もうすぐ雨水 好日写真日記

二十四節気(日付は2018年のもの)

立春 2月4日〜

春香

雨水 2月19日〜

蝋梅

桜島

啓蟄 3月6日〜

パンジー

春分 3月21日〜

THIS IS SAKURA

復活祭 イースター2018

晴明 4月5日〜

置かれた場所で咲く

穀雨 4月20日〜

草千里

立夏 5月5日〜
収穫は多いが働き手が少ない

小満 5月21日〜

天を見上げて地上を旅する

芒種 6月6日〜

紫陽花

夏至 6月21日〜

貝殻

小暑 7月7日〜

アブラゼミ

大暑 7月23日〜

古利根川流灯まつり2018

立秋 8月7日〜

長野の空

処暑 8月23日〜
ハイビスカス

白露 9月8日〜

朝顔

秋分 9月23日〜

松原湖バイブルキャンプ

寒露 10月8日〜

Autumn Day

霜降 10月23日〜

Autumn reds

立冬 11月7日〜

Autumn Leaves

小雪 11月22日〜

古利根雪景色 with PENTAX K-5

大雪 12月7日〜

杉戸キリス会

冬至 12月22日〜

HOPE TO THE WORLD

小寒 1月5日〜

春の足音

大寒 1月20日〜

朝ごとに新しい

“Drawn to You” by Audrey Assad – Lyric Video

もう耐えられない時、疲れ果てた時、なにもかも捨てて逃げ出したい時、やる気を失った時、生きる力がなくなった時、うつ的でどうしようもない時、早く死にたいと願う時、ぜひこの歌を聞いてください。あなたの心が元気になることを心から祈りつつ。

I was born 吉野弘

I was born 吉野弘

 確か 英語を習い始めて間もない頃だ。

 或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと 青い夕靄の奥から浮き出るように 白い女がこちらへやってくる。物憂げに ゆっくりと。

 女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女の腹から眼を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを 腹のあたりに連想し それがやがて 世に生まれ出ることの不思議に打たれていた。

 女はゆき過ぎた。

 少年の思いは飛躍しやすい。 その時 僕は<生まれる>ということが まさしく<受身>である訳を ふと諒解した。僕は興奮して父に話しかけた。
 —-やっぱり I was born なんだね—-
父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。
 —- I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね—-
 その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。僕の表情が単に無邪気として父の顔にうつり得たか。それを察するには 僕はまだ余りに幼なかった。僕にとってこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。

 父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。
 —-蜉蝣という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら一体 何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってね—-
 僕は父を見た。父は続けた。
 —-友人にその話をしたら 或日 これが蜉蝣の雌だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く退化して食物を摂るに適しない。胃の腑を開いても 入っているのは空気ばかり。見ると その通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげているように見えるのだ。つめたい光りの粒々だったね。私が友人の方を振り向いて<卵>というと 彼も肯いて答えた。<せつなげだね>。そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ。お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのは—-。

 父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただひとつ痛みのように切なく 僕の脳裡に灼きついたものがあった。
 —-ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体—-

祝婚歌 吉野弘

祝婚歌 吉野弘

二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気付いているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい

完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで
疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい

正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい
立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には
色目を使わず
ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい
健康で 風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに

ふと 胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい

Christmas

Christmas

Christmas

What is Christmas

降誕祭

年輪

年輪は 樹を輪切りにすると 現れる
春夏秋冬により 一年ごとに刻まれる 記録・アーカイブ
遅々とした歩みでも 十年単位で見るなら 大きな歩み
喜びと悲しみ 光と陰 楽しみと苦しみ
いろんな変化によって 刻まれているのだろう
私の人生の年輪も
遅々とした歩みでも 十年単位で見るなら きっと大きな歩み
時が来ると実を結び その葉は枯れない
流れのほとりに植えられた樹は 何をしても栄える

年輪

縦軸のないところでは横軸の流れだけが方向を決定する

「縦軸のない日本社会は、・・・元来浮遊することをもって良しとしてきたのである。流れに棹させば流されるのである。戦後民主主義は縦軸の代用物の役割を果たしてきたが、流れの速さに押し倒されようとしている。・・・縦軸のないところでは横軸の流れだけが方向を決定する。・・・そこに今日の日本の真の危機がある。座標軸の構築こそが、内村が日本の思想史に残した遺産であり、その再構築が今問われている。」 隅谷三喜男『日本プロテスタント史論』146頁参照。

左近豊著「エレミヤ書を読もう 悲嘆からいのちへ」のはじめにで冒頭に引用されています。

「縦軸のないところでは横軸の流れだけが方向を決定する。」これは、国や社会のレベルだけではなく、一人一人の人生においても言えることです。縦軸のない人はただ振り回され、ただ翻弄され、ただ流されることしかできません。

エレミヤ書を読もう 左近豊