映画『レ・ミゼラブル』を見て

映画『レ・ミゼラブル』を見て
Cosette-sweeping-les-miserables-emile-bayard-1862
1月1日、新年礼拝を終えた夜、教会のメンバーと一緒にトム・フーパー監督の映画『レ・ミゼラブル』を鑑賞した。ミュージカルを撮影したような映画であるが、それぞれの役者が、役を演じながらその場で気持ちを込めて歌った声がライブ録音されている。それぞれの役者による感情が込められた歌声には、魂を揺さぶるものがあった。特にファンティーヌ役のアン・ハサウェイの歌う「夢破れて I Dreamed a Dream」は素晴らしかった。

映画を見終わった後、余韻にひたりながら、岩波文庫版と新潮文庫版で『レ・ミゼラブル』をじっくり味わっている。ヴィクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル』は、岩波文庫版(豊島与志雄訳)だと全4巻、新潮文庫版(佐藤朔訳)だと全5巻にもなる。読めば読むほど内容が豊かであり、きめ細かい人物描写や伏線となる背景説明があるので、もし可能ならばロード・オブ・ザ・リングのように3部作映画にすると、なお素晴らしかったのではないかと私は思う。これほどの壮大な著作を1本の映画にまとめてしまうことには無理がある。どうしてもダイジェスト版のようになり、牧師がよくしてしまうように、あれもこれも詰め込みすぎて話がごちゃごちゃしてしまう。
私はキリスト教の牧師であるから、この映画をどうしても聖書が語る福音の視点から見る。例えば、ジャン・バルジャンが銀の食器を盗んで逃げたのに、憲兵に捕まえられ、司教のもとに連れて来られる場面。その時司教はジャン・バルジャンに、「それは盗んだのではなくてプレゼントしたのだ」と優しく語り、「二本の銀の燭台もあげたのにどうして置いていったのか」と言いながら、さらに燭台をプレゼントする。
ここには明らかに、聖書の語る福音が紹介されている。それは、悔い改める前に(罪の償いを自分でする前に)赦しが与えられるという福音、ふさわしくない者に祝福が与えられるという福音である。この映画ではジャン・バルジャン役をX-MENのヒュー・ジャックマンが好演している。指の間からジャキーンとあの武器が出て来そうな雰囲気が時にあり、笑えた。
ジャベール警官役はラッセル・クロウであった。ジャベールは聖書に登場して人間をみじめにする律法主義をキャラクターにしたような人物である。律法主義とは福音をひっくり返したものであり、ふさわしくない者には祝福が与えられず、悔い改めなければ(良い行いをし、罪の償いを自分でしなければ)赦しはないという考え方である。ネタバレになるがジャベールは愛の人に変えられたジャン・バルジャンと向き合った時に自殺してしまう。聖書的にはイエス・キリストが十字架の上で死なれた時に律法主義は死に、イエス・キリストが墓に葬られた時に律法主義も葬られたと言える。
この映画を見て、しばらく悩んでしまったことがある。それは新約聖書の中にあるローマ人への手紙で言うと、7章までの「みじめさ」で終わってしまい、罪や罪責感からの解放、自由、そして圧倒的勝利に満ちた8章が描かれなかったということである。
私たちキリスト信仰の道に招かれた者も、しばしばローマ人への手紙7章までのみじめさと罪責感に生きてしまうことが多いかもしれない。しかし主イエスよ、ぜひともこの地上においてローマ8章にたどり着き、解放、自由、勝利の人生を歩ませてください。

礼拝メッセージ「アメイジング・グレイス」ローマ13

礼拝メッセージ「アメイジング・グレイス」ローマ13(クリックで聴けます)
聖書箇所:ローマ人への手紙5章12ー21節

20 律法が入って来たのは、違反が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。
21 それは、罪が死によって支配したように、恵みが、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。ローマ人への手紙5章20-21節

大変有名な神をほめたたえる歌に、「アメイジング・グレイス」があります。日本語では聖歌229番に「おどろくばかりの」という題で収録されています。歌詞は以下のような内容です。
1、驚くばかりの  恵みなりき
  この身の汚れを 知れる我に
2、恵みは我が身の 恐れを消し
  任する心を   起こさせたり
3、危険をも罠をも 避けえたるは
  恵みの御業と  言う他なし
4、御国に着く朝  いよよ高く
  恵みの御神を  讃えまつらん
かつてイギリスで奴隷船の船長をしていたジョン・ニュートンが、神の驚くばかりの恵みを体験した後、この歌は生まれました。人は恵みによって変えられるのです。

おすすめの映画 Amazing Grace


おすすめの映画です。iTunes Storeでレンタルもしくは購入できます。

お勧めの本「原子炉時限爆弾ー大地震におびえる日本列島」

原子力発電に賛成の方も反対の方も、ぜひお読みになってください。日本における原子力発電の是非を問うためには、必読の書です。

以下本文より。

科学的・論理的に考えれば、周期的に到来する東海大地震は間違いなく起こることであり、これを否定する人間は、電力会社にも一人もいない。その時に、浜岡原発が破壊され、取り返しのつかない末期的な大事故が起こる可能性は、ほぼ百パーセントと言ってよい。これは、時限爆弾の爆発を待っている、ということになる。私たちに分らないのは、その時限爆弾が、いつ爆発するようセットされているか、その時刻だけなのである。

大震災報道映像の違和感

この違和感は何だろうか。

まるで映画のようだが、映画の映像でもない。

リアルだけどリアルさがない。

この国で現実に起こっていることなのに、現実味がない。

なぜか。

それは、報道映像では一人の遺体も、一人の死につつある人も、決して画面に現れないから。

映画であれば、人が死んでいくシーンや数えきれない遺体が、これでもかと露骨に画面にクローズアップされるのに。

巧みにリアルを切り取って編集された報道映像は、もはや仮想現実・バーチャルリアリティでしかない。

生身の人間の無力さ、死という現実、魂の叫び。

そういったリアルを巧みに覆い隠した、血の通わない仮想現実・バーチャルリアリティでしかない。

JKTS被災地へ医療スタッフとして行かれた方のブログ

IN GOD’S HANDS(イン・ゴッズ・ハンズ)

ジョーズ(JAWS)という言葉には、以下の3つの意味がある。

1、1975年公開のアメリカ映画。
2、英語で「顎」(あご)という意味。
3、アメリカ合衆国ハワイ州のマウイ島の東側の沖に発生する、世界でも最大級のうねり。

JAWS(ジョーズ)と呼ばれる伝説のビッグウエーブに、命をかけて挑戦していくトップ・プロサーファーたちのドラマ、IN GOD’S HANDS(イン・ゴッズ・ハンズ)。スタントなし、本物のサーファーたちが主役を演じる素晴らしい映画です。死という問題も真っ向から取り上げています。

実は私、愛知県豊橋市にいた時、ある方の勧めでサーフィンをほんの少しだけ体験したことがあります。遠州灘にはサーフィンができるいい波が打ち寄せているのです。立つことが出来ず、ボディボードのようにしか乗れませんでしたが、ザビエル野町というあだ名と共に、波乗り牧師と呼ばれたこともあります。

今は、主イエス様の大宣教教育命令に従って、主なる神が起こされる世界最大級のうねり、JAWSに乗って、JapanとAsiaとWorldに仕えるServant、波乗り牧師を目指します。

世界最大級の波、JAWSに乗ってワールドミッションサーフィンをするためには、情熱と共に、熟練技術が必要不可欠である。

自ら波を作ろうなどと不可能なことに力を注ぐと、徒労に終わる。

労苦奮闘しても、熟練技術を身につける努力を怠っているなら、大波が来ても、乗ることが出来ず、波に呑まれてしまう。

伝道者の書に「もし斧が鈍くなったとき、その刃をとがないと、もっと力がいる」と記されている通り。

JAWSに乗る、すなわち、日本(Japan)と、アジア(Asia)と、世界(World)に仕えるしもべ(Servant)となるためには、聖書通読、聖霊に満たされ続ける祈り、礼拝する日常、聖書研究といった、日々の地道な訓練によって、体力、気力、バランス感覚、霊的判断力などを磨き上げなければならない。

P.S.杉戸にはRADIXというサーフショップがあります。

映画「ミッション THE MISSION」

この映画の脚本は史実をもとに書かれているが、まず宗教改革以降の国外宣教という視点から見ると、プロテスタントよりも早い時期に、国外に宣教師を派遣したローマ・カトリック教会の素晴らしさを覚えた。

南米のイグアスの滝に、十字架に磔にされた宣教師が落ちていく場面から映画は始まる。

殉教者が起こされた故に、新たな宣教師が派遣されることになった。そして音楽の賜物が与えられていた後続宣教師によって、頑なであった現地のインディアンたちの心が開かれ、多くの人々がキリスト教に帰依していくことになった。ジャングルの中、武器を持った現地の人たちに取り囲まれた宣教師が、「ガブリエルのオーボエ」という曲を奏でた時、賛美の調べが人々の琴線に触れ、宣教の門が開かれていくシーンは感動的だった。

やがて宣教(ミッション)は目に見える形で大成功を収める。現地に教会堂が建てられ、抜群の音楽的センスを持つ現地の人々は、美しい声で神を賛美する者とされた。人々は勤勉に働き、少なからずの収益を得るようにもなっていった。

しかし、国と国との間に利権争いが起こり、宣教師の派遣母体であるイエスズ会も政治的理由から現地の教会を切り捨ててしまう。最終的に現地の教会、村の人々は、現地にとどまった宣教師たちと共に、武力、軍事力をもって虐殺されるに至る。

1755年、イグアスの滝上流に住むグァラニー・インディオたちがカアイパテの戦いでスペイン軍に滅ぼされた史実が脚色されて描かれる。その際、何人かの宣教師たちは武器をもって戦ったが、銃弾に倒れていった。しかし一人の宣教師は非暴力を貫き、武器ではなく十字架を掲げ、神を賛美しながら行進し、銃弾に倒れていった。

あなたが宣教師の立場であるなら、どういう行動に出るだろうか?もし私がそのような立場に立たせられたなら、人間的な怒りや憎しみに主の祈りをもって打ち勝ち、非暴力を貫きたいと心から願う。

真のターミネーター

「ターミネーター」という言葉は、映画のタイトルとして使われることで、有名なカタカナ英語になったかと思う。

「ターミネイトterminate」が動詞で、「(何かを)終わらせる・終結させる」という行為を表す。例えば、いのちを終わらせるということで「殺す」とか「中絶する」、雇用を終わらせるということで「解雇する」といった意味になる。

「ターミナル」と言えば「終着駅とか終点」、「ターミナルケア」と言えば、ホスピスや在宅介護のような「終末期医療」となる。そして、「ターミネーターterminator」と言えば、「何かを終わらせる(終結させる)もの」という意味になる。

人間は、恐ろしいターミネーターになり得る。それは、人間が神のようになろうとして一線を越えることから始まる。人間が神のようになろうとして一線を越えようとする時、人は自分の心の中で、まず神をターミネイトする。もしそれを実行に移してしまうと、自分にとって都合の悪いものはすべてターミネイトしようとする、恐ろしいターミネータの誕生となる。

しかしイザヤ書34章4節に耳を傾けると、『天の万象は朽ち果て、天は巻き物のように巻かれる。その万象は、枯れ落ちる。ぶどうの木から葉が枯れ落ちるように。いちじくの木から葉が枯れ落ちるように。』と語られている。

聖書は、「すべてをご自分の栄光のために創造し、すべてを始められた主なる神こそが、すべてのものを終わらせることのできる真のターミネーターである」と語っている。

P.S.私たち人間の罪を完全にターミネイトするために、神のひとり子、イエス・キリストがご自分のいのちを十字架の上でターミネイトしてくださったことに関しては、改めて記すこととします。

お勧めの映画「ヤコブへの手紙」

フィンランド映画「ヤコブへの手紙」を鑑賞して。

ヤコブ牧師と刑務所から出てきた女性との生活。

ヤコブ牧師は、悩み相談や祈りのリクエストが書かれた手紙を、毎日心待ちにしながら生活しているおじいちゃん牧師である。

手紙はいつも、「ヤコブ牧師!郵便ですよ!」と言って、自転車に乗った郵便配達員が届けてくれる。

ヤコブ牧師は目が見えないので、手紙を代読し、返事を代筆してもらう人が必要である。

代読代筆をしてくれていた方が老人ホームに入られたので、ヤコブ牧師は困っていた。

そこでヤコブ牧師は、ヘルパーさんを雇った。

そのヘルパーさんが、刑務所から恩赦によって出てきたばかりの、心を閉ざした女性だった。

だれかのために祈るというとりなしは、もちろん祈りなのだが、素直な思いを手紙として書くことも祈りであり、そのようにして書かれた手紙を聴くこともまた祈りである。

そんなことを、書き留めておきたい。

いのちの食べかた Our daily Bread

いのちの食べかた(原題はOur daily Bread:日毎の糧)という映画。毎日私たちが食べているお肉や野菜や果物などが、どのようにして切り身などになってお店に並ぶのかを知ることのできるドキュメンタリー映画です。高度に効率化、機械化されたプロセスは、衝撃的です。しかしいのちの尊さを覚えるためには、知っておく必要があるでしょう。もうすぐDVDでも発売されます。


http://www.espace-sarou.co.jp/inochi/