カテゴリー: 関東宣教区
福音からズレないための聖書メモ
この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。実に、私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをあらかじめ備えてくださいました。エペソ人への手紙2章8−10節
ふさわしくない者(良い行いに歩めない者)が、ただ信仰によってのみ救われ、救われた者がふさわしい者(良い行いに歩む者)に変えられる!
イエス・キリストの福音を本当に理解すれば、神と隣人との関係が変えられる。神と隣人を憎んでいた者が、神と隣人を愛する者に変えられる。
日光紅葉ドライブ2018-10-22
MBC 2018 AUTUMN
松原湖バイブルキャンプにて、伝道懇談会、そして松原湖研修会
伝道懇談会:開拓から自立まで
主講師:中谷美津雄師 生駒めぐみ教会牧師
神の教会に仕えるしもべに
分科会5 宣教師との協力による開拓
ジム・ニールセン理事長(TEAM JAPAN)
松原湖研修会:聖書信仰と教会形成
開会礼拝:聖書信仰を受け取って:水草修治師
副理事長、苫小牧福音教会牧師、北海道聖書学院教師
天皇の代替わりと教会:派遣教師 山口陽一師、東京基督教大学学長
聖書信仰の喜び:菊池実師:八千代聖書教会牧師、東京基督教大学教授
聖書信仰の中身:水草修治師
聖会:教会の本質を求めて:趙南洙師、招待キリスト教会牧師
聖書信仰と教会形成:赤江弘之師:西大寺キリスト教会牧師、教団顧問
(ステント10本入れてエノクを目指す)
派遣礼拝:廣瀬薫理事長:東京基督教大学「派遣教師」
時が良くても悪くてもイエス様に従う
聖書に書かれている通りに信じること、聖書に書かれている通りにまっすぐときあかすことに困難が増している時代。永遠の滅び、さばき、地獄、悪魔、再臨といった聖書の教えは、ほとんど語られなくなっている現実。離婚、再婚、未信者との結婚、ネット倫理、性的少数者、生命倫理、未信者の死、自死、死刑制度の問題などにおいて、聖書信仰の実践は無意識に限定される状況もある。
教会開拓と教会支援
教会開拓と教会支援
関東宣教区壮年会主催の夏の集いに参加した教会のメンバーたちが、良い意味で大きなショックを受けて帰って来た。その原因は、井上貴詞先生の講演とともに、島村秀雄牧師(新狭山福音教会)によるバルナバ基金の受給報告にあった。
バルナバ基金とは、関東宣教区における教会開拓と教会支援のための基金である。将来教会開拓をするための基金であり経済的に厳しい教会を支援するための基金。関東宣教区における宣教協力の柱。それがバルナバ基金だ。
島村牧師は都内でタクシーの運転手をしながら、牧師として奉仕している。今の教会に赴任した時から、教会は経済的に非常に厳しい。毎週3日間ほど勤務して、1週間分の仕事をこなす。大切な日曜日の朝も、いつも徹夜明けで教会に戻り、礼拝奉仕をする。もし日曜朝にかけてのオールナイト勤務で、事故などが生じた場合には、礼拝時間までに戻れなくなる。そんな中バルナバ基金を受けることは、大きなゆとりと励ましになり、一度も礼拝奉仕を欠かすことなくここまで来ることができた。
教団全体でも、同じような問題を抱えた教会が多くある。一方で新しい教会の開拓がなされるが、もう一方では牧師が二足の草鞋を履きながら、必死で奉仕を続けている。教会開拓と教会支援。それぞれの働きが伝道部と教会支援部によって進められているが、いずれも困難を極めている。
これを読んだあなたも、ぜひ互いに支え合い、互いに助け合う教会形成の働きに加わってほしい。主イエスもこう言われる。「受けるよりも与えるほうが幸いである」と。
万引き家族と神の家族
井上貴詞先生(東京基督教大学国際キリスト教福祉学科准教授)の講演「神の家族の新たな『かたち』を求めて」を月曜日に聴いた後、気になっていた映画「万引き家族」をどうしても観なければという思いになり、火曜日に観て来ました。
「万引き家族」は、結婚関係にない大人たちと血のつながりのない子どもたちが、生きていくために互いを必要とし、一緒に集まり、本当の家族のように毎日共に生きるという映画です。一緒に住んでいる家族に捨てられたおばあちゃんの年金をあてにしながら、日雇い労働者の大人と親に捨てられた子どもが協力して万引きをし、何とか食いつないでいます。それでも、血のつながりのある家族から虐待され、寒い中ベランダでお腹を空かして凍えている女の子を見た時、見て見ぬ振りができず、思わず一緒に連れて帰り、アイロンで焼かれた火傷の痛みを共有する優しい家族です。
全体を通して、「血のつながりのある家族が、果たして本当の家族になっているのか?」「血のつながりのある家族の元に帰れば、本当に幸せに暮らせるのか?」という真剣な問いかけがなされていました。この映画が世界に認められたということは、世界中で血のつながりのある家族が崩壊しているということでしょう。DV、虐待、遺棄、ネグレクトなどによって。そして、何とかその日を生き抜くために、血のつながりはないけど共に生活しながら、本当の家族を切に求めている人々が多くいることでしょう。講演で聴いた真剣な問いかけ、「世界中の人々が必死になって、本物の家族や人間の尊厳を切に求めているのに、教会は神の家族に本当になっているのか?その必要に応えているのか?」が、改めて重く響きます。
子どもに対する優しい一声が、すべてを変え始める
万引き家族に転機となった出来事がある。駄菓子屋のおじさんが、万引きをして立ち去ろうとする子どもに声をかけ、商品をプレゼントしながら、「妹にはさせるなよ。」とお兄ちゃん役の子どもに優しい声をかける場面だ。それまで見て見ぬ振りをしていた店のおじさんの、子どもに対する優しい一声が、すべてを変え始める。
その後、父親役が駐車してある車のガラスを割って、中のものを盗もうとした時、その子は幼く尋ねる。「これは店に並べてあるものじゃないから、誰かのものだよね。」そして一緒に犯罪を続けることから距離を置こうとする。「店に並べてあるものはまだ誰のものでもない。だから万引きすることは悪いことではない。」と父親役に教えられ、万引き常習犯として生きていた少年の方向転換が始まった。
その後、妹を外で待たせ、自分だけ店に入って万引きをしようとした時、妹が店に入ってきてまた万引きをしようとする。恐らくその時、「妹にはさせるなよ。」というあの優しい言葉が少年の心に響いたのだ。そして「こんなことしてちゃダメだ!」と心の中で叫んだのだろう。だからその時、妹をかばうように、わざと商品を落として店員の注意を引きながら、商品を持って逃げるという行動に出た。わざと捕まることで、少年は終止符を打ちたかったのだ。子どもに対する優しい一声が、すべてを変え始める。