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礼拝メッセージ「冷たいか熱いかであれ」
礼拝メッセージ「冷たいか熱いかであれ」(クリックで聴けます)
聖書箇所:ヨハネの黙示録3章14−22節
また、ラオデキヤにある教会の御使いに書き送れ。『アーメンである方、忠実で、真実な証人、神に造られたものの根源である方がこう言われる。「わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。黙示録3章14-16節
想定外の大災害を防ぐためには、近い未来に何が起こるのかをきちんと想定し、具体的にイメージして備えることが大切です。そのためには「歴史を心に刻みつつ聖書に聞き従う」必要があります。なぜなら「聖書は時が来ると未来の出来事となる神の言葉」であり、「聖書信仰の本質は歴史を心に刻むこと」だからです。
冷たくもなく、熱くもない人。つまりなまぬるい人は、主イエスの口から吐き出されてしまいます。
深刻なのは、やがて主イエスに吐き出される人に、自覚がまったくないことです。まさに盲目となった裸の王様です。自分を欺き、現実から仮想現実(バーチャルリアリティ)へと逃避し、富んで豊かに生きているつもりになっているのです。
しかし主イエスは、愛する者をしかったり懲らしめたりなさるお方です。それが未来を見ることが私たちに許されている理由です。私たちは、主イエスに熱心に愛されている者として、熱心になって悔い改め、人生の向きを変えようではありませんか。
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礼拝メッセージ「だれも閉じることのできない門」
礼拝メッセージ「だれも閉じることのできない門」(クリックで聴けます)
聖書箇所:ヨハネの黙示録3章7−13節
また、フィラデルフィヤにある教会の御使いに書き送れ。『聖なる方、真実な方、ダビデのかぎを持っている方、彼が開くとだれも閉じる者がなく、彼が閉じるとだれも開く者がない、その方がこう言われる。「わたしは、あなたの行いを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。なぜなら、あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。黙示録3章7-8節
未来を見るということは、主イエス・キリストを見ることです。
復活された主イエスは、11人の弟子たちと山の上で再会された時、こう言われました。
「わたしには天においても地においても、
いっさいの権威が与えられています。」(マタイ福音書28章18節)
その主イエスは「聖なる方、真実な方、ダビデのかぎを持っている方、彼が開くとだれも閉じる者がなく、彼が閉じるとだれも開く者がない」方です。
だから主イエスは、「わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。」と語ることができるお方なのです。
主イエスは、だれも閉じることのできない門を、私たちの前に開いてくださっています。それは日本とアジアと世界における、救いの門であり、天国の門であり、教会の門、つまり福音宣教の門です。
礼拝メッセージ「実はあなたは死んでいる」
礼拝メッセージ「実はあなたは死んでいる」(クリックで聴けます)
聖書箇所:ヨハネの黙示録3章1−6節
「わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、生きているとされているが、実は死んでいる。目をさましなさい。そして死にかけているほかの人たちを力づけなさい。わたしは、あなたの行いが、わたしの神の御前に全うされたとは見ていない。黙示録3章1-2節
「あなたは、生きているとされているが、実は死んでいる」という主イエスのみことばを心に留めながら、ルカ福音書15章に登場する、あの放蕩息子のお兄さんのことを、思い浮かべてみましょう。
人間的に見れば、お兄さんは家出するわけでもなく、父親に逆らうわけでもなく、毎日黙々と働く立派な息子さんでした。けれども、神の瞳に映ったお兄さんは、まさに「生きているとされているが、実は死んでいる」人でした。
死んでいなくて本当に生きているお兄さんならば、主イエスのように、父に向かって次のように言ったことでしょう。
「お父さん、弟は本当に愚かでした。今ではちゃんとした生活もままならない状態でしょう。でも、僕はあの子を探し出して、家に連れて帰ります。そのために、たぶん、僕の財産も使い果たしてしまうかもしれません。それでもいい。この家族に僕の弟を連れ戻しに行ってきます。」
(ティモシー・ケラー著『「放蕩」する神』より)
何としてもの国外宣教 吉持章師
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礼拝メッセージ「人の思いと心を探る方」
礼拝メッセージ「人の思いと心を探る方」(クリックで聴けます)
聖書箇所:ヨハネの黙示録2章18−29節
こうして全教会は、わたしが人の思いと心を探る者であることを知るようになる。また、わたしは、あなたがたの行いに応じてひとりひとりに報いよう。黙示録2章23節
報いられる人生を生きる秘訣は、聖書が明らかにしている未来を想定して生きることにあります。そうすれば想定外ですべてが徒労に終わったり、醜態をさらすことは決してありません。聖書は決して、個々の働きに応じた報いを否定していません。
7つの燭台(メノラー)に例えられる7つの教会に宛てて書き記された手紙には、以下のような集中構造が見られます。テアテラ教会に宛てて書かれた上記のみことばが集中構造の核になっています。それぞれの教会において、勝利を得る者に以下のような報いが約束されています。
Aエペソ -楽園のいのちの木の実
Bスミルナ-第二の死からの救い
Cペルガモ-隠れたマナと白い石
Dテアテラ-統治権と明けの明星
C’サルデス-白い衣と命のリスト
B’フィラデルフィヤ-聖柱と新名
A’ラオデキヤ-神共なる座と食事
聖書が明らかにしている未来は、人の思いと心を探られる主イエス・キリストによって到来します。その時、個々の人生の総括評価が行われ、行いに応じて、ひとりひとりに主イエスが報いてくださるのです。これからあなたはどう生きられますか?