植えられた木。
時が来ると実を結び
その葉は枯れず
そのなすことはすべて栄える。

次に創世記15章5節。
「星を数えることができるなら、それを数えなさい」が「星を数えられるなら数えなさい。」に新改訳。とてもスッキリしました。

そして主は、彼を外に連れ出して言われた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えられるなら数えなさい。」さらに言われた。「あなたの子孫は、このようになる。」

さらに創世記15章6節。
旧約聖書の創世記に記されている信仰義認の箇所です!
「彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。」でしたが、「アブラムは主を信じた。それで、それが彼の義と認められた」という表現になりました。信じたことが義と認められた理由であるということがしっかり伝わってきます。

アブラムは主を信じた。それで、それが彼の義と認められた。

新約聖書も見てみましょう。

聖書新改訳2017。マタイ福音書1章で、一番インパクトがあった変更点は、「バビロン移住」を「バビロン捕囚」としたことです!日本においては、「終戦」を「敗戦」と改訳したほどのインパクトではないでしょうか。旧約聖書に書き記されたイスラエルの歴史に耳を傾けると、自らの罪と恥の結果、主なる神の怒りを買い、無条件降服、そして強制連行によってバビロン捕囚に至る経緯が明記されています。自らの罪をごまかしたり、なかったことにしたり、お茶を濁すような曖昧な言葉ではなく、ごまかさない、なかったことにしない、お茶を濁さないこの新改訳2017の言葉こそ、ルターが語った「日々悔い改め」の初めの一歩ではないでしょうか。

マタイ福音書2章18節。
東日本大震災の後に日本で出版される日本語訳の聖書として、心に響きます。

「ラマで声が聞こえる。
むせび泣きと嘆きが。
ラケルが泣いている。その子らのゆえに。
慰めを拒んでいる。
子らがもういないからだ。」

マタイ福音書6章34節。
「だから、あすのための心配は無用です。」が「ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。」に新改訳!心配性の私たちに優しく寄り添う素敵な訳です。

ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。

同じくマタイ福音書の18章3節。なんと「悔い改めて」を「向きを変えて」に新改訳!これで「悔い改める」という聖書的専門用語の意味が明快に伝わってきます。素晴らしいですね。

こう言われた。「まことに、あなたがたに言います。向きを変えて子どものようにならなければ、決して天の御国には入れません。

放蕩息子のたとえと言われるルカ福音書15章の20節。
「走り寄って彼を抱き、口づけした。」が「駆け寄って彼の首を抱き、口づけした。」に新改訳。
「走り寄る神」というメッセージ題がありましたが、今度は「駆け寄る神」ですね。

こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとへ向かった。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、駆け寄って彼の首を抱き、口づけした。

ローマ人への手紙12章1−2節はどうでしょうか。
すごい!「自分を変えなさい」が「自分を変えていただきなさい」に見事に新改訳され、原文の受身形が鮮明になりました!

ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。

コリント人への手紙第一12章21節はどうでしょうか。

これまでの訳だと、以下のようでした。

そこで、目が手に向かって、「私はあなたを必要としない」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない」と言うこともできません。

新改訳2017では、以下のようになりました。

目が手に向かって「あなたはいらない」と言うことはできないし、頭が足に向かって「あなたがたはいらない」と言うこともできません。

すぐに「あなたはいらない」という言葉が多用される今の日本にとって、まさに必要な翻訳ではないでしょうか。

コリント人への手紙第一15章14節はどうでしょうか。

以前の訳では、以下のようになっていました。つい先日メッセージしたのですが、「実質のないもの」というとても難しい言葉が使われていました。

そして、 キリストが復活されなかったのなら、 私たちの宣教は実質のないものになり、 あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。

新改訳2017では、以下のようになりました。シンプルで、とてもわかりやすい訳に感謝です!

そして、キリストがよみがえらなかったとしたら、私たちの宣教は空しく、あなたがたの信仰も空しいものとなります。

コリント人への手紙第二4章17節はどうでしょうか。

今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。

が、以下のように改訳されました!

私たちの一時(いっとき)の軽い苦難は、それとは比べものにならないほど重い永遠の栄光を、私たちにもたらすのです。

今の時の苦難がずっと続くかのように思い込んでしまいやすいのですが、「一時(いっとき)の軽い苦難」と訳してくれると、本当に救いになりますね。乗り越えていく力、立ち向かっていく勇気が与えられます!

ガラテヤ人への手紙2章16節はどうでしょうか。
以前の新改訳では、

「しかし、人は律法の行いによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。これは、律法の行いによってではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行いによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。」

でしたが、以下のように新しく改訳されました。

しかし、人は律法を行うことによってではなく、ただイエス・キリストを信じることによって義と認められると知って、私たちもキリスト・イエスを信じました。律法を行うことによってではなく、キリストを信じることによって義と認められるためです。というのは、肉なる者はだれも、律法を行うことによっては義と認められないからです。

まだまだほんの部分的な読み比べですが、全体的に日本語がよりこなれて、とてもわかりやすくなったという印象を受けました。聖書 新改訳2017、聖書を新しく買うことを考えておられる方々にぜひオススメです。

関東宣教区における開拓伝道の可能性

野町真理(ノマチシンリ) 関東宣教区長、杉戸キリスト教会牧師

関東宣教区は、群馬、埼玉、そして東京都内にまたがっています。

群馬には安中聖書教会と高崎福音キリスト教会があり、太田などにもう一つ開拓できると面になります。

埼玉では、先日、西部にある原市場聖書教会が独立記念礼拝を行うことができました。原市場聖書教会は、高麗聖書教会の教会レベル開拓によって生み出されました。続く足立愛の教会は、埼玉の越谷にて伝道を始めています。

また、TEAM宣教師のスティーブ・バーン師が和光に移り住み、開拓伝道の導きを祈り求めておられます。大宮や新都心といった埼玉中心部には同盟の教会がまだありませんが、都市伝道の必要があります。

都内では豊洲に近い枝川愛の教会において都市伝道の可能性が大です。都内には北区と練馬区にそれぞれ2つ、足立区、江東区、中野区、豊島区、板橋区にそれぞれ1つ、各区の拠点として教会が建てられています。

(世の光のために書いた内容です。)

牧師家族夏休みグランドツーリング

牧師家族夏休みグランドツーリング

LEGACY B4

日時:2017年8月21日(月)から8月26日(土)
目的:夫婦それぞれの実家帰省、教会員お見舞い、杉戸キリスト教会出身の前原牧師夫妻訪問
走行距離:約2,395km
https://drive.google.com/open?id=1EHaTHynbm6vSclTTdnVpwkROcsE&usp=sharing
車種:スバルレガシィB4(セダン) 2.5iアイサイト(2010年5月発売モデル)
7年型落ちの中古車レガシィB4、第五世代レガシィのゆったりとした5人乗りセダンで、おじいちゃんおばあちゃんも一緒にドライブできました。
長距離運転でも疲れが少なく、アイサイトのおかげで高速移動も快適でした。
唯一の欠点はやや大きめのサイズかもしれませんが、ミニバンと比べたらそんなに大きいわけではありません。
パワーも十二分あります。山道の登りなどではS#モードにすればぐんぐん登ります。
サスペンションはふわふわではなくちょっと硬めですが、乗り心地は快適です。
室内の静寂性も十二分です。
気になる燃費は、効率の良いCVTのおかげで高速道路では約16km、一般道では約12kmぐらいです。

杉戸キリスト教会  から  長野県長野市 248km 妻の実家で1泊 おじいちゃんおばあちゃんと

長野県長野市    から  徳島ユースホステル 589km 中央道、名神、淡路島経由 徳島で1泊

徳島ユースホステル前の海

徳島ユースホステル

徳島ユースホステル から  高知県高知市  171km 高知で2泊 おじいちゃんおばあちゃん、そしてばあちゃんと
高知県高知市    から  天狗高原    93km
天狗高原      から  高知県高知市  116km

四国カルスト天狗高原

IMGP2430.jpg

四国カルスト天狗高原

天狗高原の牛

IMGP2420.jpg

IMGP2518.jpg

IMGP2522.jpg

IMGP2517.jpg

IMGP2554.jpg

高知のおじいちゃんとおばあちゃん

高知のおばあちゃんと

高知のおばあちゃんと

IMGP2609.jpg

高知のおじいちゃん

IMGP2622.jpg

IMGP2595.jpg

IMGP2603.jpg

IMGP2490.jpg

IMGP2457.jpg

唐岩番所跡

高知県高知市    から  松井病院    82km  教会員お見舞い
松井病院      から  広福音キリスト教会 232km しまなみ海道で前原牧師夫妻を訪問 呉のホテルで1泊

しまなみ海道多々羅大橋

レモンの島から見える瀬戸内海

こどもバザーゆうすずみかい

前原園長先生のあいさつ

広福音キリスト教会 から  杉戸キリスト教会 864km

牧師家族夏休みグランドツーリング2017

関東宣教区有志による伊豆大島プロジェクト2017-08

日本同盟基督教団・関東宣教区有志たちが、宣教師のフロンティアスピリットを学びに伊豆大島に行きました。

多くの方々の祈りと支援に支えられて、無事に帰ってくることができました。心より感謝します。

終始お世話になった「いずみのいえ」の古谷牧師ファミリーにも心から感謝します。どうもありがとうございました。

さるびあ丸

伊豆大島プロジェクト。行きは竹芝から「さるびあ丸」に乗り、船中泊でした。

岡田港から上陸

行きは岡田港から伊豆大島に上陸。

いずみのいえ1日目の朝

いずみのいえ1日目の朝。海を眺める素敵な時間。

いずみのいえ

IMGP2013.mp4

いずみのいえの展望台にて

ここからの眺めは最高です。夜にはムーン・リバーと満天の星空を見上げることができました。聖書(創世記15章5節)によると、数え切れない星の数ほどの人たちが天国に招かれています。

MOON RIVER

伊豆大島から天を見上げて

いずみのいえのチャペル

いずみのいえのチャペル。ピアノ、ギター、ドラムなど、楽器がありました。チャペルの後ろにはクライミングボードもあります。

クライミングボード

朝食後の分かち合い

大島元村教会の菅野牧師夫妻

河村冴牧師

大島元村教会にてお交わり

大島元村教会にて

移設された大島元村教会の旧会堂

終始お世話になったいずみのいえの古谷牧師

伊豆大島土砂災害で亡くなられた方々の献花台

1日で800ミリほどの豪雨があり、多くの方々が犠牲になりました。

伊豆大島土砂災害の爪痕

大島から伊豆半島眺望

これから三原山に登ります

かつて宣教師は波浮から元村まで徒歩で山越えをして、福音宣教、開拓伝道を行ったとのこと。少しでもそのスピリットを覚えるために、三原山に登りました。

三原山火口

ゴジラ

ゴジラは伊豆大島の三原山火口から出てきました!

いずみのいえ夕食はバーベキュー

最後に「くさや」が出ました!昔大島などでは米の代わりに塩を年貢として納めていたため、塩を自分たちで使うことはできませんでした。そのため、海水に腹を裂いた魚を入れて「くさや」を作り、塩分を取っていたようです。強烈な匂いの故に、好き嫌いがはっきり分かれます。台湾の臭豆腐のような強烈な匂いです。

地層大切断面

道路を建設していたら、このような地層が出てきたようです。

地層切断面にて

波浮教会

波浮教会会堂

波浮教会でのお交わり

波浮教会にて

歌の贈り物

波浮港 踊子の里

旧甚の丸邸

宣教師がここを宿として大島に福音宣教を行なったようです。

波浮港

アンコ椿は恋の花

トウシキ海岸にて海水浴

海坊主と海水浴

キリシタン「ジュリアおたあ」を偲ぶ十字架

筆島

いずみのいえにて記念撮影

帰りはジェット船にて

海上もラッシュ

飛行機もラッシュ

東京都心に近づくと、海上もラッシュ、飛行機もラッシュ。おそらく首都高もいつものようにラッシュ。さすが文化の中心、経済の中心、そして政治の中心としての世界的な都市TOKYOを覚えました。(ちなみにアメリカでは文化の中心と経済の中心と政治の中心は3つの都市に分散しています)

https://flic.kr/s/aHsm69xr8b

九州鹿児島ビジョントリップ2017-05

九州鹿児島ビジョントリップ2017-05

聖書が語るのは世界泥沼論!

日本泥沼論で終わっていたら、井の中の蛙!聖書が語るのは、世界泥沼論!

ユダヤ人も異邦人も同じ泥沼。日本もアジア諸国も、アメリカもヨーロッパもみんな泥沼。

全ての人間の心の中が泥沼である!つまり、あなたの心の中も泥沼である!

しかし、どんな泥沼であっても、福音の花は美しく咲き乱れ、いつまでも残る豊かな実を結ぶ。

ちょうど泥沼から美しく咲く蓮の花のように。

ペテロを始めとする12弟子たちは全員踏み絵を踏んだような弱い者たち。

主イエスを見捨てて全員逃げ出したから。

特にシモン・ペテロは、3回駄目押しのように、踏み絵を踏みにじったような弱い者。

しかし彼は、先行する恵み、先行する赦し、先行するとりなしによって立ち直り、兄弟たちを力づけることができる強い者、岩(ペテロ)へと変えられた!

ふさわしくない時・弱い時にあなたを愛して、将来必ずあなたをふさわしい者・強い者・勝利者に変えてくださる!これが聖書が語る福音。

泥沼から咲き出でる蓮

日本と世界への挑戦状

日本と世界への挑戦状

火曜日、レイトショーでサイレンス・沈黙を観た。

世界的に見ても非常に厳しいキリシタン迫害が起こった国、日本。

数々の拷問の中で呻き叫ぶキリシタンたち。神が沈黙されているようにしか思えないパーデレ(宣教師)たちの危機。問われる信仰の本質。

殉教する者と転ぶ(棄教する)者。強い者と弱い者。

沈黙という題であるが、踏み絵の前でためらっている時に、沈黙を破って聞こえてくる「踏めばいい」という声。

日本という土壌は、キリスト教の種子を根から腐らせてしまうという日本泥沼論。

棺桶の中に納められた元パーデレの遺体。仏式の葬儀の後、火葬される。その手に置かれた十字架の主イエスの木彫。

最後の誘惑のマーティン・スコセッシ監督が28年の歳月をかけて制作したこの映画は、日本宣教、そして世界宣教への挑戦状だ。

閉塞感に囚われた者は、神が沈黙しておられるようにしか感じられない。

小畑進著 小説「沈黙」論