礼拝メッセージ「祭壇を築く歩み」

礼拝メッセージ「祭壇を築く歩み」

聖書箇所:創世記13章1ー18節

そこは彼が最初に築いた祭壇の場所である。その所でアブラムは、主の御名によって祈った。創世記13:4

私たちの対応によって、「危機」は「危険」にも「機会」にもなり得ます。「試み」は、「つまずきの石」にも「踏み台」にもなり得るのです。

アブラムは「危機」の時、主なる神に身を避けることをせず、エジプトに身を避けました。それは、「祭壇を築いて神に祈る日常」から離れていたアブラムが犯した、致命的誤りでした。その結果アブラムは恐れに囚われ、旅の仲間である家族親族を「危険」へと導いてしまったのでした。

もしもアブラムが「危機」の時、主なる神に身を避けていたなら、つまり、ネゲブの地でも祭壇を築き、主なる神を信頼し、天を見上げ、主の指示を仰いでいたら、どうだったでしょうか。旅の仲間と一緒に神の栄光を見る「機会」が与えられたことでしょう。

「祭壇を築いて神に祈る日常」こそ、キリスト者の生命線であり、「危機」を「機会」とするための最大の備えです。静まって聖書のみことばに耳を傾けること、天を見上げて祈り叫ぶこと、人生の主導権を神に明け渡すこと、自分自身を神にゆだねて祭壇に献げることが私たちの日常となるように、主イエスの御名によって祈り求めましょう。

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礼拝メッセージ「アブラハムの神」

礼拝メッセージ「アブラハムの神」

聖書箇所:創世記12章1ー20節

しかし、主はアブラムの妻サライのことで、パロと、その家をひどい災害で痛めつけた。創世記12:17

聖書は聖人君子やエリートばかりが登場する偉人伝だと、多くの人が誤解しています。それが聖書を読みたがらない理由の一つでしょう。しかしそうではありません。信仰の父と呼ばれるアブラハム(元の名はアブラム)でさえ、聖人君子やエリートではなく、私たちと同じ普通の人でした。

アブラムは旅の途上で深刻なききんに遭った時、主なる神ではなくエジプトに身を避けました。その時アブラムは、美人の妻のために自分が殺されるかもしれないという恐れに囚われ、妻を妹だと偽りました。アブラムは、自分が助かるためには、妻を犠牲にしてもかまわないと考えて行動したのです。

その結果、アブラムの妻サライは、エジプト王パロの妻として召し入れられます。あなたが女性なら、アブラムの夫になりたいと思いますか?

もし上記のみことばのような、主なる神による助け船がなければ、アブラハム夫妻を通して全世界のすべての国民を祝福するという神の壮大な計画は頓挫していたのです。

天を見上げて、アブラハムの神、アーメンなる神の、力強い真実を覚え、神に賛美をささげましょう。

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礼拝メッセージ「目的を持って生きる」

礼拝メッセージ「目的を持って生きる」

聖書箇所:ローマ人への手紙2章1ー29節

ですから、すべて他人をさばく人よ。あなたに弁解の余地はありません。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めています。さばくあなたが、それと同じことを行なっているからです。ローマ2:1

私たちが犯しやすい過ちの一つは、「自分のことは棚に上げて人の悪口を言う」ということではないでしょうか。それはまるで、他人をさばくことが人生の目的であるかのような、的外れな生き方です。

そのような私たちに、神はみことばをもって厳しく警告しています。

『そのようなことをしている人々をさばきながら、自分で同じことをしている人よ。あなたは、自分は神のさばきを免れるのだとでも思っているのですか。それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。ところが、あなたは、かたくなさと悔い改めのない心のゆえに、御怒りの日、すなわち、神の正しいさばきの現われる日の御怒りを自分のために積み上げているのです。』

聖書が教えている人生の目的を一言で言うと、『神と隣人を、全身全霊をもって愛する』ということです。それには、まず自分のことを棚から卸し、自分自身を吟味し、そして十字架を見上げていくことが必要です。また、自分の言葉で目的宣言文を書くことも必要です。

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礼拝メッセージ「バランスを保つ」

礼拝メッセージ「バランスを保つ」

聖書箇所:ローマ人への手紙1章18ー32節

というのは、彼らは、神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからです。ローマ1:21

教会(目に見える建物ではなく召集されたキリスト者一人一人)は、約束の地、天の都エルサレムに向かって旅をします。

この世の荒波から逃れ、現実逃避をして静かな港の中に留まり続けるのではありません。安全な港から出て、荒れ狂う大海原を乗り越え、そして向こう岸を目指す旅なのです。

荒れ狂う大海原の正体は、不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対する神の怒りです。

彼らは神を知っていながら、神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなっています。彼らは、あらゆる不義と悪とむさぼりと悪意とに満ちた者、ねたみと殺意と争いと欺きと悪だくみとでいっぱいになった者、陰口を言う者、そしる者、神を憎む者、人を人と思わぬ者、高ぶる者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者、わきまえのない者、約束を破る者、情け知らずの者、慈愛のない者です。

バランスを崩して転覆しない秘訣は、船に同乗してくださっている船長、嵐でさえも鎮めることのできる主イエス・キリストに信頼し、祈ることです。

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新年礼拝メッセージ「ライフメッセージ」

新年礼拝メッセージ「ライフメッセージ」

聖書箇所:1ペテロの手紙3章1ー22節

あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。ただし、優しく、慎み恐れて、また、正しい良心をもって弁明しなさい。1ペテロの手紙3:15-16

神はあなたに、ライフメッセージ(分かち合うべきユニークな人生経験)をお与えになっています。

あなたは、人に分かち合うことなど何もないと思っておられるかもしれません。けれどもあなたには、他の人を神の家族として迎え入れるために、神が用いようとしておられる貴重な経験があるのです。

ライフメッセージの中心は、救いの証しと言われる体験談です。あなたが主イエスをキリスト(救い主)として受け入れたことによって、あなたの人生がどのように変えられたのか。そのことを分かち合うのが救いの証しです。

いつでもライフメッセージを分かち合うことができるように、以下の3つのポイントで、あなたの救いの証しを準備しましょう。

1、キリストに出会う前の私の人生。

2、どのようにキリストの必要を覚え、自分の人生をキリストにゆだねたか。

3、キリストに出会った後の私の人生。

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礼拝メッセージ「使命のために」

礼拝メッセージ「使命のために」

聖書箇所:マタイ福音書28章1ー20節

それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」マタイ福音書28:19-20

いよいよ人生を導く5つ目の目的、「あなたは使命のために造られた」を学びます。

使命は、「命を使う」と書きます。人生とは、命を使うことです。しかし、何のために、誰のために命を使うのかによって、人生は大きく変わります。

主イエスは、「魂の救い」と「弟子作り」という大切な使命を、教会に、私たち一人一人に与えておられます。あなたは、自分の周りにいるまだ神を知らない人たちに対して、責任を負っているのです。

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Christmas

Christmas

聖書には、キリストが何日にお生まれになったのかは記されていません。クリスマスが現在のように12月25日に祝われるようになったのは、4世紀のことだと言われています。

初代教会はキリストの誕生日にはそれほど関心がなかったようです。なぜならキリストについて最も重要なことは、その死と復活にあったからです。しかし誕生がなければ死も復活もありませんので、やがてキリストの誕生にも関心が向けられていったようです。

当時ローマ帝国では、太陽を神として拝む祭りが12月25日に行われていました。この日は古代の暦では冬至の日でした。冬至というのは、一年のうちで最も昼の時間が短くなる日です。そして冬至を境にして、少しずつ日が長くなります。ですから冬至の日に新しい太陽の誕生を祝うという習慣は、世界各地にあります。

キリスト教会は、イエス・キリストこそ、朝日のように輝き昇った「まことの太陽」であり「世の光」であるという福音を、積極的に宣べ伝えるために、12月25日をキリストのご降誕を覚える日としたのでした。

『イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネ福音書8:12)』

Nativity

燭火礼拝メッセージ「聖夜」

燭火礼拝メッセージ「聖夜」

聖書箇所:ルカ福音書2章1ー20節

ところが、彼らがそこ(ベツレヘム)にいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。ルカ2:6-7

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礼拝メッセージ「弱さの中に働く神」

礼拝メッセージ「弱さの中に働く神」

聖書箇所:2コリント12章7ー10節

しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。2コリント12:9

不完全で弱さを抱えた人々を用いて、神がどれほど力強い働きをなさるのか。聖書を読むと、そのような「弱さの中に働く神の力」を覚えることができます。

もし神が、完全で強い人しかお用いにならないのであれば、神の働きは全く前進しなくなってしまうでしょう。私たち人間の中に、欠点や弱点のない人など一人もいないからです。

弱さの中に働く神の力強さを、実際に体験するためには、以下の4つのことを心がける必要があります。

1、自分の弱さを認めること

2、自分の弱さをあえて受け入れること

3、自分の弱さを正直に分かち合うこと

4、自分の弱さを通して現わされる神の栄光

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礼拝メッセージ「しもべのように」

礼拝メッセージ「しもべのように」

聖書箇所:ヨハネ福音書13章1ー20節

それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。ヨハネ福音書13:14

真のしもべは、天の父に無条件に愛され、受け入れられていることを知っています。ですから自分を人に認めてもらうために、人前でパフォーマンスすることから解き放たれています。

主イエスは、弟子たちの足を洗われました。驚くばかりの至上の愛です。師が弟子の足を洗うなら、弟子からも見下される可能性が十分ありました。しかし主イエスは、喜んであなたの足を洗われるのです。

真のしもべを志すなら、まずキリストにあって、自分の存在価値を回復する必要があります。そうでないと、しもべのように仕えることはできません。

祈りにおいてこそ、私たちは自分の存在価値、意義と安全を、神御自身の中に、キリストの中に見いだすことができます。

キリストの中に自分の存在価値を見出すことが出来たなら、あなたの生き方を通して、神の栄光が力強く輝き出ることでしょう。

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