横浜の大桟橋埠頭は歴史的な場所です。日本同盟基督教団の礎となった最初の宣教師たちも、日本を愛する情熱と夢と使命に押し出され、多大な犠牲を払って、ここに降り立ちました。国外宣教は私たちの救いの原点であり、日本の教会の原点です。
カテゴリー: 目的志向の旅 PURPOSE DRIVEN JOURNEY
ますます英語力などが必要となる時代
My Life Is In Your Hands
怒りや憎しみに支配されているあなたへ
IN GOD’S HANDS(イン・ゴッズ・ハンズ)
ジョーズ(JAWS)という言葉には、以下の3つの意味がある。
1、1975年公開のアメリカ映画。
2、英語で「顎」(あご)という意味。
3、アメリカ合衆国ハワイ州のマウイ島の東側の沖に発生する、世界でも最大級のうねり。
JAWS(ジョーズ)と呼ばれる伝説のビッグウエーブに、命をかけて挑戦していくトップ・プロサーファーたちのドラマ、IN GOD’S HANDS(イン・ゴッズ・ハンズ)。スタントなし、本物のサーファーたちが主役を演じる素晴らしい映画です。死という問題も真っ向から取り上げています。
実は私、愛知県豊橋市にいた時、ある方の勧めでサーフィンをほんの少しだけ体験したことがあります。遠州灘にはサーフィンができるいい波が打ち寄せているのです。立つことが出来ず、ボディボードのようにしか乗れませんでしたが、ザビエル野町というあだ名と共に、波乗り牧師と呼ばれたこともあります。
今は、主イエス様の大宣教教育命令に従って、主なる神が起こされる世界最大級のうねり、JAWSに乗って、JapanとAsiaとWorldに仕えるServant、波乗り牧師を目指します。
世界最大級の波、JAWSに乗ってワールドミッションサーフィンをするためには、情熱と共に、熟練技術が必要不可欠である。
自ら波を作ろうなどと不可能なことに力を注ぐと、徒労に終わる。
労苦奮闘しても、熟練技術を身につける努力を怠っているなら、大波が来ても、乗ることが出来ず、波に呑まれてしまう。
伝道者の書に「もし斧が鈍くなったとき、その刃をとがないと、もっと力がいる」と記されている通り。
JAWSに乗る、すなわち、日本(Japan)と、アジア(Asia)と、世界(World)に仕えるしもべ(Servant)となるためには、聖書通読、聖霊に満たされ続ける祈り、礼拝する日常、聖書研究といった、日々の地道な訓練によって、体力、気力、バランス感覚、霊的判断力などを磨き上げなければならない。
P.S.杉戸にはRADIXというサーフショップがあります。
DRUMS IN THE CHAPEL
真のセキュリティ
真のセキュリティ
所有欲・物欲が、人生のすべて(人生のゴール・目的)となってしまう場合があります。もっと所有できたとしたら、もっと幸せになれ、もっと偉くなれ、もっと安全(セキュリティ)を得ることが出来るといった考えは、ウソです。一時的な幸せしか、所有物(モノ)はもたらしてくれないのです。
なぜなら既に得たモノは古くなっていくので、やがて私たちはそれらに飽き、もっと新しいもの、もっと大きいもの、もっと良いバーションのものを、次に欲しがることになるからです。
もっと所有できれば、もっと偉くなれるという考えも、根拠の無い神話です。あなたの値打ちは、あなたが所有しているモノによっては、決まらないのです。神は言われます。人生において最も価値あるものは、モノではないと。
お金に関する最も共通の神話は、もっとお金持ちになれば、もっと安全になれるというものです。でもそうではありません。富はコントロールすることの出来ない様々な要因によって、すぐに失われ得るものです。
真のセキュリティは、決してあなたから奪うことの出来ないただ一つのものの中にしか見出すことは出来ません。それはあなたに与えられている神との関係です。
THE PURPOSE DRIVEN LIFE(WARREN)「人生を導く5つの目的(リック・ウォレン)」より
三浦綾子さんの小説、「塩狩峠」の中で紹介される遺書と遺言
三浦綾子さんの小説、「塩狩峠」の中で紹介される遺書と遺言
主人公の父、永野貞行の遺書と遺言
「人間はいつ死ぬものか自分の死期を予知することはできない。ここにあらためて言い残すほどのことはわたしにはない。わたしの意志はすべて菊が承知している。日常の生活において、菊に言ったこと、信夫、待子に言ったこと、そして父が為したこと、すべてこれ遺言と思ってもらいたい。わたしは、そのようなつもりで、日々を生きて来たつもりである。とは言え、わたしの死に会って心乱れている時には、この書も何かの力になることと思う。
一、信夫は永野家の長男として母に孝養を尽し、妹を導き、よき家庭の柱となって欲しい。
一、ただし、立身出世を父は決して望んではいない。人間としての生き方は、母に学ぶがよい。
一、信夫は、特に人間として生まれたということを、大事に心に受け止めて、真の人間になるために、格別の努力を為されたい。
一、わたしは菊の夫とし、信夫、待子の父として幸福な一生であった。それはすべて神が与えたもうたからである。
一、父の死によって経済的に困窮することがあるとしても、驚きあわてないこと。必要なものは必ず神が与えたもう。
一、わたしの葬儀は、キリスト教式で行われたい。
以上、このごろ時々疲れを甚だしく覚えるので、万一の為に記して置く。
貞行
一月十四日
菊殿
信夫殿
待子殿」
自分の日常がすなわち遺言であるような、そんなたしかな生き方。
常に死を覚悟して生きて来た姿。
聖書の中に記されたJesusのリビング・ウイル
あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」…ヨハネ13:34-35
When you believe あなたが信じる時
When you believe
何年か前、アカデミー最優秀主題歌賞に選ばれた、「When you believe」「あなたが信じる時」というゴスペルソングがあります。(スティーブン・シュワルツという人が作詞・作曲をし、マライヤ・キャリーとホイットニー・ヒューストンによって、デュエットで歌われた)
この曲は、旧約聖書の出エジプト記を題材にしたアニメ映画「プリンス・オブ・エジプト」の主題歌でした。(この映画は若干脚色されていますが、最新のコンピュータグラフィックスを使って、聖書を生き生きと描いています。海が分かれるシーンや海の底を歩いて渡るシーンなども見ごたえがあります)
さて、この「When you believe」「あなたが信じる時」という歌の歌詞を、ここで少し、皆さんに紹介したいのです。こんな内容の歌詞です(野町私訳)。
『幾日もの夜、私たちは祈りが聞かれるという確信を持てないけれども祈り続けてきた。私たちの心の中には、小さな希望の歌があった。今、私たちは、たくさんの恐ろしいことがあるのを知っている。でももう恐れない。そんなことができると気付くずっと前から、私たちは山々を動かしていたから。
あなたが信じる時、奇跡が起こる。希望はかすかなものであっても、それを消すことはできない。誰が知っているだろうか、どんな奇跡をあなたが成し遂げるかを。あなたが信じる時、必ずあなたは神の栄光に満ちた奇跡を見るはず。あなたが信じるなら、あなたは神の奇跡を見るはず。
この恐れの時、祈りが次々と空しく消えていく時。希望はまるで夏の鳥のよう、とても素早く空に飛び去ってしまう。でも今、私はここに立っている。私の心はとても満たされて、言葉にあらわせないほど。捜し求めていた信仰、口にしているこの言葉。私がこんなことを言うなんて、思いもしなかった。
あなたが信じる時、奇跡が起こる。希望はかすかなものであっても、それを消すことはできない。誰が知っているだろうか、どんな奇跡をあなたが成し遂げるかを。あなたが信じる時、必ずあなたは神の奇跡を見るはず。あなたが信じるなら、あなたは神の奇跡を見るはず。
あなたが祈り求めても、いつも奇跡が起こるわけじゃない。だから恐れと失望の中に落込んでいくことは簡単なこと。でも、あなたが信仰を通して現実を見るとき、あなたは雨の中で救いの道を見出す。そして「助けはとても近くにある」とその道を歩いているあなたは言うでしょう。』
この中で、特にわたしの心に印象深く残っているのは、「そんなことができると気付くずっと前から、私たちは山々を動かしていた」という言葉です。これは短い言葉ですが、聖書が教えている信仰を、的確に表現している言葉ではないかと思います。この言葉が意味しているのは、つまりこういうことです。「私たちが心の中で感じているよりもはるかに確実に、私たちの祈りは主なる神に聞かれている」ということです。
実際私たちキリスト者は、祈ってもすぐに応えられない経験をしばしば味わいます。また、まさに山のようにちょっとやそっとでは動かない、いや不可能だと思われる祈りの課題がたくさんあります。家族・親族や友人を覚えて祈る時、そんなふうに感じます。また、高い地位にある方たちや国々を覚えて祈る時、教会を覚えて祈る時、そんなふうに感じてしまいます。
けれども、みこころにかなった祈りを主イエスに祈る時、この世界を包む主の祈りを日々祈る時、「そんなことができると気付くずっと前から、私たちは山々を動かしている」。ということが起っているのです。
実は、ハイデルベルク信仰問答の中にも、「私たちが心の中で感じているよりもはるかに確実に、私たちの祈りは主なる神に聞かれている」という霊的真理が紹介されています。
問129:「アーメン」という言葉は、何を意味していますか。
答:「アーメン」とは、それが真実であり、確実である、ということです。なぜなら、これらのこと(主の祈りの内容)を神に願い求めていると、わたしが心の中で感じているよりもはるかに確実に、わたしの祈りはこの方に聞かれているからです。
どうしてもっと早く伝えてくれなかったのか!
私が初めてイエス・キリストの福音(The Gospel of Jesus Christ)を聞いたのは、20歳の時でした。その時に思ったことは、「どうしてもっと早く伝えてくれなかったのか!」ということでした。それまで、「自分はクリスチャンだ」と名乗る人に出会うこともなく、誰もイエス・キリストのことを伝えてくれなかったんですよ。
でも、今考えて見ると、すべてのことの背後にあってすべてを統べ治めておられる主イエスが、私にとって最善の時に、十字架の愛と復活の力によって、私を捕らえて下さったんだなあと思います。もしそれ以前に福音を聞いても、私の場合は、聞く耳を持っていなかったように思うからです。私は、「神などを信じることは弱い人間のすることであって、私に神など必要ない!」と本気で思っていたからです。
いろんな経験の中で、むなしさや苦しみを味わい、自分の弱さや愛のなさを思い知らされ、生きる希望と力を失い、人生の目的や自分の存在価値を必死になって探し求めていた時に、イエス・キリストの福音を伝えてくれる人に出会えたことは、やはり絶妙なタイミング(神の時・カイロス)であったとしか言いようがありません。
でも、その時から私は、イエス・キリストの福音(The Gospel of Jesus Christ)を伝えていく立場の人になりました。今度は私が、「どうしてもっと早く伝えてくれなかったのか!」と言われてしまうかもしれない立場に置かれているのです。
ということで、キリスト教のことをもっと知りたい、教会に行ってみたい、聖書を読んでみたい、イエス・キリストを信じたいという方がいたら、ぜひコンタクトしてください。