映画『レ・ミゼラブル』を見て
1月1日、新年礼拝を終えた夜、教会のメンバーと一緒にトム・フーパー監督の映画『レ・ミゼラブル』を鑑賞した。ミュージカルを撮影したような映画であるが、それぞれの役者が、役を演じながらその場で気持ちを込めて歌った声がライブ録音されている。それぞれの役者による感情が込められた歌声には、魂を揺さぶるものがあった。特にファンティーヌ役のアン・ハサウェイの歌う「夢破れて I Dreamed a Dream」は素晴らしかった。
映画を見終わった後、余韻にひたりながら、岩波文庫版と新潮文庫版で『レ・ミゼラブル』をじっくり味わっている。ヴィクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル』は、岩波文庫版(豊島与志雄訳)だと全4巻、新潮文庫版(佐藤朔訳)だと全5巻にもなる。読めば読むほど内容が豊かであり、きめ細かい人物描写や伏線となる背景説明があるので、もし可能ならばロード・オブ・ザ・リングのように3部作映画にすると、なお素晴らしかったのではないかと私は思う。これほどの壮大な著作を1本の映画にまとめてしまうことには無理がある。どうしてもダイジェスト版のようになり、牧師がよくしてしまうように、あれもこれも詰め込みすぎて話がごちゃごちゃしてしまう。
私はキリスト教の牧師であるから、この映画をどうしても聖書が語る福音の視点から見る。例えば、ジャン・バルジャンが銀の食器を盗んで逃げたのに、憲兵に捕まえられ、司教のもとに連れて来られる場面。その時司教はジャン・バルジャンに、「それは盗んだのではなくてプレゼントしたのだ」と優しく語り、「二本の銀の燭台もあげたのにどうして置いていったのか」と言いながら、さらに燭台をプレゼントする。
ここには明らかに、聖書の語る福音が紹介されている。それは、悔い改める前に(罪の償いを自分でする前に)赦しが与えられるという福音、ふさわしくない者に祝福が与えられるという福音である。この映画ではジャン・バルジャン役をX-MENのヒュー・ジャックマンが好演している。指の間からジャキーンとあの武器が出て来そうな雰囲気が時にあり、笑えた。
ジャベール警官役はラッセル・クロウであった。ジャベールは聖書に登場して人間をみじめにする律法主義をキャラクターにしたような人物である。律法主義とは福音をひっくり返したものであり、ふさわしくない者には祝福が与えられず、悔い改めなければ(良い行いをし、罪の償いを自分でしなければ)赦しはないという考え方である。ネタバレになるがジャベールは愛の人に変えられたジャン・バルジャンと向き合った時に自殺してしまう。聖書的にはイエス・キリストが十字架の上で死なれた時に律法主義は死に、イエス・キリストが墓に葬られた時に律法主義も葬られたと言える。
この映画を見て、しばらく悩んでしまったことがある。それは新約聖書の中にあるローマ人への手紙で言うと、7章までの「みじめさ」で終わってしまい、罪や罪責感からの解放、自由、そして圧倒的勝利に満ちた8章が描かれなかったということである。
私たちキリスト信仰の道に招かれた者も、しばしばローマ人への手紙7章までのみじめさと罪責感に生きてしまうことが多いかもしれない。しかし主イエスよ、ぜひともこの地上においてローマ8章にたどり着き、解放、自由、勝利の人生を歩ませてください。
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礼拝メッセージ「アメイジング・グレイス」ローマ13
礼拝メッセージ「アメイジング・グレイス」ローマ13(クリックで聴けます)
聖書箇所:ローマ人への手紙5章12ー21節
20 律法が入って来たのは、違反が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。
21 それは、罪が死によって支配したように、恵みが、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。ローマ人への手紙5章20-21節
大変有名な神をほめたたえる歌に、「アメイジング・グレイス」があります。日本語では聖歌229番に「おどろくばかりの」という題で収録されています。歌詞は以下のような内容です。
1、驚くばかりの 恵みなりき
この身の汚れを 知れる我に
2、恵みは我が身の 恐れを消し
任する心を 起こさせたり
3、危険をも罠をも 避けえたるは
恵みの御業と 言う他なし
4、御国に着く朝 いよよ高く
恵みの御神を 讃えまつらん
かつてイギリスで奴隷船の船長をしていたジョン・ニュートンが、神の驚くばかりの恵みを体験した後、この歌は生まれました。人は恵みによって変えられるのです。
おすすめの映画 Amazing Grace
お勧めの本「原子炉時限爆弾ー大地震におびえる日本列島」
大震災報道映像の違和感
この違和感は何だろうか。
まるで映画のようだが、映画の映像でもない。
リアルだけどリアルさがない。
この国で現実に起こっていることなのに、現実味がない。
なぜか。
それは、報道映像では一人の遺体も、一人の死につつある人も、決して画面に現れないから。
映画であれば、人が死んでいくシーンや数えきれない遺体が、これでもかと露骨に画面にクローズアップされるのに。
巧みにリアルを切り取って編集された報道映像は、もはや仮想現実・バーチャルリアリティでしかない。
生身の人間の無力さ、死という現実、魂の叫び。
そういったリアルを巧みに覆い隠した、血の通わない仮想現実・バーチャルリアリティでしかない。
お勧めの映画「ヤコブへの手紙」
フィンランド映画「ヤコブへの手紙」を鑑賞して。
ヤコブ牧師と刑務所から出てきた女性との生活。
ヤコブ牧師は、悩み相談や祈りのリクエストが書かれた手紙を、毎日心待ちにしながら生活しているおじいちゃん牧師である。
手紙はいつも、「ヤコブ牧師!郵便ですよ!」と言って、自転車に乗った郵便配達員が届けてくれる。
ヤコブ牧師は目が見えないので、手紙を代読し、返事を代筆してもらう人が必要である。
代読代筆をしてくれていた方が老人ホームに入られたので、ヤコブ牧師は困っていた。
そこでヤコブ牧師は、ヘルパーさんを雇った。
そのヘルパーさんが、刑務所から恩赦によって出てきたばかりの、心を閉ざした女性だった。
だれかのために祈るというとりなしは、もちろん祈りなのだが、素直な思いを手紙として書くことも祈りであり、そのようにして書かれた手紙を聴くこともまた祈りである。
そんなことを、書き留めておきたい。
いのちの食べかた Our daily Bread
いのちの食べかた(原題はOur daily Bread:日毎の糧)という映画。毎日私たちが食べているお肉や野菜や果物などが、どのようにして切り身などになってお店に並ぶのかを知ることのできるドキュメンタリー映画です。高度に効率化、機械化されたプロセスは、衝撃的です。しかしいのちの尊さを覚えるためには、知っておく必要があるでしょう。もうすぐDVDでも発売されます。