落葉樹は、葉っぱを落として冬備へをする。
でもそれは、次の春を見据えてのこと。
人間は、断捨離をして人生の冬備へをする。
いや、断捨離ではなく、天に宝を移し変えているのだ。
それは、死の向こうにある復活、よみがえりの季節を見据えてのこと。
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「縦軸のない日本社会は、・・・元来浮遊することをもって良しとしてきたのである。流れに棹させば流されるのである。戦後民主主義は縦軸の代用物の役割を果たしてきたが、流れの速さに押し倒されようとしている。・・・縦軸のないところでは横軸の流れだけが方向を決定する。・・・そこに今日の日本の真の危機がある。座標軸の構築こそが、内村が日本の思想史に残した遺産であり、その再構築が今問われている。」 隅谷三喜男『日本プロテスタント史論』146頁参照。
左近豊著「エレミヤ書を読もう 悲嘆からいのちへ」のはじめにで冒頭に引用されています。
「縦軸のないところでは横軸の流れだけが方向を決定する。」これは、国や社会のレベルだけではなく、一人一人の人生においても言えることです。縦軸のない人はただ振り回され、ただ翻弄され、ただ流されることしかできません。
今日妻と一緒に映画も見てきました。とても素敵な映画でした。最近ほとんど映画に行ってもパンフレット買ってませんでしたが、あまりの素晴らしさにパンフレットも買いました。本もおすすめですが、映画もおすすめです。
季節を感じ、今を味わうこと。
風や空気を感じること。
太陽の光を感じること。
雨の音を聴き、匂いや香りを感じること。
花や旬のものを愛でること。
お湯の音と水の音の違いを聞き分けること。
お茶は、一般恩恵に対する感度(センス・オブ・ワンダー)を高め、豊かな人生をもたらすのですね。
なぜ「日日是好日(にちにちこれこうじつ)」なのか?
それは、この日は天地を造られた好い神さまが造られた日だからですよね。
これは主が設けられた日。
この日を楽しみ喜ぼう。
旧約聖書 詩篇118篇24節
日本のキリスト者は、もっと一般恩恵を味わう必要がありますね。
(一般恩恵とは、太陽の光、雨、雪、水、空気、海、大地、山河、植物、春夏秋冬、食物、地球環境、身体、命などを、日日天地を造られた神さまが、無償で与えてくださっているということです。キリスト教の専門用語です。一般恩恵に対して、特別恩恵もあります。特別恩恵とは、罪の赦し、からだのよみがえり、永遠の命を与えてくださるために、神さまが救い主・キリストを与えてくださり、書き記された神の言葉である聖書を与えてくださり、神の言葉を語る預言者や教師を与えてくださっているということです。)
「お茶」が教えてくれた15のしあわせ。
1、「自分は何も知らない」ということを知る
聖書のみことば「自分は何かを知っていると思う人がいたら、その人は、知るべきほどのことをまだ知らないのです。」(コリント人への手紙第一8章2節)を思い浮かべました。
2、頭で考えようとしないこと
ブルースリーの「考えるな、感じろ!」を思い浮かべました。
3、「今」に気持ちを集中させること
4、見て感じること
実物教育で育てられたことを改めて覚えました。
5、たくさんの「本物」を見ること
井の中の蛙にならないためには、何事でも必要なことですよね。
6、季節を味わうこと
アウトドアに出かけること、外を出歩いて散歩すること、山登りをすること、それらすべてにカメラを持っていくことが私の実践です。
7、五感で自然とつながること
8、今、ここにいること
9、自然に身を任せ、時を過ごすこと
10、このままでよい、ということ
11、別れは必ずやってくること
一期一会。だからその人に会ったり、その人と一緒に過ごす時を大切にしたい。
12、自分の内側に耳をすますこと
13、雨の日は、雨を聴くこと
毎日が違う日。そして雨の日も好い日。
14、成長を待つこと
世の中には「すぐわかるもの」と「すぐにはわからないもの」の二種類がある。
15、長い目で今を生きること
毎年、同じことができることがしあわせ!
日日是好日(にちにちこれこうじつ/にちにちこれこうにち)
それが嵐の日であろうと、何か大切なものを失った日であろうと、その一日をありなまま受け止め、ひたすら生きれば、どんな日も、かけがえのない絶好の一日。
薫風自南来(くんぷうみなみよりきたる)
さわやかな風が吹いてくる五月、初風炉の頃によく掛けられる掛け軸。
風従花裏過来香(かぜはかりよりすぎきたってかんばし)
風にはもともと香りがないけれど、花のそばを通って来た風は良い香りがする。
・・・
少し早いクリスマスプレゼントとして、映画鑑賞の機会が与えられた。感謝します!
忘れないうちに、渋谷まで出かけて観た映画に対する私の応答(レスポンス)を記します。
聖書はアカデミックな神学論文ではない。書斎や研究室ではなく、獄中や隠れ家のような所で書き記されたから。
聖書は愛の手紙である。絶望的な現実の中にいる仲間を励まし支えるために、命がけで書き記されたから。
聖書は真の平和を造り出す真理のメッセージである。迫害や暴力や虐殺や処刑や殉教のただ中で、それでもなお武力による報復ではなく、主イエス・キリストの十字架の赦しの愛に生きるようにと語る神からのメッセージだから。