上を向いて歩こう

上を向いて歩こう

怒りや憎しみに支配されているあなたへ

最近外に出ると、キレて怒りを爆発させている人々に多く出会います。怒りや憎しみに支配されているあなた!ぜひこの歌を聴いてください!そしてキリスト教会にぜひ来てください!等身大のあなたを、神は愛しておられます!

もうだめだと思う時に

もう一歩も先に進めないと思う時がある。
もうだめだと思う時がある。
もうこれ以上は頑張れないという時がある。
信じることに非常な困難を覚える時がある。
でも、苦しい時、試練は必ず過ぎ去る。

だから恐れないでただ信じ続けよう。
神がすべてのことを働かせて良いことに変えてくださるから。
信仰によって山をも動かすことができるから。
私たちの信じている神は、死者をよみがえらせることもできる方だから。

映画「ミッション THE MISSION」

この映画の脚本は史実をもとに書かれているが、まず宗教改革以降の国外宣教という視点から見ると、プロテスタントよりも早い時期に、国外に宣教師を派遣したローマ・カトリック教会の素晴らしさを覚えた。

南米のイグアスの滝に、十字架に磔にされた宣教師が落ちていく場面から映画は始まる。

殉教者が起こされた故に、新たな宣教師が派遣されることになった。そして音楽の賜物が与えられていた後続宣教師によって、頑なであった現地のインディアンたちの心が開かれ、多くの人々がキリスト教に帰依していくことになった。ジャングルの中、武器を持った現地の人たちに取り囲まれた宣教師が、「ガブリエルのオーボエ」という曲を奏でた時、賛美の調べが人々の琴線に触れ、宣教の門が開かれていくシーンは感動的だった。

やがて宣教(ミッション)は目に見える形で大成功を収める。現地に教会堂が建てられ、抜群の音楽的センスを持つ現地の人々は、美しい声で神を賛美する者とされた。人々は勤勉に働き、少なからずの収益を得るようにもなっていった。

しかし、国と国との間に利権争いが起こり、宣教師の派遣母体であるイエスズ会も政治的理由から現地の教会を切り捨ててしまう。最終的に現地の教会、村の人々は、現地にとどまった宣教師たちと共に、武力、軍事力をもって虐殺されるに至る。

1755年、イグアスの滝上流に住むグァラニー・インディオたちがカアイパテの戦いでスペイン軍に滅ぼされた史実が脚色されて描かれる。その際、何人かの宣教師たちは武器をもって戦ったが、銃弾に倒れていった。しかし一人の宣教師は非暴力を貫き、武器ではなく十字架を掲げ、神を賛美しながら行進し、銃弾に倒れていった。

あなたが宣教師の立場であるなら、どういう行動に出るだろうか?もし私がそのような立場に立たせられたなら、人間的な怒りや憎しみに主の祈りをもって打ち勝ち、非暴力を貫きたいと心から願う。

Genesis Ch. 1 Vs. 32

プログレッシブ・ロックというジャンルに入れられているアラン・パーソンズ・プロジェクトの曲に、このGenesis Ch. 1 Vs. 32という曲がある。

聖書を見ると、創世記1章は31節までしかない。そしてそこには、造られたすべてのものは非常に良かったという記述がある。どうやらその後の世界の様子を、この曲は奏でているようだ。

現実のこの世の中を見渡すなら、まさにこの曲に表現されているような悲愴感、無常感、恐れとおののき、不安と戦慄がある。

今日も日本に何人かの宣教師たちが遣わされている。彼らが日本に来た大きな動機は、日本の自殺者の多さに対する驚きと痛みである。毎日90名前後の方々が自らいのちを絶っている異常な国。それがこの国の現実だ。統計に出てこない部分や自殺未遂者を含めると、これは氷山の一角だ。

また、小さないのちを守る会が真剣になって取り組んでいる性に対する正しい教育と啓蒙活動。それがどうしても必要なのは、この国の中で、生まれて来る前に葬られていく恐ろしい数の小さないのちがあるからだ。

人工妊娠中絶によって闇に葬られている小さないのちは、日本で年間30万弱と言われている(2006年度厚生労働省発表では276,352件)。出生数と比べると、だいたい3人の赤ちゃんが母の胎に宿ったら、そのうち1人しか生まれ出でることが出来ない。産ぶ声をあげることもなく、赤ちゃんが闇に葬り去られている。出生前DNA検査がこれに拍車をかけている。 「お母さんぼくを殺さないで!」・・・声なき声をあげて小さないのちは泣き叫んでいる。 人命軽視と虐待はここから始まっている。

また、狭い日本から目を世界に向けると、平均すると1分間に約17人、1日に25,000人、1年間に1,000万~1,500万人の人々が飢えで死んでいる。世界中から食料を輸入し、余ったものを捨てている日本の現状が問われている。この問題に関しては、日本国際飢餓対策機構が真剣に取り組んでいる。

かつて森総理は「日本は天皇を中心とした神の国である」と発言した。その思想と日の丸・君が代のもとに、どれほどの暴虐が行われ、どれほどの血が流されたのか。韓国、台湾、フィリピン、インドネシア、中国、シンガポール、タイ、ビルマ(ミャンマー)、マレーシアといったアジア諸国の方々の痛みや、沖縄の方々の痛み、在日の方たちの痛みをまったく感じることができないようだ。

日本同盟基督教団105周年記念大会 -横浜宣言-

第二次大戦における日本の教会の罪責に関する私たちの悔い改め

それがまさに、この曲が奏でている現実である。

なぜこの国は、このように夢も希望もない国になってしまったのか。
なぜこの世界は、そのように壊れ逝くのか。

その理由は、創世記3章にはっきりと記されている。

その原因は、・・・神を神としない私に、そしてあなたにある。

善悪の知識の木の実を食べるということは、神を善悪の絶対的基準とすることを止めて、自分を善悪の基準・ものさしとして生きること、つまりそれは、自分を神として、自己中心に自分勝手に生きることだ。聖書はそれを罪と言っている。

自己中心に自分勝手に長さが変わるものさし。人をはかる時には厳しいものさしになり、自分をはかる時には甘いものさしになる。自分にとって都合の悪い人が悪人になり、自分にとって都合の良い人が善人になるものさし。これを持って生活するとどうなるか。

・・・地球の上に夜が来る。

しかし、天地万物を統べ治めておられる主なる神は、やがて8日目の朝を迎えさせてくださる。