月: 2011年4月
キリスト教の中心ー神われらと共に
私たち人間は否定した。私たち人間を造り、共に生きるようにと招かれた創造主なる神を。
それ故私たち人間は、神の最高傑作としての自分自身を否定し、絶望的な状況に陥った。
しかし神は、イエス・キリストにおいて、そのような望みなき人間に、救いの手を差し伸べてくださった。
神われらと共に
キリスト教の中心とは何か?
信仰の対象、愛の起源、希望の内容とは何か?
福音の中心、福音の対象・起源・内容の中心とは何か?
それは、「和解の業において成就された契約」である。
和解論が取り扱う、この「キリスト教の中心」の近似値=「神われらと共に」
狭い共同体(教会)から広い共同体(地域住民)に向かっての福音宣教
神は狭い共同体(教会)の方々と、共におられる。
しかしそれだけではない!
神は、まだ福音を聞いたことがないすべての方々とも、共におられる。
神は、まだ福音を知らないすべての方々とも、共におられる。
神は、広い共同体(地域住民)のお一人お一人と、共におられる。
被災地におられるあなた。神はあなたと共におられます。
大切な方を亡くされたあなた。神はあなたと共におられます。
泣いてるあなた。神はあなたと共におられます。
インマヌエルー神は私たちとともに。
インマヌエルーいつも共におられるイエス・キリストは、そう呼ばれています。
インマヌエルー神は私たちとともに。
途方にくれているあなた。神はあなたと共におられます。
慰められることを拒んだあなた。神はあなたと共におられます。
被災地におられるあなた。神はあなたと共におられます。
1、神の一つの行為・行為における神の中心的出来事の報道
2、今ここで唯一無比な出来事として起こる唯一の特別な行為
3、人間の救済(存在の究極)に関する出来事・救済史
4、救済が定められている人間と共に(創造の目的としての救済)
5、救済と存在を失った人間・放蕩息子として悲惨の中に生きている人間と共に
6、以前の状態の回復をはるかに超える、さらにより偉大なこと
究極・救済・完成・終末・エスカトンの到来
7、われら神と共にー信仰と希望と愛、神の恵みの讃美