礼拝メッセージ「盗んではならない」

礼拝メッセージ「盗んではならない」

聖書箇所:出エジプト記20章1-17節

盗んではならない。出エジプト記20章15節

収入を得るためには、以下のものが必要不可欠です。

健康:仕事があり、能力もあり、働く意欲があっても、病気や事故等で健康が損なわれると、収入を得ることができません。

仕事:健康で能力があり、働く意欲があっても、雇ってくれる職場がなければ、収入を得ることができません。職場があっても仕事がなければだめです。

能力:健康で、働く意欲があり、仕事が与えられたとしても、仕事をする能力がなければ、収入を得ることはできません。

意欲:健康が与えられ、仕事が与えられ、仕事をする能力があっても、働きたいという意欲がなければ、収入を得ることはできません。

これらすべては、天の神から贈り物です。実に収入を得ることができるのは、この神のおかげなのです。ですから、収入の十分の一を、感謝を込めて天の神に献げないなら、神のものを盗むことになります。

天の神は、『十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。…わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。』(マラキ3:10)と言われます。

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礼拝メッセージ「父と母を敬え」

礼拝メッセージ「父と母を敬え」

聖書箇所:出エジプト記20章1-17節

あなたの父と母を敬え。出エジプト記20章12節

十戒の前半には、私たちを奴隷の家から救い出して下さった神との関わり方が語られています。後半には、隣人との関わり方が語られています。十戒を通して、神が私たちに教えておられること。それは、親子関係に始まる人間関係の土台は、十戒の前半に語られている、神との関係だということです。

神は、あなたを神と隣人を愛する自由の中に生かすために、十字架であなたの身代わりに死なれ、葬られました。しかし神は、3日目によみがえられ、今も生きておられます。

十字架の縦棒は縦の関係、神と私たちの関係を表わしています。そして十字架の横棒は横の関係、人と人との関係を表わしています。神との関係が人との関係の土台であり、神との関係をしっかり持っていくなら、豊かな人間関係を持つことができるのです。十戒の前半で語られているような神との関係を持たなければ、後半で語られるような人との関係を持つことはできないのです。

「あなたの父と母を敬え」という命令は、「もし天の父なる神の愛に根差すならば、あなたは将来必ず、父と母を敬うことのできる者に変えられる。」という約束です。神の愛に根差すならば、どんな難しい親子関係においても、父と母を敬う自由、父と母を愛する自由に生きることができるのです。

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礼拝メッセージ「安息日」

礼拝メッセージ「安息日」

聖書箇所:出エジプト記20章1-17節

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。出エジプト記20章8節

創世記の冒頭には「夕があり、朝があった。」ということばが繰り返し使われ、日ごとに恵みの2ビートを奏でています。恵みの2ビートは、7日目には休符となり、一週間というリズムを刻みます。

普通私たちが一日の始まりと考えるのは朝です。しかし、旧約聖書の感覚では、夕方が一日の始まりです。夕方から夜にかけて、人間は眠りにつきます。働きを止めて休むのです。新しい朝を迎え、私たちが目を覚ます時、すべてが整えられ、神のご計画が進んでいることに気づきます。創造主なる神は、人間が何もしない間に、すべてのことを備え、ご自身の計画を進めておられるのです。

「夕があり、朝があった。」という恵みのリズムは、次のような響きを持っています。「あなたの神様は小さすぎるよ。あなたが何かをする前に、まず神様が問題の只中にいて、働いておられるよ。全知全能の神様は、必ずすべての問題を解決へと導いていて下さる。そして神様は、あなたに出来るあなたのなすべきことを備えて下さっている。あなたの小さな働きを、神様は大きく用いて下さるんだ。」

7日毎にすべての営みをストップし、天を見上げる。そして主を待ち望む。そのようにして神の恵みに浸るなら、上からの良きもので満たされて、なすべき仕事に立ち向かっていくことができます。

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新年礼拝メッセージ「神のビジョン」

新年礼拝メッセージ「神のビジョン」

聖書箇所:創世記15章1-6節

さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。…あなたの子孫はこのようになる。創世記15章5節

神のビジョンは、心の救いに留まりません。神のビジョンは、一市町村やこの国の救いに留まりません。神のビジョンは世界大であり、宇宙大です。使徒パウロが「被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしている(ローマ8:22)」と表現しているとおりです。

天を見上げるということは、宇宙を見上げるということです。光さえ私たちの目に届くのに時差が生じるほど壮大な空間が、天には広がっています。太陽の光は、約8分かかって地球に届いています。私たちが太陽を見る時、約8分前の過去を見ています。オリオン座の場合は、約1600年前の光です。

かつて主は、信仰の父アブラハムに、上記のみことばを語られました。アブラハムはこの主のみことばを信じ、主はそれを彼の義と認められました。アブラハムの子孫、ダビデの子孫として降誕された主イエス・キリストを信じることによって義と認められた私たちにも、このみことばは語られています。

その主イエスの大宣教教育命令を記します。

「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ福音書28:18-20)

杉戸キリスト教会に、星の数ほどの老若男女が満ちあふれることを夢見つつ、その夢をかなえるために、聖霊に満たされることを互いに祈り求めましょう。

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礼拝メッセージ「シメオンとアンナー聖書が語る魅力的エイジング」

礼拝メッセージ「シメオンとアンナー聖書が語る魅力的エイジング」

聖書箇所:ルカ福音書2章22-40節

剣があなたの心さえも刺し貫くでしょう。
それは多くの人の心の思いが現われるためです。
ルカ福音書2章35節

シメオンとアンナ、二人に共通することがあります。

1、二人は年をとっていたが、使命に生きていた

シメオンはイスラエルの慰められることを待ち望んでいました。シメオンは主のキリストを見るまでは、決して死なないと、聖霊のお告げを受けていましたが、幼子イエス様を抱いて、「今こそ安らかに去らせてくださいます」と神をほめたたえました。


アンナは84歳になっていましたが、宮を離れず、夜も昼も、断食と祈りをもって神に仕えていました。

2、二人は待ち望んでいたキリストを見て応答した

二人とも、主キリストとして来られた幼子イエス様を、信仰の眼ではっきりと見ることができました。

その時、シメオンは神をほめたたえ、両親を祝福し、母マリヤに上記のみことばを語りました。

アンナは感謝をささげ、エルサレムの贖い(代金を払って買い戻されること)を待ち望んでいるすべての人々に、この幼子のことを語りました。

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クリスマス礼拝メッセージ「希望の訪れ」

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クリスマス礼拝メッセージ「希望の訪れ」

聖書箇所:ルカ福音書2章1-21節

「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」ルカ福音書2章10-12節

今日本にないものは何でしょうか。それは希望です。健康問題、生活問題、家庭問題などで、生きる希望、将来に対する希望が持てないので、1998年以降、平均すると毎日80人以上の人々が、この国のどこかで、自らいのちを絶っています。

希望がない所には暗雲が広がります。光さえ暗くなる、閉塞感という名の、気が滅入ってしまう黒雲。それが今、この国を広く覆っています。

けれども、黒雲の向こう側には、澄み切った青空があり、太陽が輝いています。そして黒雲のこちら側で、一人で苦しんでいるあなたの傍らには、共に苦しんでいてくださる希望の神がおられます。どんなに望みが絶たれ、神に見捨てられたとしか思えないような時にも、そこに希望の神がおられます。

そのような希望の神が、肉体をもってこちら側に降誕されたのが、世界で最初のクリスマスでした。希望の訪れのしるしは、「飼葉おけに寝ておられるみどりご」でした。望みは光よりも早く将来を先取りし、やがて暗雲を跡形もなく消し去ります。

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礼拝メッセージ「マリヤの讃歌」

礼拝メッセージ「マリヤの讃歌」

聖書箇所:ルカ福音書1章39-80節

主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。ルカ福音書1章45節

不信仰の故に、しかし主によって語られたとおり、祭司ザカリヤは一言もしゃべることができないで、お腹が大きくなる妻エリサベツと共にいました。その時、神の御手に人生をゆだねたマリヤが、ザカリヤ夫妻を訪ねました。聖霊に満たされたエリサベツが、大声でマリヤに語ったのが上記のみことばです。

本当に幸いな人とは、「主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人」だと語られています。「主によって語られたこと」とは、主を恐れかしこむ者、低い者、飢えた者が高く引き上げられ、高ぶっている者、権力ある者、富む者が引き降ろされるという大どんでん返しです。

このことは旧約聖書の時代からずっと語られていることです。マリヤはそれを今、身をもって体験しているのです。主は取るに足らない私のような者に目を留めて、大きなことをして下さった。低い者が高く引き上げられた。だからマリヤは、心から主をあがめて讃歌を歌い、自分は本当に幸せ者だと喜んでいるのです。

主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人が本当に幸いである理由。それは、今すでにその大逆転が始まっていて、将来それが完成に至るからです。人間の不信仰を超えて、全能の神が語られたことは、時が来れば必ず実現するからです。

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LOVE SUGITO アドベント礼拝と公開集会のご案内

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アドベント礼拝と公開集会のご案内

いよいよ明日になりました。杉戸町の愛する皆様、ぜひお集いください。

日時:12月9日(日)
   礼拝:午前10時30分~
   「居場所なき者のためのクリスマス」

   公開集会:午後3時~
   「神様の愛・真実の愛」

講師:水谷潔先生(小さないのちを守る会代表)

1961年生まれ、名古屋大学文学部哲学科在卒業。愛知県立高校の英語科教師として6年間勤務の後、神学校へ入学。教会での10年間の働きを経て小さないのちを守る会(胎児の人権を擁護するキリスト教団体)の主事として働きを開始。2007年6月より同会の代表に就任。

 いのち・性・家庭・子育てなどをテーマにキリスト教会のみならず、教育・福祉・医療機関でも講演を行う。テレビ番組「たかじんのそこまで言って委員会」にゲスト出演し、田嶋陽子さん、橋下徹弁護士、原口衆議院員らとも共演経験を持つ。金城学院大学「生命倫理」の特別講師、若者に福音を伝えるラジオ放送「世の光、ジェネレーションX」のパーソナリティー、東海地区を代表するブラックゴスペルクワイヤー、ヴォイセス・オブ・ヴィジョンのチャプレンなども務める。著書に「チョット聞けない男女のお・は・な・し」(いのちのことば社)がある。

家族は妻と小学校五年生の娘が一人。趣味は音楽、エレキベース。日本福音キリスト教会連合・春日井聖書教会所属。

場所:杉戸キリスト教会(日本同盟基督教団)

住所:〒345-0025
埼玉県北葛飾郡杉戸町清地1-1-30
電話:0480-34-3002
メールアドレス:sugito@church.jp
WEBページ http:/sugito.church.jp/

礼拝メッセージ「クリスマスの足音」

CHRISTMAS IN SUGITO (JAPAN)

礼拝メッセージ「クリスマスの足音」

聖書箇所:ルカ福音書1章1-38節

ですから、見なさい。これらのことが起こる日までは、あなたは、ものが言えず、話せなくなります。私のことばを信じなかったからです。私のことばは、その時が来れば実現します。」ルカ福音書1章20節

ルカ福音書1章には、祭司ザカリヤと彼の妻エリサベツ、御使い、そしてキリストの母とされるマリヤが登場します。エリサベツは不妊の女でしたが、全能の神によって身ごもり、バプテスマのヨハネの母とされました。ザカリヤ夫婦に子どもが与えられる経緯を通して、全能の神がどのようなお方かを知ることができます。

ザカリヤは不信仰の故に、神の言葉が出来事になるまでものが言えなくなりました。しかし神の約束の言葉は、人間の不信仰を超えて、その時が来れば実現しました。厳密な意味で私たちが信じたとおりにしかならないのなら、全能の神の素晴らしいご計画はだめになるでしょう。この世界のすべてを再創造するという神の壮大なご計画は凍結し、私たちは滅んでいくことでしょう。

しかし全能の神のことばは、人間の不信仰を超えて、時が来れば必ず出来事になるのです。「神のことば」を「出来事」と訳すことが出来る理由がここにあります。喜びと希望をもたらすクリスマスの足音は、人間の不信を超えて近づきます。そして、神を信頼して人生を明け渡すマリヤのような人を、全能の神は豊かに用いられるのです。

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MISSION TRIP TAIWAN「When Love comes to the town 愛が町に来た時」

MISSION TRIP TAIWAN「When Love comes to the town(愛が町に来た時)」

聖書箇所:ルカ福音書19章1-10節

看哪!我站在門外敲門;如果有人聽見我的聲音就開門的,我要進到他那裡去,我要跟他在一起,他也要跟我在一起吃飯。

「お金があれば何でも出来る」、「もっとお金があれば幸せになれる」。 そんなことを私たちは考えてしまうのではないでしょうか? けれども、よく考えてみると、世の中にはお金で買えないものがたくさんあることがわかります。本当の友達、本当に自分を愛してくれる人、本当に自分のことを大切にしてくれる人、健康、平安、安眠などなど…。実は本当に大切なものは、お金では買えないのです。 聖書の中にザアカイという名前の人が登場します。ザアカイは取税人のかしらで金持ちでしたが、孤独の中をひとりぼっちで生きていました。

キセル、わいろ、恐喝、詐欺。現代に生かされている私たちも、お金に関わる事件を毎日のように耳にします。また、保険金目当ての殺人なども起こっています。お金のために、人を裏切り、だまし、殺すという罪にまみれた生き方をしている人が、やはり多いように感じます。「金の切れ目が縁の切れ目」という言葉もありますが、お金目当てで利用し、利用されるだけの付き合いも多くあります。本当の友、本当に自分を受け入れてくれる人、本当に自分を愛してくれる人がいない殺伐とした中で、今も多くの人が、お金のために不幸な人生を歩んでいます。あなたはどうでしょうか?お金持ちでもそうでなくても、本当の幸せに生きる道があることをご存知でしょうか?

イエス・キリストは、あのエリコの町のザアカイの所に来て下さったように、あなたの住んでおられる町、あなたの家にも来てくださるお方です。イエス様は、あなたを捜して救うために、あなたの所に足を運んでくださるお方なのです。 なぜなら、イエス様はあなたを愛しておられるからです。いのちをかけても惜しくないというあなたへの愛を、イエス様はあの十字架の上で最高に表わしてくださいました。イエス様は私たちの罪のために、十字架でいのちを投げ出してくださいましたが、3日目に復活されて、今も生きておられるお方です。

「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」と、イエス様はおっしゃいました。人の子とはイエス様がご自分のことを指してよく使われた言葉です。天地万物を創造されたまことの神であるイエス様は、私たちの造り主です。そして私たち人間は、この造り主なる神様に背を向けて罪の道を歩み続けています。けれどもその造り主なる神、イエス様は、失われた人を捜して救うために、肉体を持った人間となって、あなたの所に来て下さったのです。イエス様がこの世に来て下さった理由は、失われたあなたを捜して救うためだったのです。

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