聖書から人生における勝利の条件を考える

人生は競争・レース? 足の速さが勝利の条件? スピードという偶像

人生は戦い・バトル? 勇士であることが勝利の条件? 勇士・強さという偶像

人生はパン・食料?  知恵が勝利の条件? 知恵・技術という偶像

人生は富・お金・経済? 儲けるための悟りが勝利の条件? お金・経済・仕事という偶像

人生は愛顧・目をかけられること? 注目を集める知識が勝利の条件? 他人の評価という偶像

私は再び、日の下を見たが、競走は足の早い人のものではなく、戦いは勇士のものではなく、またパンは知恵ある人のものではなく、また富は悟りのある人のものではなく、愛顧は知識のある人のものではないことがわかった。すべての人が時と機会に出会うからだ。しかも、人は自分の時を知らない。悪い網にかかった魚のように、わなにかかった鳥のように、人の子らもまた、わざわいの時が突然彼らを襲うと、それにかかってしまう。旧約聖書・伝道者の書9章11−12節

関東宣教区有志による伊豆大島プロジェクト2017-08

日本同盟基督教団・関東宣教区有志たちが、宣教師のフロンティアスピリットを学びに伊豆大島に行きました。

多くの方々の祈りと支援に支えられて、無事に帰ってくることができました。心より感謝します。

終始お世話になった「いずみのいえ」の古谷牧師ファミリーにも心から感謝します。どうもありがとうございました。

さるびあ丸

伊豆大島プロジェクト。行きは竹芝から「さるびあ丸」に乗り、船中泊でした。

岡田港から上陸

行きは岡田港から伊豆大島に上陸。

いずみのいえ1日目の朝

いずみのいえ1日目の朝。海を眺める素敵な時間。

いずみのいえ

IMGP2013.mp4

いずみのいえの展望台にて

ここからの眺めは最高です。夜にはムーン・リバーと満天の星空を見上げることができました。聖書(創世記15章5節)によると、数え切れない星の数ほどの人たちが天国に招かれています。

MOON RIVER

伊豆大島から天を見上げて

いずみのいえのチャペル

いずみのいえのチャペル。ピアノ、ギター、ドラムなど、楽器がありました。チャペルの後ろにはクライミングボードもあります。

クライミングボード

朝食後の分かち合い

大島元村教会の菅野牧師夫妻

河村冴牧師

大島元村教会にてお交わり

大島元村教会にて

移設された大島元村教会の旧会堂

終始お世話になったいずみのいえの古谷牧師

伊豆大島土砂災害で亡くなられた方々の献花台

1日で800ミリほどの豪雨があり、多くの方々が犠牲になりました。

伊豆大島土砂災害の爪痕

大島から伊豆半島眺望

これから三原山に登ります

かつて宣教師は波浮から元村まで徒歩で山越えをして、福音宣教、開拓伝道を行ったとのこと。少しでもそのスピリットを覚えるために、三原山に登りました。

三原山火口

ゴジラ

ゴジラは伊豆大島の三原山火口から出てきました!

いずみのいえ夕食はバーベキュー

最後に「くさや」が出ました!昔大島などでは米の代わりに塩を年貢として納めていたため、塩を自分たちで使うことはできませんでした。そのため、海水に腹を裂いた魚を入れて「くさや」を作り、塩分を取っていたようです。強烈な匂いの故に、好き嫌いがはっきり分かれます。台湾の臭豆腐のような強烈な匂いです。

地層大切断面

道路を建設していたら、このような地層が出てきたようです。

地層切断面にて

波浮教会

波浮教会会堂

波浮教会でのお交わり

波浮教会にて

歌の贈り物

波浮港 踊子の里

旧甚の丸邸

宣教師がここを宿として大島に福音宣教を行なったようです。

波浮港

アンコ椿は恋の花

トウシキ海岸にて海水浴

海坊主と海水浴

キリシタン「ジュリアおたあ」を偲ぶ十字架

筆島

いずみのいえにて記念撮影

帰りはジェット船にて

海上もラッシュ

飛行機もラッシュ

東京都心に近づくと、海上もラッシュ、飛行機もラッシュ。おそらく首都高もいつものようにラッシュ。さすが文化の中心、経済の中心、そして政治の中心としての世界的な都市TOKYOを覚えました。(ちなみにアメリカでは文化の中心と経済の中心と政治の中心は3つの都市に分散しています)

https://flic.kr/s/aHsm69xr8b

聖書入門

新旧約聖書66巻には、様々なジャンルの文章が収録されているが、メルヴィルの白鯨(Moby-Dick)のようなデータベースでも百科事典でもない。

けれども、白鯨以上にグローバルでユニバーサルで世界標準な本。全世界のすべての民族が登場する。そして生ける神の御言葉である故に、いつも新しい言葉の響きを持つ。だからミッションチームによって、全世界の言語に翻訳され続けている。

聖書全体を貫く文脈・コンテストは、次の3部によって構成されている。第1に万物のデザインと創造・存在への招き、第2に創造の冠・マスターピースである人間の堕落、そして第3に全世界の創造主、メシア・キリスト・救い主である主イエスによる万物の再創造。神と人間が織りなす救済の歴史。

異郷に赴く神の子の道

和解論14章 僕としての主イエス・キリスト
59節 神の子の従順
1 異郷に赴く神の子の道 p173-174

しかし、神は、超然とした態度を取らずに、イエス・キリストにおいて人間に恵みを与え給うことによって、同時に異郷へと赴き給うのである。すなわち、この全く異なった神的でない存在、否、神に背く存在の悪しき世界へと、赴き給うのである。神は、このような存在に対して、尻ごみし給わない。また、盗賊に襲われた人の傍を祭司やレビ人が通りすぎたように、神はその傍を通りすぎ給わない。彼を放置し給わない。彼の状況を御自身のものと為給う。もちろん、神は、そのようなことを為ることによって、その栄光を失い給いはしない。人間の隣人となり、隣人として人間と交渉し、人間に対して働き給う時、神はもちろん神性のことを、少しも気遣い給う必要はない。否、むしろその反対である。

われわれは、この最初の節において、やがて決定的・基礎的なものとして示されるはずの次のような思想を、今すでに語っておこう。それは<神の恵みはそのような犠牲を払うことを欲し、また払い得給うのであるがーすなわち、神は、そのように謙虚となり、そのような過多な業を行い、そのような異郷への道を歩むことが出来、またそのことを欲し、またその用意を持ち給うのであるがー神はそのような事実においてこそ偉大であり、また真の神はそのような事実においてこそ真の神として現れ給うのだ>という思想である。

神を他のすべての神々と区別し卓絶させるのは、神々にはそのようなことが不可能であり、またそのようなことを欲しもせず、またそのような用意も持ってはいないという事実である。それらの神々は、その他界性・超自然性・彼岸性等のすべてによって、人間の高慢の映像である。すなわち、下に位するものに対して身を屈しようとせず・身を低くしようとしない高慢の映像である。神は高慢ではあり給わない。むしろ、神は、その高貴な尊厳さの中にありながら、謙遜であり給う。このような高貴な謙遜において、神は、世を自らと和解せしめる神として、語りまた働き給う。われわれは、和解の歴史を、まず第一に、そして何よりも先に、このような観点において、評価しなければならない。

光の指で触れよ 池澤夏樹

光の指で触れよ 池澤夏樹

理工系でスピリチャルな内容の小説を書く池澤夏樹さんの長編小説。スピリチャルといっても、聖書的な信仰とか聖書的にスピリチャルな内容ではありません。レイキとかチャクラとか出てきます。けれども、現代人が消費生活に踊らされ、経済を神のように大切にしていること、効率を求めた果てにある毒性の強い農薬に対して耐性のある遺伝子組み換え農業、型にはめて個性を殺す教育などに対して、問題提起があります。

以下裏表紙から。

あの幸福な一家に何が起きたのか。『すばらしい新世界』の物語から数年後、恋人をつくった夫を置いて、幼い娘を連れた妻はヨーロッパへ渡り、共同生活を送りながら人生を模索する。かつて父をヒマラヤまで迎えに行った息子は、寮生活をしながら両親を想う。離れて暮らす家族がたどりつく場所は―。現代に生きる困難と、その果てにきざす光を描く長編小説。
解説・角田光代