日本と世界への挑戦状

日本と世界への挑戦状

火曜日、レイトショーでサイレンス・沈黙を観た。

世界的に見ても非常に厳しいキリシタン迫害が起こった国、日本。

数々の拷問の中で呻き叫ぶキリシタンたち。神が沈黙されているようにしか思えないパーデレ(宣教師)たちの危機。問われる信仰の本質。

殉教する者と転ぶ(棄教する)者。強い者と弱い者。

沈黙という題であるが、踏み絵の前でためらっている時に、沈黙を破って聞こえてくる「踏めばいい」という声。

日本という土壌は、キリスト教の種子を根から腐らせてしまうという日本泥沼論。

棺桶の中に納められた元パーデレの遺体。仏式の葬儀の後、火葬される。その手に置かれた十字架の主イエスの木彫。

最後の誘惑のマーティン・スコセッシ監督が28年の歳月をかけて制作したこの映画は、日本宣教、そして世界宣教への挑戦状だ。

閉塞感に囚われた者は、神が沈黙しておられるようにしか感じられない。

小畑進著 小説「沈黙」論

マザー・テレサ 日々のことば

マザー・テレサ 日々のことば

8月12日

これは、私がかつてインドの大統領に差し上げたことのあるニューマン枢機卿の祈りです。大統領は、ストレスや困難に直面した時この祈りが自分に安らぎを与えてくれる、と言われました。

「愛するイエスよ、私がどこへ行っても、
あなたの香りを振りまくことができるよう助けてください。
私の魂を、あなたの霊と命で満たしてください。
私の全存在を、全くあなたのものとして支配してください。
私の人生全体があなたの輝きとなるように、
私を通して輝いてください。
あなたが私の中に完全にいてくださるので、
私に出会うすべての人が、
私の中に生きておられるあなたの現存を
感じ取ることができますように。
どうか彼らが、もはや私ではなく
イエスよ、あなただけを
見つめることができますように」

8月13日

ニューマン枢機卿の祈り

「私と共におとどまりください。
そうすれば、あなたが輝かれるように
私は輝き始めるでしょう。
その光が他の人々の灯となりますように。
ああ、イエスよ、
その灯は私のものとなり、
そして、私を通して、人々に輝きかけるのは
あなたです。
こうして、あなたが一番望まれる方法で
周りの人々を照らすことによって
あなたを賛美させてください。
どうか私が、人々に
説教ではなく私の手本と神への愛と
人に与える影響力によって
あなたを伝えることができますように。
私の心に満ちあふれる愛によって
まっすぐあなたに向かいますように。
アーメン。」

福音は全世界に 新年礼拝のご案内

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杉戸キリスト教会地図2016

先行する恵み

聖書の中に命令が出てきたら、まず神がその命令を私に対して実践してくださったこと(先行する恵み)に思いを向ける。例えば、マタイ22章34−40節に記されている聖書の中で一番大切な命令について、実践してみよう。

心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ

<1>まず神が、心(カルディア・ハート・感情)を尽くして私を愛してくださったことに思いを向ける。

 まず神が、喜ぶあなたとともに喜び、泣くあなたとともに泣いてくださっている。

<2>まず神が、思い(プシュケー・ソウル・魂)を尽くして私を愛してくださったことに思いを向ける。

 魂の叫び、心の奥底から、スプランクニゾマイ(内臓がわななく)

<3>まず神が、知力(ディアノイア・マインド・アンダスタンディング・頭・考え、理解)を尽くして私を愛してくださったことに思いを向ける。

  知力を尽くして
  総合的・統合的・包括的・全人的知識・情報を尽くして
  設計、デザイン
  人体の不思議、地球、宇宙の不思議
  Designed by God in Heaven

あなたの隣人を自分自身のように愛せよ

 まず神が、私の良き隣人となって寄り添い、私をご自身のように愛してくださったことに思いを向ける。(ルカ福音書10:30−37 良きサマリヤ人のように、反対側を見て見ぬふりをして通り過ぎずに)

このようにまず私を愛してくださった神に思いを向けるなら、神を喜び、神に感謝し、神を愛することはそんなに難しいことではなくなる。これが福音的な聖書の読み方のコツ。先行する恵みにいつも思いを向けること。

十戒における先行する恵み

一番大切な十戒の前文=まず語られている先行する恵み(救い、愛、赦し)

 出エジプト20章、申命記5章

 わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した(自由へと解放した)、あなたの神、主である(救い主・キリストである)。(だから)

そして先行する恵みの後に続く十戒

 十戒の前半と後半で、それぞれ具体的に展開されていく大切な二つの戒め(十字架の縦棒と横棒)

前半:たいせつな第一の戒め=十戒の前半=対神関係=十字架の縦棒
  「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
  1、ほかの神々をもたない
  2、自分のために偶像を造らない
  3、主の御名をみだりに唱えない
  4、安息日を覚えて聖なる日とする

後半:同じようにたいせつな第二の戒め=十戒の後半=対人関係=十字架の横棒
  『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』
  5、生まれてきた時に最初の隣人となってくれた父と母を敬う
  6、隣人を殺さない
  7、隣人と姦淫しない
  8、隣人のものを盗まない
  9、隣人に対して偽りの証言をしない
 10、隣人の家・妻を欲しがらない=むさぼり

主の祈りにおける先行する恵み

マタイ6章7−8節に、「先行する恵み」が明記されています。驚くべきことに、私たちが願う前に、父なる神は、私たちに必要なものを知ってくださっています!

また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです

だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕

⭐️先行する恵みをいつも覚えることができるように

私たちは愛しています。**(なぜなら)神がまず私たちを愛してくださったから**です。
1ヨハネの手紙4章19節

ヨハネ福音書の主イエスの新しい戒め 福音的な聖書の読み方

あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。**わたしがあなたがたを愛したように**、あなたがたも互いに愛し合いなさい。もし互いの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。ヨハネ福音書13章34−35節

互いに愛し合いなさい。なぜなら、主がまず私たちを本気で愛してくださったから。
互いに仕え合いなさい。なぜなら、主がまず私たちに仕え、汚れた足を洗ってくださったから。
互いに赦し合いなさい。なぜなら、主がまず私たちを赦してくださったから。

実は主の愛と赦しは、実は私たちの悔い改めにも先行します。
あらゆるものに先行する恵み。それを知った時初めて、私たちは真に悔い改めることができるのです。
ルカ福音書23章34節には、私たちの悔い改めに先立つ神の赦しが、十字架の主イエスによって明確に啓示されています。
「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです。」
 私たちがまだ神の敵であった時。

内藤容子LIVE 090621 キリスト賛歌

閉塞感を突き破る神の言葉<3>神のことば=出来事

閉塞感を突き破る神の言葉<3>神のことば=出来事
日本同盟基督教団・杉戸キリスト教会牧師 野町真理

『雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。』イザヤ書55章10−11節

「神のことば」を表すヘブル語「ダバール」は、「出来事」とも訳すことができます。神のことばは必ず出来事になるからです。上記のみことばは、そんな神のことばの力強さを教えています。

旧約聖書には、閉塞感に囚われ、神の約束を信じられなかったアブラハムとその妻サラの姿が記されています。創世記17章17節が語るアブラハムは、本音と建前を使い分け、ひれ伏しながら作り笑いをします。信仰の父アブラハムも、閉塞感に囚われて神の約束を信じられなかったのです。夫婦は似てきます。創世記18章12節が語るサラもまた、神の約束を信じられませんでした。ニヒルな笑いが響くサラの心の中は、まるで氷点下です。

厳密な意味で、私たちが信じたとおりにしかならないのなら、閉塞感に囚われた者に救いはありません。静かにあきらめ、ニヒルに笑う仮面の道化師として、行き止まりの路地裏で死ぬ以外に道はありません。アブラハム夫婦がイサクを授かることもなかったでしょう。アブラハムの子孫としてイエス・キリストが来られるクリスマスも、十字架で私たちのために死なれたキリストが復活するイースターもなかったでしょう。

しかし、「神のことば」は、聖書信仰によって「出来事」と訳すことができます。なぜなら聖書に書き記された神のことばは、私たちの閉塞感を突き破って、時が来れば必ず出来事になるからです。アーメン。主イエスの再臨と救いの完成がますます近づいています。閉塞感を突き破る神のことばをしっかりと握りしめ、天を見上げて地上を旅しましょう。

SUGITO GOSPEL CAFE 2016-11-25

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牧師にとって両刃の剣のような本

ある意味で、本書は、牧師にとって、また牧師を志す人々にとって、「両刃の剣」のようなものであると言えるかもしれない。それはつまり、私たちが本書を、牧師としての進むべき道を指し示し、その道を切り開く上での力強い助けとして受けとめることもできると共に、他方では、それと同時に、本書が私たちを刺し通し、私たちの内なる思いや考えを奥底まで切り分け、明るみにさらすようなものとして立ち現れてくる場合もあるということである。おそらくは本書における著者のねらいもそうしたところにあるのであって、さらに想像をたくましくするならば、こうした複雑な叙述の奥には、著者自身も歩んできた牧師としてのいろいろな体験が、ことに痛みを伴う失敗や挫折といった経験とそこから学んだことが、色濃く反映されているようにも思われてならないのである。

ウイリアム・ウイリモン著『牧師 その神学と実践』の訳者あとがきより(p566-567)

牧師 その神学と実践

対抗文化(カウンター・カルチャー)を生み出すために働く存在

ウイリモンのこうした用語をもじって言えば、牧師とは「住み込みの異星人たち(レジデント・エイリアンズ)」と共に、この世とは異質な「対抗文化(カウンター・カルチャー)」を生み出すために働く存在であり、またそのための特定の責任を負わされた存在であると言えるだろう。

ウイリアム・ウイリモン著『牧師 その神学と実践』の訳者あとがきよりP568

牧師 その神学と実践

閉塞感を突き破る神の言葉<1>

閉塞感を突き破る神の言葉<1>
日本同盟基督教団・杉戸キリスト教会牧師 野町真理

『ですから、見なさい。これらのことが起こる日までは、あなたは、ものが言えず、話せなくなります。私のことばを信じなかったからです。私のことばは、その時が来れば実現します。』ルカ福音書1章20節

 ルカ福音書1章には、閉塞感に囚われていた祭司ザカリヤと彼の妻エリサベツが登場します。忠実な二人でしたが、祈りが答えられない年月によって年輪を重ねた結果、御使いによって子どもを授かると聞いても信じられませんでした。もう年ですから。長い間祈りが答えられない中での高齢化は、じわじわと効いて私たちを閉塞感へと誘います。けれども不妊の女だったエリサベツは、全能の神によって身ごもり、高齢出産でも守られ、キリストの道備えをするバプテスマのヨハネの母とされました。

 ザカリヤは不信仰であった故に、神の言葉が出来事になるまで、期間限定でものが言えなくなりました。けれども神の言葉は、人の不信仰を超えて、その時が来れば実現したのです。『私のことばを信じなかったからです。(けれども)私のことばは、その時が来れば実現します。』と聖書は語ります。「信じなかったから、あなたはもうおしまい。あなたの信仰の通りにしかならないから。」と切り捨てると、もはやキリスト教ではなくキリステ教になってしまいます。聖書の語る福音は、信じられない者にとっても福音です。

 厳密な意味で、私たちが信じたとおりにしかならないのなら、全能の神の素晴らしいご計画は、計画倒れになるでしょう。世界宣教によって宇宙を再創造するという神の壮大なご計画は凍結し、私たちは閉塞感の中で滅んでいくしかありません。しかし神の言葉は、私たちの不信仰を突き破って、時が来れば必ず出来事になります。そのことを聖書は力強く証言しています。閉塞感を突き破る神の言葉を体験する。それが世界を覆っている暗雲を跡形もなく吹き飛ばすはじめの一歩です。