星野道夫さんの本を読んでいると

霧降高原丸山の早春

星野道夫さんの本を読んでいると、人を寄せ付けない厳しさを持った自然を味わいたくなった。アラスカまでは遠くて簡単には行けない。それでいつものように、日帰りできる遠くを目指して、車を走らせた。来週からは学校が始まってしまうので、今日4月4日(月)が息子を連れての最後の休日である。

土砂降りの中、高速は使いたくないので、国道4号バイパスを北に向かう。トラックが水煙を巻き上げながら、次々と追い越していく。しもつけの道の駅で休憩し、宇都宮環状道路から宇都宮北道路に入る。このジャンクションはもうすぐ工事が完成してスムーズになりそうだ。降り続く雨の中、日光街道の杉並木を車窓から眺める。雨に濡れた日光街道も風情がある。桜が咲きかけている。そして春を待っていた花たちが、一斉に咲き始めている。

霧降大橋を渡ってそのまま直進し、いつもの霧降高原を目指すワインディングに入る。途中の電光掲示板に、「雪のため夏タイヤ不可」とある。スバルなので全輪駆動(AWD)だが、夏タイヤなので、行けるところまでゆっくり登っていく。雪を被った赤薙山や丸山が、水墨画のように立ち現れてきた。やがて道路脇に雪が現れた。

かつてスキー場があったキスゲ平の駐車場は雪で埋まっている。雨は次第にみぞれになり、そして音がしなくなった。雪だ。ここは冬と春がせめぎ合っている最前線。雪が降り続き、次第に路面がシャーベットになってきたので、ここでUターンする。アラスカのマイナス50度とは全く違った次元だが、ほんの少し、家族で日常から離れて、自然を味わうことができて感謝だった。

冬と春のせめぎ合い

晴れたらこんな写真が撮れます。
Snowscape of Mt Akanagi

Interstellar

A place in the Sun

15年

高知県高知市で生まれ育ち、愛知県豊橋市で青年時代を過ごした私が、埼玉県北葛飾郡杉戸町に引っ越して来たのは2007年の三月末だった。今2022年の三月末を迎え、ちょうど15年が経ったことに改めて驚いている。はからずも今日、星野道夫さんの本「旅をする木」が届き、星野さんがアラスカに暮らし始めて15年目に書いた文章を読んで、15年という歳月がシンクロした。このブログ(のまちゃん牧師のWeblog)もちょうど15周年!

旅をする木 星野道夫

15年前、関東平野のど真ん中にある杉戸町に移り住んだ時、しばらく方向感覚を失ったことを懐かしく思い出した。生まれ育った高知県は、北は四国山脈、南は太平洋に囲まれていたので、地形によって方向を容易に確認することができた。20歳の時に移り住んだ愛知県豊橋市も、北と東に山があり、南にはウミガメが産卵のため訪れる白い砂浜と遠州灘が広がっていたので、方向音痴になることはなかった。けれども杉戸町には、山も丘もなく、坂もないので、完全に方向感覚を失って右も左もわからなくなった。

杉戸町の南には、クレヨンしんちゃんで有名な春日部があり、北は桜で有名な幸手の権現堂がある。東には江戸川が流れ、向こう岸は千葉県の関宿である。西には古利根川が流れ、東武動物公園で有名な宮代町や白岡町がある。けれども平野のど真ん中なので、慣れない地名を聞いても方角がピンとこないのであった。

15年も住むと、次第に方向感覚がしっかりしてくる。晴れた日には筑波山や富士山が見え、360度、全方向の地名も地図も、頭に入ってくるから。

終末論について

終末論について

最近は地震も増え、戦争も増え、人々は争い合っていて、イエス様が仰っている通りに進んでいるように見えるので、み言葉を読んでいて恐れを強く感じてしまう時もあります。そんな中で、大患難時代の前に「携挙」があると信じることができれば、大変安心できるのですが・・・?

まさに今は産みの苦しみの時で、聖書が預言していることが次々に起こっています。そして大患難の前に携挙があってほしいと願います。

でもイエス様は、一人でも多くの人を天国に招きたいお方です。ですから、この地上において私にしかできないことがなくなるまでは、あるいは私にしか届けない人がいなくなるまでは、携挙も天に召されることもないと考えています。

どうしても翻弄されやすいのですが、聖書に書かれている以上の大変なことは起こらないし、イエス様は勝利者として今も生きて働いておられますし、わからないこともたくさんありますが、すべてを主の御手におゆだねしつつ、今日もイエス様と共に歩みましょう。まずはウクライナの地で、戦争が止みますようにと願います。

主イエス様の平安と喜びが豊かにありますように。

主イエスの再臨にどのように備えるべきか

イエス様の再臨について、眠っていないで起きていなさいということを伝えるために複数のたとえ話が出てきますが、どのように過ごすことをイエス様は伝えて下さっているのでしょうか?

マタイの福音書25章の中に記されている3つのたとえで考えます。

今日イエス様が再臨されても大丈夫なように、あるいは今日私が死んでも大丈夫なように、

1、聖霊の油を絶やさず(油断せず)に聖霊に満たされ続け、

2、預けられたタラント・人生・いのち・御霊の賜物(複数)を失敗を恐れず活用し、

3、最も小さい者たちの中にイエス様を見て、御霊の実(単数)・愛という実を結ぶ。

持っている人はもっと豊かになり、持っていない人はとりあげられる?

持っている人は与えられてもっと豊かになり、持っていない人は持っている物までとりあげられるのだ。
(マタイ13:12,25:29等)

持っている人はもっと豊かになり、持っていない人はとりあげられる?どのように解釈すればいいのか?

マタイ13:12は種まきのたとえ、マタイ25:29はタラントのたとえです。

ポイントは、何を持っているのか、何を持っていないのか、ということです。

みことばを聞く耳、柔らかい良い地のような心になりたいという願い、主イエス様に対する信頼・信仰といったものが求められていると考えられます。それらを豊かに持つことができますように。

キリスト教会の樹形図

キリスト教会の樹形図

旧約時代のイスラエル共同体

➡️新約時代の初代キリスト教会

➡️ローマ帝国のキリスト教国教化(ローマ・カトリック教会)

➡️東方教会(ギリシア&ロシア正教会)と西方教会(ローマ・カトリック教会)に分かれる
(大シスマ=大分裂)

➡️西方教会(ローマ・カトリック教会)とプロテスタント教会に分かれる(16世紀宗教改革)

➡️プロテスタント教会は、各国において、国教会と自由教会(フリーチャーチ)に分かれる。

死せる正統主義教会 ➡️ 信仰復興・リバイバル運動、聖霊の働きによる教会のいのちの回復と多様性。

ルーテル(ルター)、改革・長老、メソジスト、ウエスレアン、ホーリネス、ナザレン、バプテスト、アナバプテスト、アライアンス、ペンテコステ、アッセンブリー、メノナイト、ブラザレン、兄弟団、救世軍、聖公会、日本基督教団、日本福音自由教会、同盟福音基督教会、イエス福音教団、単立教会、無教会、日本同盟基督教団、などなど。

プロテスタント教会は、実に多種多様な教団教派を各国で形成しながら、世界に広がり、宣教地に根ざしていく。

日本同盟基督教団は、聖書信仰に基づき、宣教協力のために、合議制によって形成された教団。
杉戸キリスト教会は日本同盟基督教団に所属しています。
 

ウクライナのための祈りの呼びかけ

ウクライナのための祈りの呼びかけ

「苦しむ人が踏みにじられ、貧しい人が嘆くから、今、わたしは立ち上がる。」
旧約聖書・詩篇12篇5節

私たち日本同盟基督教団は、教団宣教130周年記念宣言において次のように言い表しました。

「私たちは、暴力と抑圧にさいなまれている地に正義と平和が打ち立てられるようにとりなし祈ります。」

今、ウクライナの地がロシアによる軍事侵攻によって暴力にさらされています。私たちは、このような現状を深く憂い、彼の地に正義と平和が打ち立てられることを願いつつ、以下のように祈りを呼びかけます。

ロシア軍による軍事侵攻が即時に中止され、停戦が実現するように。

ロシア軍が撤退し、人々の安全が確保されるように。

ウクライナの秩序が回復し、安心が取り戻されるように。

難民化している人々が必要な保護と支援を受けることができるように。

各国が各々の利害や思惑を越えて、平和のために働きかけることができるように。

混乱に便乗した軽率で迂闊な議論に流されず、誤情報や扇動に惑わされることがないように。

憎悪や復讐の連鎖が増幅することのないように。

核兵器による威嚇とその使用が絶対に封じられるように。

平和を求める私たちの祈りに主が答えてくださるように。

主が立ち上がり、御手を動かしてくださるように。

「主は地の果てまでも戦いをやめさせる。」
旧約聖書・詩篇46篇9節

2022年3月1日

日本同盟基督教団理事会

理事長 朝岡 勝

独ソ戦 絶滅戦争の惨禍

今ロシアがウクライナへ侵攻している理由を理解するためには、少なくともこの本を読む必要がある。

独ソ戦 絶滅戦争の惨禍 大木毅 岩波新書1785

「これは絶滅戦争なのだ」。ヒトラーがそう断言したとき、ドイツとソ連との血で血を洗う皆殺しの闘争が始まった。想像を絶する独ソ戦の惨禍。軍事作戦の進行を追うだけでは、この戦いが顕現させた生き地獄を見過ごすことになるだろう。歴史修正主義の歪曲を正し、現代の野蛮とも呼ぶべき戦争の本質をえぐり出す。

東部総合計画は、戦争終結後の最初の四半世紀において、ポーランド、バルト三国、ソ連西部地域の住民3100万人をシベリアに追放し、死に至らしめると定めていた。一方、残された「ドイツ化」できない住民1400万人は、「民族の境界線」を数千キロ東方へ動かす任にあたるゲルマン植民者のために、奴隷労働に従事することになる。p93

対ソ戦を知らされたバッケが立案したのは、占領したソ連から食糧を収奪し、住民を餓え死にさせてでも、ドイツ国民、なかんずく国防軍の将兵に十分な食糧を与えるとする「餓死計画」と通称される構想だった。彼の推定するところによれば、そうした政策を取れば、現地住民から3000万人の餓死者が出るとされていた。p94