カテゴリー: ライフスタイル LIFESTYLE
語りませ主よ(スウェーデン民謡)
VISION OF JAWS21
霊肉二元論の克服のために
敬虔のための鍛錬(マタイ4:1-4)
河野勇一(緑キリスト教会牧師・現東海聖書神学塾塾長)
クリスチャン市民の会「アーモンド」No.3より引用
物質文明を謳歌している現代。その豊かさを楽しむ一方で、人間性や心の回復の必要を訴える声があちこちから聞こえてきます。そんな時に、クリスチャンならずともよく引用する聖書の言葉に、「人はパンだけで生きるのではない」があります。これを引用する人は、人間は物質的なものだけでは満たされない精神的・霊的な存在だから、パンによって肉体の必要が満たされるだけでなく、神の言葉によって心(霊)も満たされなければ生きることはできない、と言いたいようです。
しかし、このポピュラーなみ言葉の使い方は、誤った解釈に基づいています。ギリシャ的な霊肉二元論の影響を受けて、パン(物質的領域)と神の言葉(霊的領域)を別々の領域のものと考えているからです。物質も大切だが霊も大切だ、という考え方は、物質の問題は霊の問題とは関係ない、という考えに容易におちいってしまうのです。
荒野での誘惑において、サタンは空腹のイエス様に向かって、「あなたには人人を救うための大事な仕事がある。あなたは生きなければならないし、あなたは神の子で奇蹟を行う能力もある。いま、その力を使って石をパンに変え、そして神から託された仕事をしなさい」と語ったのでした。
それに対する答えとして、イエス様が引用されたのがこのみ言葉で、申命記8章からのものです。そこには、荒野での40年間、食べ物も水もままならない環境の中で、神が天からの食物(マナ)によってイスラエルの民を養われたのは、人は神に養われ、守られ、生かされている存在であるということをわからせるためであった、と書かれています。
ですから、イエス様がこのみ言葉を引用しておっしゃりたかったことは、「サタンよ、黙れ。人はパン自体で生きているのではなく、パンを創造し、それをご配慮によって与える神ご自身のみ言葉によってこそ生かされているのだ。だから、私は自分の力でパンを獲得することはしない。この父なる神のみ心に全てをゆだねて生きるのだ」ということです。ここにおいて二元論は克服され、パンをも含めた一元的な神の支配への信頼が語られています。
このように考えますと、飽食の時代に生きるクリスチャンにもサタンが同じように誘惑の手を伸ばしていることが見抜けてきます。あり余る食料に囲まれて自分のお金で自由に好きなものを選べる私たちの生活から、日毎のパンを主に求める祈りが消えます。また、日毎の糧が主から与えられているという感覚がマヒして、感謝がなくなるのです。
そんな中でのこのみ言葉の二元論的誤用は、物質的な事柄を信仰の範囲外のこととする考えを生み、浪費やぜいたくの是認につながりかねず、サタンの誘惑を助長しこそすれ、これに打ち勝つ力にはならない、と言えるのではないでしょうか。
クリスチャンのシンプルライフ指向が、単なる資源の節約や博愛精神ーそのこと自体、もちろん大切なことですがーに終わらないで、信仰生活に統合されるためには、霊肉二元論的な思考からくる、肉体的・物質的な生活と霊的・信仰的な生活との遊離という誤りを克服しなければなりません。
テモテへの手紙第一(4:1-11)において、パウロも二元論に基づく禁欲主義という悪霊の教えに警告をうながし、すべてのものに感謝する生き方を教えています。
ここでパウロが言う「敬虔のための鍛錬」(4:7)とは、まず、すべてのものが神の口から出たみ言葉によることを理解し、次にそれらを「神のことばと祈りとによって、聖めて」(4:5)用いる生き方のことです。すなわち、ひとつひとつのものを神の目的にしたがってふさわしく、適量、しかも楽しんで用いるところの「感謝の鍛錬」です。その意味で、シンプルライフとは、クリスチャンが「本当に霊的なライフスタイル」を確率するための鍛錬としてとらえるべき信仰のわざなのです。
杉戸キリスト教会 2011年度方針
杉戸キリスト教会 2011年度方針(教会総会資料2010年11月より)
★ビジョン
『そして、彼を外に連れ出して仰せられた。 「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」 さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。』創世記15章5-6節
1、星の数ほど老若男女が満ちあふれる教会、行列のできる教会
2、日々みことばに聴く祈りをし、主の祈りに沿って熱心に願い求める教会
3、天から聖霊を受け続けることにより、与える幸いに生きる教会
4、熱い祈りによって信仰、希望、愛、そして賛美が満ちあふれる教会
5、人と緑を生かしてオアシスを再創造する教会
6、魂を救い、人を育てることによって神の国を建て上げ、世界を変える教会
7、日本とアジアと世界に仕える教会(JAWS21:地域、宣教区、国内、国外)
★2011年度の取り組み
1、各個人が日々聴く祈りをし、目的宣言文に沿った「目的志向の人生」を目指す
2、私たち杉戸キリスト教会の目的宣言文を共に作成し、
「目的志向の教会」を目指す
★5つの目的に基づいた教会の働き
1、礼 拝ーあなたは神の喜びとしてデザインされた
2、交わりーあなたは神の家族としてデザインされた
3、成 長ーあなたはキリストのようにデザインされた
4、奉 仕ーあなたは神に仕えるためにデザインされた
5、宣 教ーあなたは使命(魂の救いと人育て)のためにデザインされた
★目的志向の人生と教会を目指して
参照聖書箇所:ルカ福音書10章38節-11章13節
ある時主イエスが祈っておられました。「天と地がつながっているような祈りだ。私もあんなふうに祈りたい。」そんな憧れを弟子たちに抱かせるお姿でした。ですから、「主イエス様。祈りを教えてください。」そう弟子の一人が尋ね求め、素直に聴く祈りをしました。その時主イエスが「祈る時にはこう祈るんだよ。」と教えてくださったのが主の祈りです。
主の祈りをひっくり返すと、以下のような大変恐ろしい祈りになります。主の祈りを自分の祈りとし、「目的志向の人生」を日々選び取るために、ぜひ覚えてください。そしてこの祈りに絶対にアーメン(それが私の心からの願いです)と言わないでください。無意識に祈ることがあっても、意識的には祈らないでください。悪魔的な祈りで、これ以上的外れで罪深い祈りはありませんから。これは、善悪の知識の木の実を食べた者の恐ろしい祈りですから。
自分の名前があがめられ、ほめられますように。
自分を中心とした自分の思い通りになる国が来ますように。
私の願い、考え、計画が、その通りになりますように。
私が今日もがんばって、日ごとの糧を得よう。(神など必要ない)
誰でも私に罪を犯す者があるなら、絶対に赦さないで、必ず報復しよう。
私は自分の力であらゆる誘惑に打ち勝つことができ、
自分で自分を悪から救い出すことができる。(救い主など必要ない)
国と、力と、栄え、世界に満ちるすべてのものは、私(俺)のものだ。
これは「罪人の自己中心な祈り」です。正直にあなたの心の中をのぞいて見てください。心密かに願っている本音がこのような内容と方向性であるなら、あなたも聖書の言う「罪人」です。行き着く先は死と永遠の滅びです。しかし主の祈りの行き着く先は、喜びと感謝と永遠のいのちです。どちらに向かって生きるのか、あなた自身が日々選び取らなければなりません。
以前の私は、主の祈りをひっくりかえした内容をいつも願い求めていました。けれども、死と永遠の滅びに向かって暴走していた私のために、十字架で命を捨ててくださり、よみがえった主イエスによって、主の祈りの指し示す内容を目指して、喜んで生きるように変えられたのです。「まず向きを確認し、次にその方向性で、聖霊を与えてくださる天の父にあつかましいほど熱心に祈り続けなさい!」そう主イエスは教えておられます。
用いられれば用いられるほど、目に見える結果が出せれば出せるほど、すべての栄光を神にお返しすることが難しくなります。自分に栄光を帰したいという誘惑、神を十字架につけて殺し、自分が神になりたいという誘惑がますます強くなるからです。
ですから電波時計のように、毎日聖書に耳を傾けて聴く祈りをし、主の祈りがコンパスのように指し示している向きに軌道修正しながら生きる。そうすれば、造られ、救われ、生かされ、杉戸キリスト教会に神の家族として呼び集められている本来の目的に導かれた、目的志向の人生を生きることができます。