ローマにいる神に愛され召された聖徒たちへ 礼拝2023-01-15

Footprints足跡

Footprints

Footprints 足跡 (マーガレット・パワーズ作)
One night I dreamed a dream. I was walking along the beach with my Lord.ある夜私は夢を見た。私は主と一緒に砂浜を歩いていた。
Across the dark sky flashed scenes from my life.
これまでの人生のいろんな場面が走馬灯のように見えた。
For each scene, I noticed two sets of footprints in the sand, one belonging to me and one to my Lord.それぞれの場面に、二人分の足跡があった。一つは私の足跡、もう一つは主の足跡。

When the last scene of my life shot before me, I looked back at the footprints in the sand.最後の場面が映し出された時、私は砂浜に残された足跡を振り返った。
There was only one set of footprints. I realized that this was at the lowest and saddest times of my life.そこには一人分の足跡しかなかった。そして私は気づいた。足跡が一人分しかないのは、私の人生の中でも最低の時、最も悲しい時であったことに。
This always bothered me and I questioned the Lord about my dilemma.“Lord, you told me when I decided to follow You, You would walk and talk with me all the way. But I’m aware that during the most troublesome times of my life there is only one set of footprints. I just don’t understand why, when I needed You most, You leave me.”このことが私を混乱させ、私は主に文句の祈りをした。「主よ!私があなたに従うことを決心した時、あなたは、いつも私と一緒に歩んでくださると約束してくださいました。けれども、私が一番辛かった時に限って、足跡が一人分しかありません。私にはわかりません。なぜあなたは、私があなたを最も必要とした時に私を見捨てられたのですか?」
He whispered, “My precious child, I love you and will never leave you never, ever, during your trials and testings. When you saw only one set of footprints, it was then that I carried you.”主はささやかれた。「私の大事な子よ!私はあなたを愛している。そして決してあなたを離れない。あなたが一人分の足跡しか見つけられなかった大変な時。その時私は、あなたを背負って歩いていたんだよ。」

悲しみつきざる浮世にありても

改めて、詩篇1篇に、ご一緒に耳を傾けてみましょう。

Psa. 1
1 幸いなことよ

悪しき者のはかりごとに歩まず
罪人の道に立たず
嘲る者の座に着かない人。

2 主のおしえを喜びとし
昼も夜も そのおしえを口ずさむ人。

3 その人は
流れのほとりに植えられた木。
時が来ると実を結び
その葉は枯れず
そのなすことはすべて栄える。

4 悪しき者は そうではない。
まさしく 風が吹き飛ばす籾殻だ。
5 それゆえ 悪しき者はさばきに
罪人は正しい者の集いに 立ち得ない。

6 まことに 正しい者の道は主が知っておられ
悪しき者の道は滅び去る。

弱い私たちは、知らず知らずのうちに、
みことばとみことばを語っておられる主ご自身を嘲る者の座についてしまっていることがあります。
アーメン(真実)である主が、上記のように語り、約束しておられるのに、
「そんな薄っぺらい信仰なのか!」と。

主のおしえ、つまり主イエス・キリストご自身のみことばを喜びとし(主と主のみことばを嘲る者にならず)、
昼も夜もみことばを口ずさみ、思い巡らすなら(主イエスを繰り返し心の王座にお迎えするなら)、
この大患難時代のような地上の人生の只中においても、ここがすでに天の御国、神の国になります。

なぜなら、ここにすでに主イエス・キリストが来られ、
共に痛み苦しみ、愛によって私たちのすべてをご支配なさるからです。

御国とは、死の向こうにある国だけではなく、
この地上の現実の只中で、本当に体験することができる国です。
「御国とは、主イエス・キリストの愛によるご支配」ですから。

聖歌467番「みくにのここちす」の歌詞の通りです。

悲しみつきざる   浮世にありても
日々主と歩めば   御国のここちす
ハレルヤ! 罪とが 消されしわが身は
いずくにありても  御国のここちす

主にありて
野町 真理

聖書全体を貫く3つの出来事

聖書全体(旧約聖書39巻、新約聖書27巻、創世記から黙示録までの66巻)を貫く3つの出来事

創造     ➡️ 堕落      ➡️ 再創造

万物の創造  ➡️ 人間の堕落   ➡️ 万物の再創造。罪人の悔い改め・方向転換から始まる。

創世記1:1 ➡️ ローマ3:23 ➡️ 黙示録21:5

Gen. 1:1 はじめに神が天と地を創造された。
Rom.3:23 すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、
Rev. 21:5 すると、御座に座っておられる方が言われた。「見よ、わたしはすべてを新しくする。」また言われた。「書き記せ。これらのことばは真実であり、信頼できる。」

人はなぜ「うつ」になるのか?

人はなぜ「うつ」になるのか?

1、「朝があり、夕があった」という逆転したリズムに従っている。

 解決法=聖書が奏でている「夕があり、朝があった」という恵みの2ビートに合わせて生活する

2、休みなく働き続けている。安息日をとっていない。

 解決法=聖書が奏でている7日ごとに休符・安息日が入る恵みの7ビートに合わせて生活する

3、頑張り続けている=我を張り続けている。神を神とせず、自分を神としている。
  神中心ではなく、自己中心。神を主人公とするのではなく、自分が主人公・神を演じている。

 解決法=自分を神とすることをやめて、神を神とする。自己中心から神中心へ。頑張ることをやめて、神にゆだねる。自分がコントロールすることをやめて、神(イエス・キリスト)に主導権を明け渡す。

<ねばならぬ>いのちではなく、<許された>いのち

「生きねばならないと考えているような人は、いのちを根本的には尊敬することができない。自分のいのちも、他人のいのちも。いわんやまだ生まれてこない子どものいのちにいたっては、なおさらのことである。・・・その人に欠けているものは、いのちとは何かということに対する尊敬、また理解である。・・・人間のいのちは、決して<ねばならぬ>いのちではなく、<許された>いのちである。それは自由であり、恵みなのである。・・・憐れみによって生きている人は、それに比例してまた憐れみを用いるようになるであろう。」(教会教義学Ⅲ/4より)

あなたは空を打つような拳闘をしてはいないか?

あなたは空を打つような拳闘をしてはいないか?

ボクシングの世界でモンスターと呼ばれる井上尚弥(いのうえなおや)選手。先日埼玉スーパーアリーナで持たれたノニト・ドネア選手との試合において、彼は恐ろしいほど「圧倒的な勝利者(新約聖書ローマ人への手紙8章37節)」となった。前回の試合とは対照的に、まさに圧倒的だった。1ラウンドの終わり、かつて憧れたドネア選手の動きを冷静に見極め、厳しい反復練習によって体得した絶妙なカウンターパンチを、絶妙なタイミングで放った。意識が飛ぶほどの強烈なダメージを受けたドネア選手に対し、彼は2ラウンドで畳み掛け、見事な2ラウンドKO勝ちを手にした。モンスターは「空を打つような拳闘(新約聖書コリント人への手紙第一9章26節)」をしない。

それに対して、聖書を良く学んでいるはずの、日本のキリスト教会、日本のクリスチャンはどうだろうか。まさに「空を打つような拳闘」をしてはいないだろうか?祈った後、祈りがどれだけ答えられたかを毎回チェックしているだろうか?そのために、答えられたかどうかがはっきりわかるように祈っているだろうか?祈りがどれだけ答えられたかを確認していく作業こそ、祈りにおいて、信仰生活において、「空を打つような拳闘」をしない秘訣ではないだろうか。

日本のキリスト教会でも、伸びているごく少数の教会は真剣に祈っている。特に若者が多く集っているキリスト教会には、真剣な祈りがある。日本のキリスト教会よ、日本のクリスチャンよ、今こそ「空を打つような拳闘」に終止符を打ち、真剣な祈りによって「圧倒的な勝利者」とならせていただこうではありませんか!

そして、真剣に祈り始めると、悪しき者らの激しい攻撃が始まる。

WBA・IBF・WBC 世界バンタム級王座統一戦 井上尚弥 vs ノニト・ドネア

御霊の実と自助努力の実

御霊の実は、神と隣り人に対する愛です。

しかし、御霊の実は、
愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。

このようなものに反対する律法はありません。
(新約聖書ガラテヤ人への手紙5章22−23節より)

自助努力の実は、他者に対する無関心です。

自助努力の実は、他者に対する無関心、閉塞感、恐れ、瞬間湯沸かし器、意地悪、殺意、裏切り、頑固、依存症です。
このようなものに反対するのが律法(聖書・バイブル)です。
(上記のみことばをひっくり返したことば)

あなたは、どちらの実を結びたいですか?

あなたがもし、イエス・キリストを信頼して心の中心に受け入れ、御霊に満たされるなら、御霊が御霊の実、愛という実を結んでくださる。

BLESSセミナーの3つの質問に対する私の答え

①これまで成し遂げたことで、最もやり遂げた充実感が高かったことは何か?

 登山:槍ヶ岳、八ヶ岳縦走、雲取山、両神山、筑波山、谷川岳、剣山、石立山、鴻ノ森
ハクサンイチゲと槍ヶ岳

SKY WALKING

秋の八ケ岳

雲取山

ある晴れた春の日の午後

 水泳:自由型クラスマッチ一位
 英語:ESS スピーチコンテスト入賞
 空手道:瓦割り、昇段審査、組手
karate

 車 SUBARU:高知帰省ファミリーツーリング
 バイク:房総半島一周ツーリング、ビーナスラインツーリング、利根川ツーリング

 自転車:江戸川サイクリング、古利根川サイクリング、利根川サイクリング(神崎まで)

 魚釣り:シーバス、ブラックバス、キビレ、鯉、鮒
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Carp Fishing in Sugito

 カメラ:PENTAX 風景写真、ネイチャーフォト

 ビデオカメラ:Go Pro、シネマティック映像

 電気・電子工学:半導体結晶成長、コンピューター・スマホ・タブレット:Mac、iPhone、iPad
 インターネット:ホームページ、ブログ、
         SNS、YouTube、Facebook、Twitter、インスタ
 音楽:ギター、ドラムス、ストリートライブ、ゴスペルカフェ
 メッセージ:礼拝、ゴスペルカフェ、聖書と祈り会
 神学:卒業論文『神の痛みの神学』のキリスト中心的理解
 伝道:魂の救いのために用いられること
 牧会:2組の夫婦を献身者として杉戸から送り出したこと
 国外宣教委員会:台湾ミッショントリップ、モンゴルミッショントリップ、南アフリカ和解の務め支援会、JAWS21 教会形成、アジア21、そして世界へ

 伝道部:国内宣教(教会開拓&教会形成) 鹿児島、熊本、宮崎 
九州鹿児島ビジョントリップ2017-05

 浜名湖バイブルキャンプ委員会 中高生キャンプ、小学生キャンプ、青年キャンプ

②私が現在、最も関心を持っているものは何だろうか?

 閉塞感からのブレークスルー そのための真剣な祈り

ブレークスルー・打ち破らせてくださるのは、私たちの王であり主であるイエス・キリスト!!!
打ち破る者=私たちの先頭に立って上って行かれる主イエス・キリストは勝利者!!!

ミカ書2章13節 打ち破る者は 彼らの先頭に立って上って行く。彼らは門を打ち破って進み、そこを出て行く。彼らの王が彼らの前を、主が彼らの先頭を進む。」
Mic. 2:13 The One who breaks open the way will go up before them; they will break through the gate and go out. Their King will pass through before them, the LORD at their head.”

詩篇18篇29節
29 あなたによって 私は防塞を突き破り 私の神によって 城壁を跳び越えます。
29 With your help I can advance against a troop; with my God I can scale a wall.

王の王、主の主であれられ、勝利者であられる主イエス・キリストに対する真剣な祈り

③条件さえそろえば、他の人のためにどんなことをしたいか?

 閉塞感に囚われた人・教会がブレークスルーする働きに関わりたい

創造主の作品としての万物について

創造主の作品としての万物について

アラスカ 永遠なる生命 星野道夫

アラスカの雄大な風景、そこに生きる動植物などに関する星野道夫さんの写真と文章は、実に素晴らしい。だからこそ、大変残念な点が一つだけある。それは、進化論に基づく世界観である。

進化論を突き詰めると、結果として万物の創造主としての神を否定することになる。そして、万物は偶然に存在しているという無意味な結論に至る。進化論は、真実と希望と愛を人から奪いつつ、無味乾燥な人間中心主義をもたらす。人間中心主義は、自己中心という罪に打ち勝つことができず自己中心主義になり、弱肉強食を肯定し、弱者の生存権を否定し、多様性を否定して人種差別をもたらし、地球規模の環境破壊をもたらす。

想像してほしい。カリブーやハクトウワシが、ムースやコヨーテが、ナヌークやグリズリーが、ジリスが、ザトウクジラが、オーロラが、ルース氷河が、長い冬と短い夏が、勿忘草が、そしてあなたが、本当に創造主の作品ではなく、偶然の産物なのだろうか?

想像してほしい。カメラやレンズや三脚が、偶然にできるだろうか?テントや丸太小屋や家が、腕時計や自転車が、セスナやヘリコプターが、テレビやラジオが、コンピューターやインターネットやスマートフォンが、長い時間をかけると偶然にできるだろうか?

バイブルが語る万物の創造主としての神が、万物を目的と意味と愛を込めてデザインし、メイクし、存在の喜びへと招き、生かしてくださっていると考え始める時、すべてが美しく輝いて見えるようになる。