礼拝メッセージ「普通の人を用いる神」

礼拝メッセージ「普通の人を用いる神」

聖書箇所:使徒の働き4章1-22節

彼らはペテロとヨハネとの大胆さを見、またふたりが無学な、普通の人であるのを知って驚いたが、ふたりがイエスとともにいたのだ、ということがわかって来た。使徒の働き4章13節

神に豊かに用いられたペテロとヨハネ。ふたりは、無学な、普通の人でした。

ペテロは主イエスに呼ばれるまで漁師でした。彼は一番弟子であると自負していましたが、鶏が鳴くまでに3度、受難の主イエスを否みました。しかし先行する主イエスのとりなしの祈りによって、彼は涙の中から立ち直り、兄弟たちを力づける者に変えられていきました。

ヨハネも主イエスに呼ばれるまで漁師でした。彼は「ボアネルゲ」(「雷の子」の意)と呼ばれたほどに、短気で激しい性格の持ち主でした。しかし主イエスの愛によって、やがて彼は「愛の使徒」に変えられていきました。

ふたりはかつて、主イエスとともにいました。そしてふたりは、いつも主イエスとともにいました。無学な、普通の人が、神に豊かに用いられた秘訣がここにあります。

復活され、今も生きておられる主イエスは、現代を生きる私たちにも『見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。』と語っておられます。

杉戸さんぽ

杉戸さんぽ 09/07/02

古利根川は、杉戸キリスト教会から歩いて1分ほどの所にゆったりと流れている。橋本そば屋さんの横から、いつもの細い路地を通って、川沿いのT字路に出る。そしてゆっくりと川上に向かう。葉っぱをたくさんつけた柳の木の枝が、ゆっくり揺れている。梅雨のこの季節の古利根は、若干水かさが増し、流れも少し早い。水の色はコーヒー色に近い。

駅前通りの橋を渡ると、対岸はもう宮代町である。橋を渡った後、駅の方には向かわず、そのまま下流の方に歩く。川の流れを見ながら歩いていると、水際でかなり大きな波紋を見つけたので立ち止まる。おそらく大きな鯉だろうと考えて、魚影を探す。

ところがその大きな魚は、時折顔を上げて、水際から生え出ている草を口にくわえ、そして引っ張りながらむしゃむしゃと食べた。草魚だ!杉戸に来て3度目の夏になろうとしているが、古利根川で草魚に出会ったのはこれが初めてだ。70センチから80センチメートルほどの大きな丸太のような魚体は、とても貫禄があった。

礼拝メッセージ「金銀はないがあるものを」

礼拝メッセージ「金銀はないがあるものを」

聖書箇所:使徒の働き3章1-16節

すると、ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」と言って、・・・使徒の働き3章6節

美しの門と呼ばれる門の前で、毎日のように施しを求める男がいました。この男は、生まれつき足を動かすことが出来ず、一度も自分の足で立ったり歩いたりしたことがありませんでした。

男はペテロとヨハネが宮に入ろうとするのを見て、いつものように施しを求めました。ペテロはヨハネとともに、その男を見つめて、「私たちを見なさい」と言いました。

男は、当然何かもらえると思って、ふたりに目を注ぎました。男が期待したのは金銀程度でした。しかし男は、期待を遙かに超えた素晴らしいギフトを、上からいただくことができ、自由にされたのです。

一度も力を入れることが出来なかった男の両足が、完全に強められ、自分の足でまっすぐに立ち、歩いたりスキップができるようになりました。

人々は、ペテロが自分の力とか信仰深さによって男を歩かせたかのように見つめました。しかしペテロはすべての栄光を主イエス・キリストにお返ししました。主イエス・キリストによって与えられる信仰。このキリスト信仰にこそ、真の自立支援があります。

礼拝メッセージ「父を用いられる神」

09 Father's Day

礼拝メッセージ「父を用いられる神」

聖書箇所:ヘブル人への手紙12章1-13節

すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。ですから、弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい。ヘブル人への手紙12章11-12節

父というのは、山の稜線の急峻な岩肌に、しがみつくようにして立っている大きな木のようです。

稜線は山々における馬の背のような部分ですから、いつも風や雨の当たりが強く、しばしば落雷がある所です。しかしどこにも逃げ場はなく、まさに矢面です。そんな過酷な所に、父は立ち続けなければならないのです。

ですから父の一週間は、まるで懲らしめを受け続けるかのような毎日です。週末になる前に、「やってられない今日この頃!」と叫びたくもなるでしょう。

しかし上記のみことばは、そのような苦しみの中に置かれている父、そして私たちに対する、天の父からの語りかけです。

天の父なる神は、地上の父たちに平安な義の実を結ばせようとしておられます。天の父なる神は、地上の父たちを豊かに用いて、やがて矢面に立ち、明日の家族と社会を背負って立つ子どもたちを、将来に備えて育成されるのです。

Trees like Father

礼拝メッセージ「悔い改めなさい」

礼拝メッセージ「悔い改めなさい」

聖書箇所:使徒の働き2章22ー41節

「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。」使徒の働き2章38節

聖霊に満たされたペテロは、まさしく「神の伝令」として、イエス・キリストを真っ直ぐに伝える伝道説教を熱く語り続けます。

ペテロが語る伝道説教は、鋭いメスによってなされる切開手術のようです。なぜなら、ペテロが上から預かって語っているのは、私たち人間の心に溜まっている膿や癌のような罪をすべて取り除き、私たちを死と永遠の滅びから救おうとする神の言葉だからです。

心を刺され、ペテロのことばを神の言葉として受け入れた人々は悔い改め(向きを変え)、行列となってバプテスマ(洗礼)を受けました。その日3000人ほどが弟子に加えられたと聖書は記録しています。

神の言葉と聖霊が、にわか雨のように豊かに降り注ぐ時、そこに行列のできる教会ができるのです。にわか雨は予測できません。恵みの雨は神の主権の中で局地的に注がれます。しかし私たち教会が、十字架のもとに力を合わせ、祈りに専念するなら、神はこの地域にも、豊かに雨を降らせてくださるでしょう。

礼拝メッセージ「母を用いられる神」

09Mother's Day

礼拝メッセージ「母を用いられる神」

聖書箇所:詩篇139篇

それはあなたが私の内蔵を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいは、それをよく知っています。詩篇139篇13-14節

世の中には2種類の神がいます。人間「が」造った神と、人間「を」造った神です。一字しか違いませんが、「が」と「を」の間には天地の違いがあります。私たち人間を、母の胎の中で造られた主なる神を覚えつつ、赤裸々な祈りがささげられる。それが詩篇139篇です。

主は私たちを探り、私たちをことごとく知っておられます。ことばが私たちの舌にのぼる前に、なんと主はそれをことごとく知っておられます。主は前からうしろから私たちを取り囲み、御手を私たちの上に置かれました。

詩人は神について黙想する(黙って思いを巡らせる)中で、なぜ主が私たちを完全に知っておられるのかという理由に至ります。それが上記のみことばです。その時黙想は、神への感謝と賛美に変えられます。

最後に詩人は、敵を覚える祈りとともに、『神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。』と祈ります。

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礼拝メッセージ「アブラハムのしもべ」

礼拝メッセージ「アブラハムのしもべ」

聖書箇所:創世記24章34ー67節

アブラハムのしもべは、彼らのことばを聞くやいなや、地にひれ伏して主を礼拝した。創世記24:52

アブラハムのしもべは、とても大切な働きに任命され、アブラハムの息子イサクのために花嫁さがしの旅に遣わされました。

目的地付近に着いた時、アブラハムのしもべは具体的な相談を神さまとしていました。ところが、心の中で話し終わらないうちに、リベカさんという素敵な女性が現れ、『お飲みください。あなたのらくだにも水を飲ませましょう。』と言いました。

アブラハムのしもべは、具体的な祈りによって具体的な答えを神さまからいただき、さらに具体的に話を進めました。その結果、相手と相手の家族から驚くばかりの応答をいただき、神さまが旅を成功させてくださったことを確信することができました。

私たちは洗礼(バプテスマ)を受ける時、アブラハムのしもべのように、とても大切な働きに任命され、旅に派遣されます。それは福音宣教、世界宣教、キリストの花嫁である教会形成、花嫁さがしの旅です。

信仰によって、具体的に祈りつつ前に向かって歩んで行く時、みこころかどうかを確証することができます。その時私たちは、それぞれの旅を成功させてくださる神を体験することができるのです。

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礼拝メッセージ「旅を成功させてくださる神」

礼拝メッセージ「旅を成功させてくださる神」

聖書箇所:創世記24章1ー33節

この人は、主が自分の旅を成功させてくださったかどうかを知ろうと、黙って彼女を見つめていた。創世記24:21

晩年のアブラハムは、あらゆる面で主なる神からの祝福を受けていました。しかし、自分がこの地上の人生を締めくくるにあたって、気がかりなこと、祈りの課題がありました。それは約束の子として授かった一人息子イサクの結婚相手でした。

それでアブラハムは、信頼の置ける最年長のしもべを呼び寄せ、誓わせて花嫁さがしの旅に出させます。

アブラハムのしもべは、アブラハムの生まれ故郷へと旅します。旅の道中、しもべはとても具体的な祈りをしつつ、みこころを確かめようと努めます。

驚くべきことに、しもべがまだ祈り終わらないうちに、一人の女性がしもべの前にあらわれ、しもべが祈ったとおりのことを語り、行いました。しもべは、主が自分の旅を成功させてくださったかどうかを知ろうと、黙って彼女を見つめていました。

主なる神は、私たちが願う前にあなたの必要をよくご存じです。そして主はいつでも、あなたにとっての最善を用意し、待っていてくださいます。あきらめずに忍耐をもって、具体的に祈りつつ旅を続けていく時、主が備えてくださっている最善に出会うことが出来るのです。

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礼拝メッセージ「苦しさの裏側にあること」

礼拝メッセージ「苦しさの裏側にあること」

聖書箇所:創世記22章1ー24節

これらの出来事の後、神はアブラハムを試練に会わせられた。創世記22:1

春の前には冬があり、夜明け前には闇があるように、復活の前には十字架の死があり、歓喜の前には苦しさがあります。

キリストの愛に揺り動かされて、本気でキリストに従おうとする時、私たちは葛藤や苦痛、困難に直面します。しかしキリストは「自分の十字架を負ってわたしについて来なさい」と言われます。キリストに従うことは、キリストの苦しみの欠けたところを満たすことに他なりません(コロサイ1:24参照)。

苦しむこと、自己否定が目的(ゴール)ではありません。しかし苦難を通して、人間性がその極みまで、真の人間であるイエス・キリストの身丈まで成長すると私は確信します。

苦難の意味は、キリストに従うことを通して、私たちがキリストのように変えられるところにあります。それは、私たち自身が、全世界の祝福の基として、他者のために存在する教会となるためです。

世界宣教の使命に生きる教会として、自分の十字架を負い、ともにキリストに従っていきましょう。

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