ローマにいる神に愛され召された聖徒たちへ 礼拝2023-01-15

悲しみつきざる浮世にありても

改めて、詩篇1篇に、ご一緒に耳を傾けてみましょう。

Psa. 1
1 幸いなことよ

悪しき者のはかりごとに歩まず
罪人の道に立たず
嘲る者の座に着かない人。

2 主のおしえを喜びとし
昼も夜も そのおしえを口ずさむ人。

3 その人は
流れのほとりに植えられた木。
時が来ると実を結び
その葉は枯れず
そのなすことはすべて栄える。

4 悪しき者は そうではない。
まさしく 風が吹き飛ばす籾殻だ。
5 それゆえ 悪しき者はさばきに
罪人は正しい者の集いに 立ち得ない。

6 まことに 正しい者の道は主が知っておられ
悪しき者の道は滅び去る。

弱い私たちは、知らず知らずのうちに、
みことばとみことばを語っておられる主ご自身を嘲る者の座についてしまっていることがあります。
アーメン(真実)である主が、上記のように語り、約束しておられるのに、
「そんな薄っぺらい信仰なのか!」と。

主のおしえ、つまり主イエス・キリストご自身のみことばを喜びとし(主と主のみことばを嘲る者にならず)、
昼も夜もみことばを口ずさみ、思い巡らすなら(主イエスを繰り返し心の王座にお迎えするなら)、
この大患難時代のような地上の人生の只中においても、ここがすでに天の御国、神の国になります。

なぜなら、ここにすでに主イエス・キリストが来られ、
共に痛み苦しみ、愛によって私たちのすべてをご支配なさるからです。

御国とは、死の向こうにある国だけではなく、
この地上の現実の只中で、本当に体験することができる国です。
「御国とは、主イエス・キリストの愛によるご支配」ですから。

聖歌467番「みくにのここちす」の歌詞の通りです。

悲しみつきざる   浮世にありても
日々主と歩めば   御国のここちす
ハレルヤ! 罪とが 消されしわが身は
いずくにありても  御国のここちす

主にありて
野町 真理

聖書全体を貫く3つの出来事

聖書全体(旧約聖書39巻、新約聖書27巻、創世記から黙示録までの66巻)を貫く3つの出来事

創造     ➡️ 堕落      ➡️ 再創造

万物の創造  ➡️ 人間の堕落   ➡️ 万物の再創造。罪人の悔い改め・方向転換から始まる。

創世記1:1 ➡️ ローマ3:23 ➡️ 黙示録21:5

Gen. 1:1 はじめに神が天と地を創造された。
Rom.3:23 すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、
Rev. 21:5 すると、御座に座っておられる方が言われた。「見よ、わたしはすべてを新しくする。」また言われた。「書き記せ。これらのことばは真実であり、信頼できる。」

人はなぜ「うつ」になるのか?

人はなぜ「うつ」になるのか?

1、「朝があり、夕があった」という逆転したリズムに従っている。

 解決法=聖書が奏でている「夕があり、朝があった」という恵みの2ビートに合わせて生活する

2、休みなく働き続けている。安息日をとっていない。

 解決法=聖書が奏でている7日ごとに休符・安息日が入る恵みの7ビートに合わせて生活する

3、頑張り続けている=我を張り続けている。神を神とせず、自分を神としている。
  神中心ではなく、自己中心。神を主人公とするのではなく、自分が主人公・神を演じている。

 解決法=自分を神とすることをやめて、神を神とする。自己中心から神中心へ。頑張ることをやめて、神にゆだねる。自分がコントロールすることをやめて、神(イエス・キリスト)に主導権を明け渡す。

御霊の実と自助努力の実

御霊の実は、神と隣り人に対する愛です。

しかし、御霊の実は、
愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。

このようなものに反対する律法はありません。
(新約聖書ガラテヤ人への手紙5章22−23節より)

自助努力の実は、他者に対する無関心です。

自助努力の実は、他者に対する無関心、閉塞感、恐れ、瞬間湯沸かし器、意地悪、殺意、裏切り、頑固、依存症です。
このようなものに反対するのが律法(聖書・バイブル)です。
(上記のみことばをひっくり返したことば)

あなたは、どちらの実を結びたいですか?

あなたがもし、イエス・キリストを信頼して心の中心に受け入れ、御霊に満たされるなら、御霊が御霊の実、愛という実を結んでくださる。

BLESSセミナーの3つの質問に対する私の答え

①これまで成し遂げたことで、最もやり遂げた充実感が高かったことは何か?

 登山:槍ヶ岳、八ヶ岳縦走、雲取山、両神山、筑波山、谷川岳、剣山、石立山、鴻ノ森
ハクサンイチゲと槍ヶ岳

SKY WALKING

秋の八ケ岳

雲取山

ある晴れた春の日の午後

 水泳:自由型クラスマッチ一位
 英語:ESS スピーチコンテスト入賞
 空手道:瓦割り、昇段審査、組手
karate

 車 SUBARU:高知帰省ファミリーツーリング
 バイク:房総半島一周ツーリング、ビーナスラインツーリング、利根川ツーリング

 自転車:江戸川サイクリング、古利根川サイクリング、利根川サイクリング(神崎まで)

 魚釣り:シーバス、ブラックバス、キビレ、鯉、鮒
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Carp Fishing in Sugito

 カメラ:PENTAX 風景写真、ネイチャーフォト

 ビデオカメラ:Go Pro、シネマティック映像

 電気・電子工学:半導体結晶成長、コンピューター・スマホ・タブレット:Mac、iPhone、iPad
 インターネット:ホームページ、ブログ、
         SNS、YouTube、Facebook、Twitter、インスタ
 音楽:ギター、ドラムス、ストリートライブ、ゴスペルカフェ
 メッセージ:礼拝、ゴスペルカフェ、聖書と祈り会
 神学:卒業論文『神の痛みの神学』のキリスト中心的理解
 伝道:魂の救いのために用いられること
 牧会:2組の夫婦を献身者として杉戸から送り出したこと
 国外宣教委員会:台湾ミッショントリップ、モンゴルミッショントリップ、南アフリカ和解の務め支援会、JAWS21 教会形成、アジア21、そして世界へ

 伝道部:国内宣教(教会開拓&教会形成) 鹿児島、熊本、宮崎 
九州鹿児島ビジョントリップ2017-05

 浜名湖バイブルキャンプ委員会 中高生キャンプ、小学生キャンプ、青年キャンプ

②私が現在、最も関心を持っているものは何だろうか?

 閉塞感からのブレークスルー そのための真剣な祈り

ブレークスルー・打ち破らせてくださるのは、私たちの王であり主であるイエス・キリスト!!!
打ち破る者=私たちの先頭に立って上って行かれる主イエス・キリストは勝利者!!!

ミカ書2章13節 打ち破る者は 彼らの先頭に立って上って行く。彼らは門を打ち破って進み、そこを出て行く。彼らの王が彼らの前を、主が彼らの先頭を進む。」
Mic. 2:13 The One who breaks open the way will go up before them; they will break through the gate and go out. Their King will pass through before them, the LORD at their head.”

詩篇18篇29節
29 あなたによって 私は防塞を突き破り 私の神によって 城壁を跳び越えます。
29 With your help I can advance against a troop; with my God I can scale a wall.

王の王、主の主であれられ、勝利者であられる主イエス・キリストに対する真剣な祈り

③条件さえそろえば、他の人のためにどんなことをしたいか?

 閉塞感に囚われた人・教会がブレークスルーする働きに関わりたい

創造主の作品としての万物について

創造主の作品としての万物について

アラスカ 永遠なる生命 星野道夫

アラスカの雄大な風景、そこに生きる動植物などに関する星野道夫さんの写真と文章は、実に素晴らしい。だからこそ、大変残念な点が一つだけある。それは、進化論に基づく世界観である。

進化論を突き詰めると、結果として万物の創造主としての神を否定することになる。そして、万物は偶然に存在しているという無意味な結論に至る。進化論は、真実と希望と愛を人から奪いつつ、無味乾燥な人間中心主義をもたらす。人間中心主義は、自己中心という罪に打ち勝つことができず自己中心主義になり、弱肉強食を肯定し、弱者の生存権を否定し、多様性を否定して人種差別をもたらし、地球規模の環境破壊をもたらす。

想像してほしい。カリブーやハクトウワシが、ムースやコヨーテが、ナヌークやグリズリーが、ジリスが、ザトウクジラが、オーロラが、ルース氷河が、長い冬と短い夏が、勿忘草が、そしてあなたが、本当に創造主の作品ではなく、偶然の産物なのだろうか?

想像してほしい。カメラやレンズや三脚が、偶然にできるだろうか?テントや丸太小屋や家が、腕時計や自転車が、セスナやヘリコプターが、テレビやラジオが、コンピューターやインターネットやスマートフォンが、長い時間をかけると偶然にできるだろうか?

バイブルが語る万物の創造主としての神が、万物を目的と意味と愛を込めてデザインし、メイクし、存在の喜びへと招き、生かしてくださっていると考え始める時、すべてが美しく輝いて見えるようになる。

なぜ神さまは、悪魔や悪者をそのままにしておられるのか?

アカヤシオの季節 with PENTAX K-5

ロシアがウクライナに軍事侵攻を続けている今、「なぜ神さまは、プーチン大統領のような悪者をそのままにしておられるのか?」と疑問に思っておられる方も多いのではないか。実際あまりにも多くの血が、毎日のように流れ、100万単位の難民が祖国を追われ、流浪の民になっている。一刻も早く、この愚かで悲惨な戦いが止みますようにと、私も切に祈っている。

実は聖書を読んでいると、「なぜ神さまは、悪魔や悪者をそのままにしておられるのか?」という疑問が必ず起こる。なぜなら神さまは、悪魔に対して限定付きで悪事を働くことを許可されるし(旧約聖書ヨブ記冒頭参照)、悪事を働いていている悪者を放任しておられるような時が実際に多く見られるからである。

例えば最後の晩餐と言われる時(新約聖書ヨハネ福音書13章参照)、悪魔が暗躍し、イスカリオテのユダを操り、イエスを裏切ること・引き渡すことへと誘う。

「なぜ神さまは、悪魔や悪者をそのままにしておられるのか?」J.R.R.トールキンの書いた指輪物語(ロード・オブ・ザ・リング)は、この問題を取り扱っている。指輪物語には、ゴラムという悪者が登場する。ホビットのフロドは、狡猾なゴラムを殺そうとするが、魔法使いのガンダルフがそれを止める。「どんな悪者にも役割がある」とフロドを諭しながら。

あらゆる力を手にすることができる指輪を葬り去るために、フロドは仲間と共に旅を続ける。ネタバレになってしまうが、最後の最後で、フロドは指輪の持つ魔力に囚われ、指輪を滅ぼすことができなくなってしまう。その時あのゴラムがフロドに襲い掛かり、指輪争奪戦が始まる。ついに指輪を奪い取ったゴラムは、足を滑らせ、指輪と共に灼熱のマグマに落ちていく。結果的に悪者であるゴラムのおかげで、フロドと旅の仲間たちは、指輪を葬り去ることに成功するのである。

実は聖書が語る救済史においても、同じようなことが起こったのだ。悪魔とその手下となったイスカリオテ・ユダという悪者の存在が、結果的に主イエス・キリストを十字架の死へと向かわせることになるのである。そして、罪のない主イエスが、罪人の身代わりとして十字架で死なれることを通して、救いが完成し、新しい契約が成就し、主イエス・キリストは、死と悪魔と罪に勝利することができたのである。