ローマにいる神に愛され召された聖徒たちへ 礼拝2023-01-15

あなたは空を打つような拳闘をしてはいないか?

あなたは空を打つような拳闘をしてはいないか?

ボクシングの世界でモンスターと呼ばれる井上尚弥(いのうえなおや)選手。先日埼玉スーパーアリーナで持たれたノニト・ドネア選手との試合において、彼は恐ろしいほど「圧倒的な勝利者(新約聖書ローマ人への手紙8章37節)」となった。前回の試合とは対照的に、まさに圧倒的だった。1ラウンドの終わり、かつて憧れたドネア選手の動きを冷静に見極め、厳しい反復練習によって体得した絶妙なカウンターパンチを、絶妙なタイミングで放った。意識が飛ぶほどの強烈なダメージを受けたドネア選手に対し、彼は2ラウンドで畳み掛け、見事な2ラウンドKO勝ちを手にした。モンスターは「空を打つような拳闘(新約聖書コリント人への手紙第一9章26節)」をしない。

それに対して、聖書を良く学んでいるはずの、日本のキリスト教会、日本のクリスチャンはどうだろうか。まさに「空を打つような拳闘」をしてはいないだろうか?祈った後、祈りがどれだけ答えられたかを毎回チェックしているだろうか?そのために、答えられたかどうかがはっきりわかるように祈っているだろうか?祈りがどれだけ答えられたかを確認していく作業こそ、祈りにおいて、信仰生活において、「空を打つような拳闘」をしない秘訣ではないだろうか。

日本のキリスト教会でも、伸びているごく少数の教会は真剣に祈っている。特に若者が多く集っているキリスト教会には、真剣な祈りがある。日本のキリスト教会よ、日本のクリスチャンよ、今こそ「空を打つような拳闘」に終止符を打ち、真剣な祈りによって「圧倒的な勝利者」とならせていただこうではありませんか!

そして、真剣に祈り始めると、悪しき者らの激しい攻撃が始まる。

WBA・IBF・WBC 世界バンタム級王座統一戦 井上尚弥 vs ノニト・ドネア

なぜ神さまは、悪魔や悪者をそのままにしておられるのか?

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ロシアがウクライナに軍事侵攻を続けている今、「なぜ神さまは、プーチン大統領のような悪者をそのままにしておられるのか?」と疑問に思っておられる方も多いのではないか。実際あまりにも多くの血が、毎日のように流れ、100万単位の難民が祖国を追われ、流浪の民になっている。一刻も早く、この愚かで悲惨な戦いが止みますようにと、私も切に祈っている。

実は聖書を読んでいると、「なぜ神さまは、悪魔や悪者をそのままにしておられるのか?」という疑問が必ず起こる。なぜなら神さまは、悪魔に対して限定付きで悪事を働くことを許可されるし(旧約聖書ヨブ記冒頭参照)、悪事を働いていている悪者を放任しておられるような時が実際に多く見られるからである。

例えば最後の晩餐と言われる時(新約聖書ヨハネ福音書13章参照)、悪魔が暗躍し、イスカリオテのユダを操り、イエスを裏切ること・引き渡すことへと誘う。

「なぜ神さまは、悪魔や悪者をそのままにしておられるのか?」J.R.R.トールキンの書いた指輪物語(ロード・オブ・ザ・リング)は、この問題を取り扱っている。指輪物語には、ゴラムという悪者が登場する。ホビットのフロドは、狡猾なゴラムを殺そうとするが、魔法使いのガンダルフがそれを止める。「どんな悪者にも役割がある」とフロドを諭しながら。

あらゆる力を手にすることができる指輪を葬り去るために、フロドは仲間と共に旅を続ける。ネタバレになってしまうが、最後の最後で、フロドは指輪の持つ魔力に囚われ、指輪を滅ぼすことができなくなってしまう。その時あのゴラムがフロドに襲い掛かり、指輪争奪戦が始まる。ついに指輪を奪い取ったゴラムは、足を滑らせ、指輪と共に灼熱のマグマに落ちていく。結果的に悪者であるゴラムのおかげで、フロドと旅の仲間たちは、指輪を葬り去ることに成功するのである。

実は聖書が語る救済史においても、同じようなことが起こったのだ。悪魔とその手下となったイスカリオテ・ユダという悪者の存在が、結果的に主イエス・キリストを十字架の死へと向かわせることになるのである。そして、罪のない主イエスが、罪人の身代わりとして十字架で死なれることを通して、救いが完成し、新しい契約が成就し、主イエス・キリストは、死と悪魔と罪に勝利することができたのである。

3.11

主イエス・キリストの父なる神さま。
今日は2022年3月11日です。
あの東日本大震災から、11年目を迎えました。
大切な方や大切なものを失われた方に、
あなたの慰めと支え、希望と生きる力をお与えください。
そして、自分の日常生活がすなわち遺言であるような、そんな確かなあゆみができますように。
主イエス・キリストのお名前によって祈ります。
アーメン。

After 3.11

祈りによる力 POWER THROUGH PRAYER by E. M. BOUNDS

祈りによる力

祈りによる力 POWER THROUGH PRAYER by E. M. BOUNDS
E. M. バウンズ著 羽鳥純二訳 いのちのことば社 より

教会は、もっとよい方法はないかと求めていますが、神はさらにすぐれた人を求めておられます。p6

「手早く祈りをすましてしまうことによって、信仰は弱まり、罪を感じることが鈍くなり、敬虔さはいかがわしいものになってしまいます。神とともに過ごすことが少ないならば、神のために少ししか役にたたなくなってしまいます。祈りを短く切り上げてしまうことによって、すべての信仰的な性格が小さくけちくさく、そしてだらしないものとなってしまうのです。」p115

もし、自分の牧師のことに不満ばかり言いつづけているクリスチャンが、人まえでそんなことを言うのをやめて、神の前でその牧師のために全力を尽くして祈ってさえいたならーへりくだった熱心な絶え間ない祈りによって、いわば天の御国を激しく攻めたてていさえしていたらーその牧師たちはもっともっと成功していたことでしょう。ージョナサン・エドワーズ p105

説教者は祈らなければならず、また人々は説教者のために祈らなければならないのです。説教者がその恐るべき責任を果たすために、またその重大な働きにおいて最大のそして最も真実な成功を得るために、彼はあらんかぎりの力をふりしぼって祈らなければなりませんし、また彼のためにあらんかぎりの力で祈らなければならないのです。ほんとうの説教者は、まず第一に自分自身で祈りの精神を養い育て、また実際に祈ることを学んでいくものです。しかし、次に神の民である人々の祈りを心からせつに求めています。p106

祈らない信徒は、信徒の中で実にみじめであって、そういう人は、聖徒としての熱心さも美しさも力も持っていないのです。いったいだれがこの破壊の傷口をなおすのでしょう。教会を祈るようにできる人こそ、最大の改革者であり、使徒でありましょう。個人また教会の生涯に、新時代を画するほどの霊的革命を起こしうるような、根源的で意欲的な祈り・信仰・生涯・奉仕をもたらす、力強い信仰と汚れのないきよさと著しい活力と燃えるような熱心を備えている人こそ、現代の、またあらゆる時代の教会が大いに必要としている人たちなのだということが、私たちが真剣に考えた末の判断です。p121

LOVE SUGITO 新年聖会のご案内 2022-01-10

LOVE SUGITO 新年聖会のご案内 2022-01-10

行く年2021&来る年2022

2021年は、聖火リレーの後、東京オリンピックとパラリンピックが行われ、その後2年目の新型コロナウイルス感染症が猛威を振るった。しかしその後、日本においては奇跡的にコロナが収まり、この年末を迎えている。

2022年は、どんな年になるのだろう。2022年は、「人生の旅を聖書とともに」というテーマを掲げて歩みたい。そんなふうに祈り願っている。

聖書と祈り会2020-07-22 破壊から再創造へ55バビロンについて2

2020年7月15日の聖書と祈り会メッセージ。聖書箇所は旧約聖書エレミヤ書50章後半。主の復讐としてバビロンが裁かれた理由は、バビロンが主に向かい、イスラエルの聖なる方に向かって高ぶったから。
資料はこちらhttps://flic.kr/p/2joDeSG

聖書と祈り会2020-07-08 破壊から再創造へ53ダマスコとケダルとエラム

2020年7月8日の聖書と祈り会メッセージ。聖書箇所は旧約聖書エレミヤ書49章23ー39節(後半)。世界史は、一難去らないうちにまた一難。今を生きる私たちも同じ。しかし歴史の主なる神は、破壊から再創造へと、今も御業をなさる。
資料はこちらhttps://flic.kr/p/2jji7Gz

聖書と祈り会2020-06-17 破壊から再創造へ50モアブが裁かれた理由

2020年6月17日の聖書と祈り会メッセージ。破壊から再創造へ50、モアブが主に裁かれた理由は、自分が作った神とお金に拠り頼んだから。旧約聖書エレミヤ書48章前半から。資料は
https://flic.kr/p/2jcBapq