礼拝メッセージ「バベル Babel」

Babel

礼拝メッセージ「バベル Babel」(クリックで聴けます)

聖書箇所:創世記11章1節-32節

そのとき主は人間の建てた町と塔をご覧になるために降りて来られた。創世記11章5節

震災後、なお生かされている私たちにとって大切なことは、「何を指針として再建すべきか」です。

ハムの子孫たちは、自分を中心とし、神に反逆しながら再建し、バベル(バビロンの語源。神に反逆して築いた王国の象徴)を築くニムロデを生み出しました。彼の名前は「我々は反逆しよう」という意味で、最初の権力者となりました。

バベルの塔は、れんがとアスファルトによる超高層建築でした。人々が高い塔を建てようとした動機は、「頂が天に届く塔を建て、名をあげよう」でした。

そのとき神が降りて来られて、ことばを混乱させ、ことばが通じないようにされた目的は、神に反逆する大都会文化に魅せられ、東の高地から平野に定住したセムの子孫たちを、再び分離するためだったと考えられます。

そのようにして世的文化から取り分けられたセムの子孫たちは、神を中心とし、神に従って再建を試み、アブラハム、ダビデ、そしてイエス・キリストへとつながる再建となります。

イエス・キリストは、私たちの罪悪で放射能以上に汚染されたこの地に、天から降りて来られました。それは、放射能よりも恐ろしい罪から、私たちを救い出すためでした。

浜岡原発が危険です!STOP-HAMAOKA Ver. 1.5

浜岡原発が危険です!

聖書に記録された緊急祈祷課題発信について

★エステル記に記録されたエステルの緊急祈祷課題発信

行って、シュシャンにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食をしてください。三日三晩、食べたり飲んだりしないように。私も、私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。そこで、モルデカイは出て行って、エステルが彼に命じたとおりにした。エステル4章16−17節

★ヨナ書に記録されたニネベの指導者たちの緊急祈祷課題発信

ヨナはその町に入って、まず一日目の道のりを歩き回って叫び、「もう四十日すると、ニネベは滅ぼされる」と言った。そこで、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者から低い者まで荒布を着た。このことがニネベの王の耳に入ると、彼は王座から立って、王服を脱ぎ、荒布をまとい、灰の中にすわった。王と大臣たちの命令によって、次のような布告がニネベに出された。「人も、獣も、牛も、羊もみな、何も味わってはならない。草をはんだり、水を飲んだりしてはならない。人も、家畜も、荒布を身にまとい、ひたすら神にお願いし、おのおの悪の道と、暴虐な行いから立ち返れ。もしかすると、神が思い直してあわれみ、その燃える怒りをおさめ、私たちは滅びないですむかもしれない。」神は、彼らが悪の道から立ち返るために努力していることをご覧になった。それで、神は彼らに下すと言っておられたわざわいを思い直し、そうされなかった。ヨナ書3章4−10節

想定外に備えよう!

想定外に備えよう!

人はある日突然、自分の死に出会うことが多い。
だから、今日が最後の一日かもしれないことを覚えて毎日を生きよう。

大地震はある日突然、忘れたころにやってくることが多い。
だから、今日大地震が来てもいいように毎日を生きよう。

主の再臨はある日突然、思いがけない時にやってくる。
だから、今日主が来られてもいいように毎日を生きよう。

礼拝メッセージ「ノアの子孫たち The clans of Noah’s son」

ノアの子孫たち

礼拝メッセージ「ノアの子孫たち The clans of Noah’s son」(クリックで聴けます)

聖書箇所:創世記10章1節-32節

以上が、その国々にいる、ノアの子孫の諸氏族の家系である。大洪水の後にこれらから、諸国の民が地上に分かれ出たのであった。創世記10章32節

大洪水が全地に襲いかかった後のことです。ノアの息子たち、セム、ハム、ヤペテそれぞれの家族に、新しい命が次々と誕生しました。それは、人間の罪や恥をおおってくださる神の恵みでした。

今、東北地方太平洋沿岸を中心とする被災地において、妊婦さんの存在や赤ちゃんの誕生が人々に計り知れない慰め、思いやり、そして生きる力を与えているように、ノア夫婦と3人の息子夫婦は、子どもたちや孫たちから元気や勇気をもらい、「また、再建しましょう!」と力を合わせ、再建が続けられました。

創世記10章には、そのようにして歩み続けたノアの子孫たちの歴史が記されています。2節からはヤペテの子孫、6節からはハムの子孫、21節からはセムの子孫が、それぞれ氏族、国語、地方、国ごとに記録されています。

しかし大震災の後、今私たちが注目すべきは、「何を指針として再建すべきか」です。ハムの子孫は神に反逆しつつ再建し、バベルを築くニムロデ、ペリシテ人、カナン人、ソドム、ゴモラを生み出しました。一方、セムの子孫は神に従って再建を試み、アブラハム、ダビデ、そしてイエス・キリストへとつながる再建となりました。

主イエスは、逃げない

主イエスは、逃げない。
むしろ主イエスは、人々が救援を待っている危険な場に向かわれる。

主イエスは、天から降りて来られた。
人々の罪悪で放射能以上に汚染されたこの地上に。

主イエスは、あきらめない。
むしろ主イエスは、その時なすべき最善のことをなし続けられる。

主イエスは、天罰だと言って裁かない。
むしろ主イエスは、十字架の上で天罰を身に受けてくださる。

主イエスは、滅びない。
むしろ主イエスは、3日目に死人のうちからよみがえられ、今も生きておられる。

礼拝メッセージ「虹の彼方に Over the Rainbow」

Over the Rainbow 虹の彼方に

礼拝メッセージ「虹の彼方に Over the Rainbow」(クリックで聴けます)

聖書箇所:創世記9章1−17節

わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それはわたしと地との間の契約のしるしとなる。わたしが地の上に雲を起こすとき、虹が雲の中に現れる。わたしは、わたしとあなたがたとの間、およびすべて肉なる生き物との間の、わたしの契約を思い出すから、大水は、すべての肉なるものを滅ぼす大洪水とは決してならない。虹が雲の中にあるとき、わたしはそれを見て、神と、すべての生き物、地上のすべて肉なるものとの間の永遠の契約を思い出そう。」創世記9章13-16節

ノアの真摯な礼拝に応答して、神は虹の契約を立ててくださいました。けれども、終末時代に生かされている私たちには、以下のような神の忍耐と望みが、虹の彼方に啓示されています。

『当時の世界は、その水により、洪水におおわれて滅びました。しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どものさばきと滅びとの日まで、保たれているのです。しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。』2ペテロ3章6-9節

虹の彼方に Over the Rainbow

Over the Rainbow 虹の彼方に

礼拝式のご案内

日時:2011年 3月 6日(日)第1主日聖餐礼拝式
   ★第一礼拝・・・・・・・午前10時半~12時 
   ★第二礼拝・・・・・・・午後8時~9時
    聖書箇所:創世記9章1節-17節
    説教題:「虹の彼方に Over the Rainbow」
    説教:野町真理(日本同盟基督教団・杉戸キリスト教会牧師)

   ★スマイルキッズ(幼児から小学生向け)・第一週は第一に合流
   ★Jesus Junior(中高生から青年向け)・午後3時~

どなたでもお集いください。初めての方も大歓迎です。

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話す祈りと聞く祈り

話す祈りと聞く祈り

会話が「話すこと」と「聞くこと」によって成り立つように、祈りにも「話す祈り」と「聞く祈り」があります。聖書は、「話す祈り」よりも「聞く祈り」の方が大切であることを覚えています。

伝道者の書5:1-2には、

『神の宮へ行くときは、自分の足に気をつけよ。近寄って聞くことは、愚かな者がいけにえをささげるのにまさる。神の前では、軽々しく、心あせってことばを出すな。神は天におられ、あなたは地にいるからだ。…』

と語られています。

イザヤ書48:17-18には、

『あなたを贖う主、イスラエルの聖なる方はこう仰せられる。「わたしは、あなたの神、主である。わたしは、あなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く。あなたがわたしの命令に耳を傾けさえすれば、あなたのしあわせは川のように、あなたの正義は海の波のようになるであろうに。…』

と語られています。

主の祝福を受ける秘訣は、「日毎に御言葉に耳を傾けて聞く祈り」にあります。そして、その時にこそ、神に自らの自己中心な願いを聞いてもらうための熱心な祈りではなく、神が自分に対して願っておられるみこころに生きるための熱心な祈りを捧げることが可能となる。そんなことを覚えさせられています。

礼拝式における祝祷について

礼拝式における祝祷について

主の日(日曜日)ごとの礼拝式において、キリスト教会で行なわれていることは何でしょうか?

それは、一つ所(教会堂)に呼び集められた神の民(教会)が、御言葉(聖書)によって取り扱われ、自らのからだを、十字架の故に、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげること。そして、自らを委ねた復活の主の御手の中から、一人一人、それぞれの生活の場に、祝福の基として派遣される、散らされるということではないでしょうか。

祝祷は、もう一度散らされて、一人一人、それぞれの生活の場に、祝福の基として派遣される際になされます。

その時、牧師は何をしているのでしょうか?

その時、牧師は、三位一体の主の祝福が、散らされて派遣されていくお一人お一人の上に、豊かに限りなくありますようにと祈ります。牧師は祝祷において、派遣されるお一人一人の上に、祝福の祈りを捧げています。そしてそれは同時に、お一人お一人に対する派遣の宣言でもあります。

私たちは、祝福の基として世界に遣わされるために集められるのですから、礼拝式において、司会者、奏楽者、説教者、そしてすべて集められた礼拝の民が目指すべきことは、祝祷においてクライマックスを迎えると言っても過言ではないと私は考えています。

世界を変えるために派遣されるお一人お一人が聖霊に満たされ、上からの祝福に満ち満ちるようにと、祝祷の時牧師は祈っているのです。