御霊の実と自助努力の実

御霊の実は、神と隣り人に対する愛です。

しかし、御霊の実は、
愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。

このようなものに反対する律法はありません。
(新約聖書ガラテヤ人への手紙5章22−23節より)

自助努力の実は、他者に対する無関心です。

自助努力の実は、他者に対する無関心、閉塞感、恐れ、瞬間湯沸かし器、意地悪、殺意、裏切り、頑固、依存症です。
このようなものに反対するのが律法(聖書・バイブル)です。
(上記のみことばをひっくり返したことば)

あなたは、どちらの実を結びたいですか?

あなたがもし、イエス・キリストを信頼して心の中心に受け入れ、御霊に満たされるなら、御霊が御霊の実、愛という実を結んでくださる。

なぜ神さまは、悪魔や悪者をそのままにしておられるのか?

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ロシアがウクライナに軍事侵攻を続けている今、「なぜ神さまは、プーチン大統領のような悪者をそのままにしておられるのか?」と疑問に思っておられる方も多いのではないか。実際あまりにも多くの血が、毎日のように流れ、100万単位の難民が祖国を追われ、流浪の民になっている。一刻も早く、この愚かで悲惨な戦いが止みますようにと、私も切に祈っている。

実は聖書を読んでいると、「なぜ神さまは、悪魔や悪者をそのままにしておられるのか?」という疑問が必ず起こる。なぜなら神さまは、悪魔に対して限定付きで悪事を働くことを許可されるし(旧約聖書ヨブ記冒頭参照)、悪事を働いていている悪者を放任しておられるような時が実際に多く見られるからである。

例えば最後の晩餐と言われる時(新約聖書ヨハネ福音書13章参照)、悪魔が暗躍し、イスカリオテのユダを操り、イエスを裏切ること・引き渡すことへと誘う。

「なぜ神さまは、悪魔や悪者をそのままにしておられるのか?」J.R.R.トールキンの書いた指輪物語(ロード・オブ・ザ・リング)は、この問題を取り扱っている。指輪物語には、ゴラムという悪者が登場する。ホビットのフロドは、狡猾なゴラムを殺そうとするが、魔法使いのガンダルフがそれを止める。「どんな悪者にも役割がある」とフロドを諭しながら。

あらゆる力を手にすることができる指輪を葬り去るために、フロドは仲間と共に旅を続ける。ネタバレになってしまうが、最後の最後で、フロドは指輪の持つ魔力に囚われ、指輪を滅ぼすことができなくなってしまう。その時あのゴラムがフロドに襲い掛かり、指輪争奪戦が始まる。ついに指輪を奪い取ったゴラムは、足を滑らせ、指輪と共に灼熱のマグマに落ちていく。結果的に悪者であるゴラムのおかげで、フロドと旅の仲間たちは、指輪を葬り去ることに成功するのである。

実は聖書が語る救済史においても、同じようなことが起こったのだ。悪魔とその手下となったイスカリオテ・ユダという悪者の存在が、結果的に主イエス・キリストを十字架の死へと向かわせることになるのである。そして、罪のない主イエスが、罪人の身代わりとして十字架で死なれることを通して、救いが完成し、新しい契約が成就し、主イエス・キリストは、死と悪魔と罪に勝利することができたのである。

受難週の受難日に

受難週の受難日に

今日は受難週の金曜日。イエス・キリストが、私の罪のために十字架で死んでくださったことを覚える受難日。良い金曜日だから、英語ではグッド・フライデーと言う。1年365日、毎日十字架を覚えるが、特に受難日は、改めて十字架を覚える特別な日。

棕櫚の主日と呼ばれる日曜日から始まる受難週。その死に至る苦しみは、金曜日の午後に終わる。金曜日の朝9時頃に十字架に磔にされたイエス様は、午後3時頃に息を引き取られる。降誕から始まった受難の日々。しかし死に至る苦しみは、永遠には続かない。

古くからの信仰告白である使徒信条には、「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、よみに下り、三日目に死人の内よりよみがえり」とある。イエス様は、死に至る苦しみの後もなお、私の身代わりに地獄の苦しみを味わってくださったことを覚える。そのようにして、永遠の苦しみのかわりに永遠のいのちを与えてくださったイエス・キリストに、心から感謝します。

受難日に、十字架上のイエス・キリストの7つの言葉を覚える。
① 「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」(ルカの福音書23:34)

② 「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」(ルカの福音書 23:43)

③ イエスは、母とそばに立っている愛する弟子を見て、母に「女の方、ご覧なさい。あなたの息子です」と言われた。それから、その弟子に「ご覧なさい。あなたの母です」と言われた。(ヨハネの福音書 19:26-27 )

④ 三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。(マタイの福音書 27:46 )

そして三時に、イエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」訳すと「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。(マルコの福音書 15:34 )

⑤それから、イエスはすべてのことが完了したのを知ると、聖書が成就するために、「わたしは渇く」と言われた。(ヨハネの福音書 19:28)

⑥ イエスは酸いぶどう酒を受けると、「完了した」と言われた。(ヨハネの福音書 19:30)

⑦ イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊をあなたの御手にゆだねます。」こう言って、息を引き取られた。(ルカの福音書23:46)

聖書が語る神の選びについて

聖書が語る神の選びについて

コリント人への手紙第一1章26ー29節 

26 兄弟たち、自分たちの召しのことを考えてみなさい。人間的に見れば知者は多くはなく、力ある者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。 27 しかし神は、知恵ある者を恥じ入らせるために、この世の愚かな者を選び、強い者を恥じ入らせるために、この世の弱い者を選ばれました。 28 有るものを無いものとするために、この世の取るに足りない者や見下されている者、すなわち無に等しい者を神は選ばれたのです。 29 肉なる者がだれも神の御前で誇ることがないようにするためです。

創世記12章1ー3節

1 主はアブラムに言われた。「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。2 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。3 わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族は、あなたによって祝福される。」

イザヤ書43章1ー4節

1 だが今、主はこう言われる。ヤコブよ、あなたを創造した方、イスラエルよ、あなたを形造った方が。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったからだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたは、わたしのもの。2 あなたが水の中を過ぎるときも、わたしは、あなたとともにいる。川を渡るときも、あなたは押し流されず、火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。3 わたしはあなたの神、主、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。わたしはエジプトをあなたの身代金とし、クシュとセバをあなたの代わりとする。4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だから、わたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにする。

エレミヤ書29章11ー14節

11 わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──主のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。12 あなたがたがわたしに呼びかけ、来て、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに耳を傾ける。13 あなたがたがわたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つける。14 わたしはあなたがたに見出される──主のことば──。わたしは、あなたがたを元どおりにする。あなたがたを追い散らした先のあらゆる国々とあらゆる場所から、あなたがたを集める──主のことば──。わたしはあなたがたを、引いて行った先から元の場所へ帰らせる。』

ヨハネの福音書15章16節

16 あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るようになるため、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものをすべて、父が与えてくださるようになるためです。

主イエスの再臨にどのように備えるべきか

イエス様の再臨について、眠っていないで起きていなさいということを伝えるために複数のたとえ話が出てきますが、どのように過ごすことをイエス様は伝えて下さっているのでしょうか?

マタイの福音書25章の中に記されている3つのたとえで考えます。

今日イエス様が再臨されても大丈夫なように、あるいは今日私が死んでも大丈夫なように、

1、聖霊の油を絶やさず(油断せず)に聖霊に満たされ続け、

2、預けられたタラント・人生・いのち・御霊の賜物(複数)を失敗を恐れず活用し、

3、最も小さい者たちの中にイエス様を見て、御霊の実(単数)・愛という実を結ぶ。

ローマン・ロード

ローマン・ロード

①ローマ人への手紙 3章23節
 
すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、

②ローマ人への手紙 6章23節

 罪の報酬は死です。
 しかし神の賜物は、
 私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。

③ローマ人への手紙 5章8節
 しかし、私たちがまだ罪人であったとき、
 キリストが私たちのために死なれたことによって、
 神は私たちに対するご自分の愛を 明らかにしておられます。

④ローマ人への手紙 10章9節
 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、
 あなたの心で 神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、
 あなたは救われるからです。

⑤ローマ人への手紙 10章10節
 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。

⑥ローマ人への手紙 10章13節
 「主の御名を呼び求める者はみな救われる」

のまちゃん牧師の忘備録

のまちゃん牧師の忘備録

福音によって自分が変えられなければ、何度やっても同じこと。

福音によって自分が変えられるためには、イエス・キリストを呼び求めることが必要。

イエス・キリストの福音によって自分が変えられることが、人生の分水嶺となる。

SKY WALKING

写真は谷川岳から西側へと伸びる分水嶺。稜線の右に降った雨や雪は日本海側に、稜線の左に降った雨や雪は太平洋側に流れていく。

分水嶺:分水界になっている山脈。雨水を異なった水系に分かつ山の峰々。分水山脈。

香港2020福音宣言

香港2020福音宣言

第一項 イエス・キリストこそ、福音そのものである。

 イエス・キリストは救い主、王であり、そして福音の土台である(マルコによる福音書1・1)。この福音は、神の国の到来と現臨、また罪と悪の闇の力に対する勝利を宣言し、それによって世界のすべてのものに変革をもたらす。したがって、この福音は、単に死後における個人の魂の救いだけに関するものではなく、御国の到来、世の闇の根絶、悪の権威の打倒に関するものでもある。さらにこの福音は、今ここにある世の命を配慮し、癒し、保護するものであり、また人類の政治的解放と社会的配慮にまでおよぶ、具体的で行動的、かつ全包括的なものである。

第二項 イエス・キリストこそ、教会の唯一の主である。

 教会はキリストの体であり、頭であるキリストに連なり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場である(エフェソの信徒への手紙1・23)。したがって、教会は、最終的には、地上のいかなる政治的・経済的支配者や権力者に服従するにもまして、天の御国の王であり救い主であるキリストのみに服従し、忠実でなければならない。教会はこの世のいかなる権力にも依り頼んで存続を図ってはならず、またそれらによって支配されてはならない。特に、経済発展が他のあらゆることよりも優先されてしまいがちな香港社会において、教会は歴史を鑑とし、すべての偶像を拒否しなければならない。教会は、主イエスの「あなたがたは神と富(マモン)とに仕えることはできない」という教えと、「十戒」第一戒「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」という御言葉を心に刻み、これに生きなければならない。教会はイエス・キリストのほかに救いはないことを、確信するからである。

LOVE SUGITO RADIO 2020-07-09 聖書が教えている基本的なこと イエス・キリストはどんなお方?前半

LOVE SUGITO RADIOは、杉戸キリスト教会の「のまちゃん牧師」によるラジオです。杉戸町に関すること、聖書に関すること等について話しています。杉戸町と宮代町を愛するラジオです。41回目の配信。コロナと集中豪雨と地震。今日も有志の学び会で共に学んだ内容をシェアします。「聖書が教えている基本的なこと〜聖書入門のてびき」より、第6課、イエス・キリストはどんなお方?前半。

杉戸キリスト教会のホームページはこちらhttp://gospel.sakura.ne.jp/sugito/

SUGITO GOSPEL CAFE 2020-06-12 梅雨の時 洪水に備える