祝婚歌 吉野弘

祝婚歌 吉野弘

二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気付いているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい

完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで
疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい

正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい
立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には
色目を使わず
ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい
健康で 風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに

ふと 胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい

Christmas

Christmas

Christmas

What is Christmas

降誕祭

縦軸のないところでは横軸の流れだけが方向を決定する

「縦軸のない日本社会は、・・・元来浮遊することをもって良しとしてきたのである。流れに棹させば流されるのである。戦後民主主義は縦軸の代用物の役割を果たしてきたが、流れの速さに押し倒されようとしている。・・・縦軸のないところでは横軸の流れだけが方向を決定する。・・・そこに今日の日本の真の危機がある。座標軸の構築こそが、内村が日本の思想史に残した遺産であり、その再構築が今問われている。」 隅谷三喜男『日本プロテスタント史論』146頁参照。

左近豊著「エレミヤ書を読もう 悲嘆からいのちへ」のはじめにで冒頭に引用されています。

「縦軸のないところでは横軸の流れだけが方向を決定する。」これは、国や社会のレベルだけではなく、一人一人の人生においても言えることです。縦軸のない人はただ振り回され、ただ翻弄され、ただ流されることしかできません。

エレミヤ書を読もう 左近豊

SHINRIN PARK 2018-11-23

久しぶりに家族で外出できました。感謝!

SHINRIN PARK 2018-11-23

宣教する霊性

「日本同盟基督教団の霊性とは何だろうか?」という話題が先日の関東宣教区教師会で出た。
私の中ですぐ出てきたのは、「宣教する霊性」という言葉でした。
聞き慣れた言葉なら、「フランソンスピリット」という言葉ですが、それは「宣教する霊性」と訳すことができるでしょう。

映画「パウロ 愛と赦しの物語」

PAUL

少し早いクリスマスプレゼントとして、映画鑑賞の機会が与えられた。感謝します!
忘れないうちに、渋谷まで出かけて観た映画に対する私の応答(レスポンス)を記します。

聖書はアカデミックな神学論文ではない。書斎や研究室ではなく、獄中や隠れ家のような所で書き記されたから。

聖書は愛の手紙である。絶望的な現実の中にいる仲間を励まし支えるために、命がけで書き記されたから。

聖書は真の平和を造り出す真理のメッセージである。迫害や暴力や虐殺や処刑や殉教のただ中で、それでもなお武力による報復ではなく、主イエス・キリストの十字架の赦しの愛に生きるようにと語る神からのメッセージだから。

映画『パウロ 愛と赦しの物語』オフィシャルサイト

15名の宣教師の内12名は信徒伝道者!

日本同盟基督教団のルーツ、横浜に上陸した15名の宣教師。
その12名は信徒伝道者であった!

渡来した宣教師たちは男子6名、女子9名。そのうち伝道者が3人、あとの12名は信徒伝道者。しかもその殆どが20歳代の若い独身青年男女だったと言うわけである。(日本同盟基督教団史 第一編 23頁より引用)

食物アレルギーについて

食物アレルギーについて

いつもお祈りありがとうございます。野町です。

私の妻がひどい急性食物アレルギーになり、果物と野菜全般、パン、そして主食のお米もほとんど食べられなくなっていましたが、先日、北海道の「ゆきひかり」というもち米と配合していないうるち米を取り寄せて試したところ、
かなりアレルギー反応が少なく、元気が出てきました。感謝!

果物、野菜、米、小麦、味噌汁、醤油などが矢継ぎ早に食べれなくなり、
魚、肉、卵を塩だけで味付けして食べていましたが、お米が食べれるようになると本当に感謝です!

引き続きお祈りいただけると感謝です。

あなたに伝えたいこと

あなたに伝えたいこと

There is always blue sky above the clouds

20歳の時、ある友人から聖書をプレゼントされました。しかし、自分には関係のない世界だと思って読みませんでした。でも、毎日の単調な生活の中で、何のためにいきているのかがわからず、空しさと孤独感を持って生きていました。

そのころ住んでいた所の窓から外を見ると、一本の葉を落とした木が木枯らしに吹かれて揺れている姿があり、私の心もまるですきま風が吹くようでした。自分もいつか死んでしまう存在。そして、一度しかない人生をどうやって生きれば後悔しないような歩みができるのか、わからなかったからです。

でも、北海道の塩狩峠で列車が暴走したときに、列車の前に身を投げて乗客を助けた一人のクリスチャンのことを読みました。自分にはない何かを、クリスチャンは持っているような気がして、自分で聖書を読み始めました。

聖書はまるで本当の自分を映し出す鏡のようで、私は自分の心の中の醜さ、弱さを知りました。しかし、人間が造った神ではなく、人間を、そしてこの無限の大宇宙を造られた神のひとり子、イエス・キリストは、私たちの心もすべてご存知で、ありのままの私たちを愛していてくださっていることを知り、イエス様を信じ、心にお迎えする祈りをしてクリスチャンになりました。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」という聖書のことばを、イエス様が私の罪の身代わりとして十字架にかかって死んでくださり、三日目によみがえって、今も生きておられることを信じたのです。

その次の朝のことでした。朝起きて窓から外を見ると、昨日まで色あせていた景色が新鮮で輝いて見えました。生きていてよかった。いや私は神によって生かされているのだという感謝の思いと喜びが、まるで泉のように湧き上がってきました。そして心の中は、晴れ渡った青空のように、空しさや孤独感がなくなっていました。

私は今、イエス様の素晴らしさを知る者に変えられました。この素晴らしいイエス様を、あなたにもぜひ知って欲しいのです。イエス様はあなたを愛しておられます。ぜひ十字架が掲げられたキリスト教会に足を運んでみてください。神さまからのラブレターと呼ばれている聖書を読んでみてください。あなたの上に、イエス様の祝福が豊かにありますように。

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