あなたは空を打つような拳闘をしてはいないか?

あなたは空を打つような拳闘をしてはいないか?

ボクシングの世界でモンスターと呼ばれる井上尚弥(いのうえなおや)選手。先日埼玉スーパーアリーナで持たれたノニト・ドネア選手との試合において、彼は恐ろしいほど「圧倒的な勝利者(新約聖書ローマ人への手紙8章37節)」となった。前回の試合とは対照的に、まさに圧倒的だった。1ラウンドの終わり、かつて憧れたドネア選手の動きを冷静に見極め、厳しい反復練習によって体得した絶妙なカウンターパンチを、絶妙なタイミングで放った。意識が飛ぶほどの強烈なダメージを受けたドネア選手に対し、彼は2ラウンドで畳み掛け、見事な2ラウンドKO勝ちを手にした。モンスターは「空を打つような拳闘(新約聖書コリント人への手紙第一9章26節)」をしない。

それに対して、聖書を良く学んでいるはずの、日本のキリスト教会、日本のクリスチャンはどうだろうか。まさに「空を打つような拳闘」をしてはいないだろうか?祈った後、祈りがどれだけ答えられたかを毎回チェックしているだろうか?そのために、答えられたかどうかがはっきりわかるように祈っているだろうか?祈りがどれだけ答えられたかを確認していく作業こそ、祈りにおいて、信仰生活において、「空を打つような拳闘」をしない秘訣ではないだろうか。

日本のキリスト教会でも、伸びているごく少数の教会は真剣に祈っている。特に若者が多く集っているキリスト教会には、真剣な祈りがある。日本のキリスト教会よ、日本のクリスチャンよ、今こそ「空を打つような拳闘」に終止符を打ち、真剣な祈りによって「圧倒的な勝利者」とならせていただこうではありませんか!

そして、真剣に祈り始めると、悪しき者らの激しい攻撃が始まる。

WBA・IBF・WBC 世界バンタム級王座統一戦 井上尚弥 vs ノニト・ドネア

BLESSセミナーの3つの質問に対する私の答え

①これまで成し遂げたことで、最もやり遂げた充実感が高かったことは何か?

 登山:槍ヶ岳、八ヶ岳縦走、雲取山、両神山、筑波山、谷川岳、剣山、石立山、鴻ノ森
ハクサンイチゲと槍ヶ岳

SKY WALKING

秋の八ケ岳

雲取山

ある晴れた春の日の午後

 水泳:自由型クラスマッチ一位
 英語:ESS スピーチコンテスト入賞
 空手道:瓦割り、昇段審査、組手
karate

 車 SUBARU:高知帰省ファミリーツーリング
 バイク:房総半島一周ツーリング、ビーナスラインツーリング、利根川ツーリング

 自転車:江戸川サイクリング、古利根川サイクリング、利根川サイクリング(神崎まで)

 魚釣り:シーバス、ブラックバス、キビレ、鯉、鮒
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Carp Fishing in Sugito

 カメラ:PENTAX 風景写真、ネイチャーフォト

 ビデオカメラ:Go Pro、シネマティック映像

 電気・電子工学:半導体結晶成長、コンピューター・スマホ・タブレット:Mac、iPhone、iPad
 インターネット:ホームページ、ブログ、
         SNS、YouTube、Facebook、Twitter、インスタ
 音楽:ギター、ドラムス、ストリートライブ、ゴスペルカフェ
 メッセージ:礼拝、ゴスペルカフェ、聖書と祈り会
 神学:卒業論文『神の痛みの神学』のキリスト中心的理解
 伝道:魂の救いのために用いられること
 牧会:2組の夫婦を献身者として杉戸から送り出したこと
 国外宣教委員会:台湾ミッショントリップ、モンゴルミッショントリップ、南アフリカ和解の務め支援会、JAWS21 教会形成、アジア21、そして世界へ

 伝道部:国内宣教(教会開拓&教会形成) 鹿児島、熊本、宮崎 
九州鹿児島ビジョントリップ2017-05

 浜名湖バイブルキャンプ委員会 中高生キャンプ、小学生キャンプ、青年キャンプ

②私が現在、最も関心を持っているものは何だろうか?

 閉塞感からのブレークスルー そのための真剣な祈り

ブレークスルー・打ち破らせてくださるのは、私たちの王であり主であるイエス・キリスト!!!
打ち破る者=私たちの先頭に立って上って行かれる主イエス・キリストは勝利者!!!

ミカ書2章13節 打ち破る者は 彼らの先頭に立って上って行く。彼らは門を打ち破って進み、そこを出て行く。彼らの王が彼らの前を、主が彼らの先頭を進む。」
Mic. 2:13 The One who breaks open the way will go up before them; they will break through the gate and go out. Their King will pass through before them, the LORD at their head.”

詩篇18篇29節
29 あなたによって 私は防塞を突き破り 私の神によって 城壁を跳び越えます。
29 With your help I can advance against a troop; with my God I can scale a wall.

王の王、主の主であれられ、勝利者であられる主イエス・キリストに対する真剣な祈り

③条件さえそろえば、他の人のためにどんなことをしたいか?

 閉塞感に囚われた人・教会がブレークスルーする働きに関わりたい

LOVE JESUS MIX

私の大好きな賛美の曲を集めてみました。落ち込んでいる人も元気な人も、悲しんでいる人も喜んでいる人も、疲れている人もパワーに溢れている人も、信仰を持っていなくても持っていても、ぜひ聴いてみてください。

いのちのことば2017-3

いのちのことば 2017-3

閉塞感を突き破る神の言葉3

閉塞感を突き破る神の言葉<3> 神のことば=出来事
日本同盟基督教団・杉戸キリスト教会牧師 野町真理

『雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。』イザヤ書55章10−11節

「神のことば」を表すヘブル語「ダバール」は、「出来事」とも訳すことができます。神のことばは必ず出来事になるからです。上記のみことばは、そんな神のことばの力強さを教えています。

旧約聖書には、閉塞感に囚われ、神の約束を信じられなかったアブラハムとその妻サラの姿が記されています。創世記17章17節が語るアブラハムは、本音と建前を使い分け、ひれ伏しながら作り笑いをします。信仰の父アブラハムも、閉塞感に囚われて神の約束を信じられなかったのです。夫婦は似てきます。創世記18章12節が語るサラもまた、神の約束を信じられませんでした。ニヒルな笑いが響くサラの心の中は、まるで氷点下です。

厳密な意味で、私たちが信じたとおりにしかならないのなら、閉塞感に囚われた者に救いはありません。静かにあきらめ、ニヒルに笑う仮面の道化師として、行き止まりの路地裏で死ぬ以外に道はありません。アブラハム夫婦がイサクを授かることもなかったでしょう。アブラハムの子孫としてイエス・キリストが来られるクリスマスも、十字架で私たちのために死なれたキリストが復活するイースターもなかったでしょう。

しかし、「神のことば」は、聖書信仰によって「出来事」と訳すことができます。なぜなら聖書に書き記された神のことばは、私たちの閉塞感を突き破って、時が来れば必ず出来事になるからです。アーメン。主イエスの再臨と救いの完成がますます近づいています。閉塞感を突き破る神のことばをしっかりと握りしめ、天を見上げて地上を旅しましょう。

閉塞感を突き破る神の言葉<1>

閉塞感を突き破る神の言葉<1>
日本同盟基督教団・杉戸キリスト教会牧師 野町真理

『ですから、見なさい。これらのことが起こる日までは、あなたは、ものが言えず、話せなくなります。私のことばを信じなかったからです。私のことばは、その時が来れば実現します。』ルカ福音書1章20節

 ルカ福音書1章には、閉塞感に囚われていた祭司ザカリヤと彼の妻エリサベツが登場します。忠実な二人でしたが、祈りが答えられない年月によって年輪を重ねた結果、御使いによって子どもを授かると聞いても信じられませんでした。もう年ですから。長い間祈りが答えられない中での高齢化は、じわじわと効いて私たちを閉塞感へと誘います。けれども不妊の女だったエリサベツは、全能の神によって身ごもり、高齢出産でも守られ、キリストの道備えをするバプテスマのヨハネの母とされました。

 ザカリヤは不信仰であった故に、神の言葉が出来事になるまで、期間限定でものが言えなくなりました。けれども神の言葉は、人の不信仰を超えて、その時が来れば実現したのです。『私のことばを信じなかったからです。(けれども)私のことばは、その時が来れば実現します。』と聖書は語ります。「信じなかったから、あなたはもうおしまい。あなたの信仰の通りにしかならないから。」と切り捨てると、もはやキリスト教ではなくキリステ教になってしまいます。聖書の語る福音は、信じられない者にとっても福音です。

 厳密な意味で、私たちが信じたとおりにしかならないのなら、全能の神の素晴らしいご計画は、計画倒れになるでしょう。世界宣教によって宇宙を再創造するという神の壮大なご計画は凍結し、私たちは閉塞感の中で滅んでいくしかありません。しかし神の言葉は、私たちの不信仰を突き破って、時が来れば必ず出来事になります。そのことを聖書は力強く証言しています。閉塞感を突き破る神の言葉を体験する。それが世界を覆っている暗雲を跡形もなく吹き飛ばすはじめの一歩です。

閉塞感に囚われる原因とブレイクスルー

閉塞感に囚われる原因とブレイクスルー
1、報い・結果を求めてもなかなか見えないことによる失望。しかし見えない時でも、聖書に約束されている報い・結果から目をそらさないなら、本気で信じて従い、やがて青空を見上げることができる。
2、報い・結果に関する期待と現実の違いによる失望。こんなはずじゃなかったと理想と現実の違いに愕然とする時でも、心を注ぎ出して神に本気で祈るなら、まず心の中で青空を見上げることができる。
3、報い・結果から意図的に目をそらしながら(あるいはそれを否定しながら)、大きな犠牲、献身、ハイリスクを払い続けるため。大きな犠牲、献身、ハイリスクを払い続けるためには、豊かな実り、豊かな報い、ハイリターンがどうしても必要。ぜひご自分で調べてみてほしい。聖書にどれほど多く「報い」の約束がちりばめられているかを。本気でハイリスクな信仰の旅、フェイスミッションをするためにこそ、数え切れないほどのハイリターンの約束が与えられている。おそらく信仰の父と呼ばれる者に変えられたアブラハムも、創世記12章冒頭に約束されているハイリターンの約束がなければ、安住の地に留まり続けたはずだ。
創世記12章1-5節
閉塞感に対するブレークスルーは、報い(結果)から目を離さないこと!

閉塞感という名の黒雲を突き破るものは何か?

閉塞感という名の黒雲を突き破るものは何か?それは決して、人間の信仰深さや熱心さではない。
キリステ(切り捨て)教では、人間の信仰深さや熱心さがブレイクスルーの鍵を握っていると教えられる。そしてキリステ教では、「願いかなわざることなし」、「願ったとおりに叶えられていく」と教えられる。けれども、いくら願っても願いがかなえられない状況で悩む人々を、「それはあなたの信心が足りないから。信仰のとおりにしかならないから、信じられなかったらもうおしまい」と切り捨てる。
以下に引用する新約聖書ルカの福音書1章20節は、閉塞感を突き破る鍵となるみことばであり、キリスト教がキリステ教にならないために、真剣に耳を傾けなければならないみことばである。

『ですから、見なさい。これらのことが起こる日までは、あなたは、ものが言えず、話せなくなります。私のことばを信じなかったからです。私のことばは、その時が来れば実現します。」』

主なる神が約束してくださったことは、たとえ人間が信じられなくても、信心が足りなくても、時が来ると必ず出来事になる。だから信じられなくても大丈夫。どんなことがあっても、人間の不信仰でさえも突き破って、神は約束を必ず守ってくださる。
閉塞感という名の不信仰を突き破るものは何か?それは、天地を創造され、万物を御手に統べ治めておられる主なる神の真実な御言葉である。

寺田祐一牧師を天に送って

寺田祐一牧師を天に送って
霞ヶ関キリスト教会の池田勇人牧師に続いて、吉川福音教会の寺田祐一牧師。日本同盟基督教団の関東宣教区において、現役の牧師が天に召されるのはこれで2人目。関東フィールドにおいて親しくさせていただいていた同労者がまた天に行かれたことで、心の空白、喪失感を覚えざるを得ない。
寺田祐一牧師は一級建築士として活躍されていたが、信仰熱心な韓国系アメリカ人と国際結婚なさることによって、キリスト教の牧師へと召された。長い間踏ん切りがつかず、神学校に入学することをためらっていた寺田師。「牧師になるために神学校に行かないならアメリカに帰る」と言う言葉を残し、夫人を乗せた翼はアメリカに向かった。
引き止めることができず、空港から一人ドライブしていた帰り道、彼女がいるはずのない助手席に主イエスがおられることに気づかされ、寺田師は涙ながらにすべてを主イエスに明け渡す祈りをされた。その時寺田師は、設計事務所を辞めて神学校に入学する決心をしたのだ。「今度こそ神学校に入学するからアメリカから帰って来て欲しい。」口先だけでなく心からの決心であることが夫人に伝わり、夫人は日本に帰って来られた。そして神学校在学中から全力で吉川福音教会を開拓なさり、これまで教会を形成されてきた。
日本人と韓国人の違いから突然勃発する大げんか。寺田牧師の家庭には、まさに今日深刻化している日韓問題が存在した。しかしそのような家庭生活を通して、日本人でありつつ夫人を愛するが故に半分韓国人になった寺田牧師だからこそ言える言葉が紡ぎ出された。
「日本人は韓国に謝罪しなければならない。韓国人は日本を赦さなければならない。」
「日本と韓国が和解し協力していくことが日本宣教の希望であり、突破口である。」
日本同盟基督教団においても、今日韓国人の牧師が多く与えられている。日本人と韓国人による宣教協力。そのようなことを日本の牧師が考えてもいなかった何十年も前に、寺田師は一冊の本を執筆して上記のような言葉を発信している。ますます韓国からの宣教師や牧師に頼らざるを得ない日本のキリスト教会の現状において、寺田牧師の言葉は、預言者的響きを持って、日韓両国に真摯に受け止められることを待っている。

http://www.flickr.com/photos/nomachishinri/sets/72157635562676211/

講壇交換メッセージ「星空散歩」朝霞聖書教会にて

講壇交換メッセージ「星空散歩」朝霞聖書教会にて(クリックで聴けます)
聖書箇所:創世記15章1ー6節

1 これらの出来事の後、【主】のことばが幻のうちにアブラムに臨み、こう仰せられた。
「アブラムよ。 恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。」
2 そこでアブラムは申し上げた。「神、主よ。私に何をお与えになるのですか。
 私には子がありません。私の家の相続人は、あのダマスコのエリエゼルになるのでしょうか。」
3 さらに、アブラムは、
「ご覧ください。あなたが子孫を私に下さらないので、
 私の家の奴隷が、私の跡取りになるでしょう」と申し上げた。
4 すると、【主】のことばが彼に臨み、こう仰せられた。
「その者があなたの跡を継いではならない。
 ただ、あなた自身から生まれ出て来る者が、あなたの跡を継がなければならない。」
5 そして、彼を外に連れ出して仰せられた。
「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」
 さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」
6 彼は【主】を信じた。主はそれを彼の義と認められた。

朝霞聖書教会

Look up at the heavens and count the stars-if indeed you can

Look up at the heavens and count the stars-if indeed you can