映画「パウロ 愛と赦しの物語」

PAUL

少し早いクリスマスプレゼントとして、映画鑑賞の機会が与えられた。感謝します!
忘れないうちに、渋谷まで出かけて観た映画に対する私の応答(レスポンス)を記します。

聖書はアカデミックな神学論文ではない。書斎や研究室ではなく、獄中や隠れ家のような所で書き記されたから。

聖書は愛の手紙である。絶望的な現実の中にいる仲間を励まし支えるために、命がけで書き記されたから。

聖書は真の平和を造り出す真理のメッセージである。迫害や暴力や虐殺や処刑や殉教のただ中で、それでもなお武力による報復ではなく、主イエス・キリストの十字架の赦しの愛に生きるようにと語る神からのメッセージだから。

映画『パウロ 愛と赦しの物語』オフィシャルサイト

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杉戸キリスト教会地図2016

SUGITO GOSPEL CAFE HD 2017-11-17

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SUGITO GOSPEL CAFE HD

試験的にビデオカメラで録画してみました。

新約聖書が語る主イエス

新約聖書が語る主イエスは、一言で言えば、エホバの証人が証言するような「最も偉大な人間」ではありません。新約聖書が語る主イエスは、明らかに全てが、私たち人間とは質的に違います。まるで天と地の違いのように。そのような質的な違いが認識されていなければ、新約聖書が語っている啓示のメッセージを本当に聞いていることにはならないでしょう。

新約聖書が語る主イエスは、私たち人間を断罪しつつ、しかも解放する全権を持っておられるお方です。また、私たちを御許に召すと共に、御自身に結びつける全権を持っておられるお方です。そして、人間があらゆる宇宙的制約を持っているのに対して、宇宙的全権を持っておられるお方。主イエスとならんでは、他に先行者も後続者もない救い主・キリスト。すなわち「神の行為」であり「終末的な救いの出来事」であるお方です。主イエスは、「人間になられた神」であられ、万物を創造し、万物を支えておられる「神の言葉」です。

クリスマス 万年筆を 走らせて

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アドベントの讃歌

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ザカリヤの讃歌//embedr.flickr.com/assets/client-code.js

閉塞感という名の黒雲を突き破るものは何か?

閉塞感という名の黒雲を突き破るものは何か?それは決して、人間の信仰深さや熱心さではない。

キリステ(切り捨て)教では、人間の信仰深さや熱心さがブレイクスルーの鍵を握っていると教えられる。そしてキリステ教では、「願いかなわざることなし」、「願ったとおりに叶えられていく」と教えられる。けれども、いくら願っても願いがかなえられない状況で悩む人々を、「それはあなたの信心が足りないから。信仰のとおりにしかならないから、信じられなかったらもうおしまい」と切り捨てる。

以下に引用する新約聖書ルカの福音書1章20節は、閉塞感を突き破る鍵となるみことばであり、キリスト教がキリステ教にならないために、真剣に耳を傾けなければならないみことばである。

『ですから、見なさい。これらのことが起こる日までは、あなたは、ものが言えず、話せなくなります。私のことばを信じなかったからです。私のことばは、その時が来れば実現します。」』

主なる神が約束してくださったことは、たとえ人間が信じられなくても、信心が足りなくても、時が来ると必ず出来事になる。だから信じられなくても大丈夫。どんなことがあっても、人間の不信仰でさえも突き破って、神は約束を必ず守ってくださる。

閉塞感という名の不信仰を突き破るものは何か?それは、天地を創造され、万物を御手に統べ治めておられる主なる神の真実な御言葉である。