教会形成の目指すべきゴール

以前、寺田由弘・ジンジャー宣教師を迎えての国外宣教研修会において教えられ、さらに河野勇一師を迎えての伝道懇談会においても教えられたことがあります。

それは、教会形成(伝道、牧会、宣教)の目指すべきゴールです。

まずは一番パーソナルな、個人伝道というレベルで考えてみましょう。ある人に祈りつつ福音を語って伝道する時、伝える側の責任は、いつ終わるのでしょうか。相手がバプテスマを(洗礼)を受けた時点で導いた人の責任が終わると考えやすいのですが、そうではありません。導かれた人が別の人を導くところまでフォローアップ&フォロースルーし、導かれた人を通して新たに救われる魂が起こされる時、はじめて導いた側の責任が終わると考えるのがより聖書的です。

教会形成というレベルでも同様のことが言えます。新しく生み出した教会を、自立するところまで導けばゴールと考えられやすいのですが、そうではないのです。新しく生み出した教会を自立させ、さらにはその教会が新しく教会を生み出すところまで涙と祈りをもって育て上げる。その教会から新しく直接献身者が起こされるまでフォローする。さらには、その教会から宣教師が派遣されるまで養い育てる。その時はじめて、教会開拓、教会形成のゴールにまで導いたということになり、産みの苦しみをした母教会の責任が終わると考えるのがより聖書的です。

それを英語で言うと、Reproduction。一言で言えば、教会形成(伝道、牧会、宣教)の目指すべきゴールは、再生のサイクルを形成するということです。

ツマグロヒョウモン

ツマグロヒョウモン

蝶が幼虫からサナギになり、成虫になるのを見ると、キリストの弟子がキリストのようになれる希望を与えてくれる。

私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。2コリント3章18節

ツマグロヒョウモンの幼虫

TEAM CHRIST チーム・クライスト

リレーや駅伝は、複数の選手がチームとなって試合に臨む。その際、誰かが手を抜くと、チーム全体に迷惑がかかる。しかし、だれも励ます人がいない中で孤軍奮闘するなら、やがてチームワークだということを忘れてしまい、手を抜きたいという誘惑に負けてしまうかもしれない。先行者が手を抜けば、手を抜いた走りを後続者に受け渡すことになってしまう。

教会形成、福音宣教、世界宣教も同じではないかと思う。地理的にも歴史的にも、とても一人で完走できるものではない。だから主なる神はTEAM CHRISTのメンバーである私たち一人一人を必要とされている。TEAM CHRISTには、国籍、文化、時代を越えて、数え切れない人々が招集されている。

日本の場合、単立教会が多い。けれども、そのような場合にこそ、近隣に同労者や助け手を祈り求め、常に一人ではないことを覚えることが必要だと思う。そしてバトンタッチのために、次の時代を担う後継者のために、今すぐに祈り始め、動き始める必要がある。大切な教会の働きが、線香花火のようにならないために。