シャツを脱ぐ時にかなり左肩に痛みがあったが、切り傷やすり傷はなかったのでシャワーを浴びた。転倒のショックもあったので、夕食を食べ、早めに床に就いた。
翌朝になっても左肩に痛みがあったので、念のために病院に行ってみた。最初の病院では外来診察受付が定員となっていて、近くの病院を紹介してもらった。
レントゲン写真を見て、医師が言った。「ああ、やっぱり折れてますね。肩の関節に近い部分で鎖骨が折れています。このままだとうまく治らないので、手術した方がいいです。まだ若いから手術してしっかり治した方がいい。」それは、やっと痛みの理由が明らかになった時だった。それで先ほどの病院に紹介状を書いてもらい、改めて外来診察をしていただいた。手術のための検査(レントゲン撮影、血液検査、尿検査、心電図検査)をし、手術の日程を決めて家に帰って来たときには、とても疲れていた。手術は次週の水曜日と決まった。
ただ三角巾で左腕を吊っているだけで、痛み止めもシップも何もない。約1週間はそのような状態だった。骨折した状態のままなので、動かし方によってはとても痛い。けれども、利き腕が使えたので本当に感謝だった。
続く
カテゴリー: 人間論
もし聖書の十戒をひっくり返したら?
もし聖書の十戒をひっくり返したら?
あなたにはわたしのほかに、ほかの神々があってもいい。
自分のためにご利益のあるいろんな偶像を造って拝んでもいい。
自分の欲望を満たすために偶像に仕えてもいい。
神の御名をみだりに唱えてもいい。
安息日も覚えなくていい。休まず働いていい。
私の父と母は敬わなくてもいい。利用出来るだけ利用して後は姥捨山へ。
殺してもいい。気に入らない者や厄介者はすべて死ねばいい。
姦淫してもいい。相手を自分の欲望を満たす道具として惜しみなく利用する。
盗んでもいい。欲しいものがあったら神のものでも他人のものでも。
偽証してもいい。嘘をつくことはいい。
隣人のもの、隣人の家や妻や夫、財産や不動産を欲しがってもいい。
沢 知恵「われ問う」×山本宗補「戦後はまだ…」
私とバイク その4
44歳にして、初めて骨折をし、初めて入院をし、初めて全身麻酔の手術を受けた。小さな頃からやんちゃに走り回って切り傷が絶えず、外科に何度もお世話になった。中学を卒業してからは空手道部でかなり激しい練習や試合などをしてきた。登山も好きで八ヶ岳や槍ヶ岳などにも登ってきた。でも44年間、骨折や入院や手術からは守られていた。
その私がなぜ骨折をしたのか。それは先日手に入れた普通自動二輪の免許と400CCのバイクによる。
まず例によって、約3週間は休みが取れないスケジュールが目前にあった。そしてその休日は、朝からコンスタントに、少し強めに雨が降っていた。
免許を所得して約1ヶ月。その間恐る恐るではあるがなるべく交通量の少ない道を走り、途中で雨が降り始めた時にはかなり慎重に運転していた。
そんなふうにして、少し自信がつき始めていたことは確かだ。だからこそ、最初から雨だったのに、少し長めのツーリングに出かけてしまったのだった。
教習所の教官にも、ツーリングは疲れを覚える帰り道で事故を起こしやすいので注意するようにと言われていた。
幹線道路や直線コースでは雨天でも大丈夫だった。けれども、帰り道、渋滞を避けた抜け道のようなマイナーな道路で、急なアップダウンがあり、登り坂の後のスピードが出やすい濡れた下り坂には、私の運転技術を超えた難しさがあった。
下りながら、下り終わった所に交差点が見えた。そしてその交差点を横切るためには、排水路用の金網を横切らなければならないことが確認できた。だから少し強めにブレーキをかけてしまったのだ。濡れた下り坂で少し強めのブレーキ。それはあっと言う間の転倒をもたらした。倒れたバイクは路面に引っかき傷を残しながら私の前を15メートルほど滑っていった。車が来ていないのを確認し、すぐバイクに近寄り、キルスイッチでエンジンを切った。
フルフェイスヘルメット、肘と肩と背中にプロテクターのついたバイクジャケット、長袖の上着、ジーンズ、膝プロテクター、ブーツ、グローブ、そしてレインウエアを着込んでいたので、レインウエアはかなりボロボロになったが、切り傷やすり傷はまったくなかった。そして本当に幸いに、対人対物の被害もなかった。しかし、左肩を強く打つような形で路面に接触したのか、動かし方によっては肩に強い痛みを覚えるようになっていた。
通りかかった車の方が優しい声をかけてくださり、バイクを起こしてくれたので道路脇にバイクを移動した。すこし気が動転していたので、しばらく深呼吸していたら落ち着いた。エンジンをかけ、クラッチを握ると少し肩に痛みを覚えつつも無事に我が家にたどり着くことができた。その日には、まさか骨が折れているとは思っていなかった。
続く
NO MORE WAR! 戦争反対!
終末論に関する信仰告白を黙想する
終末論に関する信仰告白を黙想する
ある方が転入会に際して、終末論に関する教団信仰告白に関して素朴な疑問を持ち、勇気を持って質問してくださった。その内容は以下のようなものだった。
「『万物を新たにし、神の国を完成する。』とありますが、もしも万物が新たにされるとすれば、どうして今、地球環境などを大事にする必要があるのでしょうか?」
この質問は、原発再稼働問題や環境破壊問題に対する態度にメスを入れる鋭さを持っている。
さらにこの質問は、例えばからだに関しても、以下のような真剣な疑問符を提示している。
「もしもやがて新しいからだが与えられるのであれば、どうして今与えられているこのからだを大事にする必要があるのでしょうか?」
これは、「太く短く」とか言って自分のからだを大切にせず、休みなく働き続けたり、暴飲暴食をしたり、タバコやアルコール、フリーセックスや婚前交渉を良しとする態度にメスを入れる鋭さを持っている。
あなたならこの疑問にどう答えられるだろうか?
ポイント
オーナーシップ:あなたの環境ではなく神の環境、あなたのからだではなく神のからだ、あなたの人生ではなく神の人生
スチュワードシップ:神から一時的に信託されているものをどう管理するか、どう耕し(カルティベイト)、どう守るか、どう愛するか、どう仕えるか、どうケアするか、どう磨いて活用するか
アカウンタビリティ:説明責任 レスポンスする能力➡️責任
この地上の人生を聖書的に見ると? 予備校、本番前のリハーサル、試合前の練習。
聖書から見た人生とは、神から一時的に信託されたものをどう管理するかというテストである。