カテゴリー: 宣教戦略
教会史における所属教会の位置
Purpose Driven Fellowship at 聖書キリスト教会
惜しまないでいられようか
Because He Lives 主イエスが生きておられるから
Because He Lives ~ William and Gloria Gaither ~
日本語訳歌詞(1番)
神は人を 愛されて そのひとり子を この世におくり
私たちの 罪のために 十字架につけて くださった
主は今 生きておられる 我が内に おられる
すべては 主の御手にあり 明日も生きよう 主がおられる
英語の歌詞と試訳
God sent His son, they called Him Jesus. He came to love, heal, and forgive.
He lived and died to buy my pardon, An empty grave is there to prove my Savior lives.
神はひとり子を遣わされ、その方はイエスと呼ばれた。愛するため、いやすため、そして赦すために、彼は来られた。彼は生きて死なれた。私の恩赦を買うために。そして空っぽになった墓は、私の救い主が、今も生きておられることを証明している。
Because He lives, I can face tomorrow. Because He lives, All fear is gone.
Because I know He holds the future, And life is worth the living just because He lives.
主イエスが生きておられるから、私は明日に立ち向かえる。主が生きておられるから、すべての恐れは逃げ去る。 主は生きておられ未来を御手の中に握っておられるから、人生は生きるに値する。
How sweet to hold a newborn baby, And feel the pride and joy he gives.
But greater still the calm assurance, This child can face uncertain days because He lives.
新しく生まれた赤ちゃんをだっこすることは、なんと嬉しいことだろうか。彼が与えてくれるプライドと喜びを、私は味わっている。しかしそれよりも素晴らしい静かな心と穏やかな確信。主イエスが生きておられるから、この子も不確かな日々に向かって生きていける。
Because He lives, I can face tomorrow. Because He lives, All fear is gone.
Because I know He holds the future, And life is worth the living just because He lives.
主イエスが生きておられるから、私は明日に立ち向かえる。主が生きておられるから、すべての恐れは逃げ去る。 主は生きておられ未来を御手の中に握っておられるから、人生は生きるに値する。
And then one day I’ll cross the river, I’ll fight life’s final war with pain.
And then as death gives way to victory, I’ll see the lights of glory and I’ll know He lives.
ある日私は、川を向こう岸に向かって横切ることになり、痛みを伴う人生最後の戦いを戦う。そして死が勝利への道を与えるその時、主の栄光を見て、主イエスが生きておられることを知るだろう。
Because He lives, I can face tomorrow. Because He lives, All fear is gone!
Because I know He holds the future, And life is worth the living just because He lives!
主イエスが生きておられるから、私は明日に立ち向かえる。主が生きておられるから、すべての恐れは逃げ去る。主は生きておられ未来を御手の中に握っておられるから、人生は生きるに値する。
2011年のイースター歓迎礼拝のために 杉戸キリスト教会牧師 野町真理
2011 イースター歓迎礼拝のご案内
礼拝メッセージ「痛みと病を負う神 Pain of God」
礼拝メッセージ「痛みと病を負う神 Pain of God」(クリックで聴けます)
聖書箇所:イザヤ53章4−6節
まことに、彼(イエス・キリスト)は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。イザヤ53章4節
イザヤが語る神、イエス・キリストが、「悲しみ」、「痛み」、そして「病」を知っておられる理由。
それはイエス・キリストが、被災地に実際に赴かれた結果、もはや支援者ではなく、被災者になられたからです。
その時私たちは思いました。イエスは罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
私たちは思ったのです。イエスの上に天罰が下ったのだと。
しかしイエス・キリストが受けられた苦難の真相は、今日のみことばに明確に啓示されています。
『まことに、彼(イエス・キリスト)は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。・・・しかし、彼(イエス・キリスト)は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼(イエス・キリスト)への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼(イエス・キリスト)の打ち傷によって、私たちはいやされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼(イエス・キリスト)に負わせた。』