「日本同盟基督教団の霊性とは何だろうか?」という話題が先日の関東宣教区教師会で出た。
私の中ですぐ出てきたのは、「宣教する霊性」という言葉でした。
聞き慣れた言葉なら、「フランソンスピリット」という言葉ですが、それは「宣教する霊性」と訳すことができるでしょう。
タグ: 霊性
礼拝メッセージ「土地のちりといのちの息」
礼拝メッセージ「土地のちりといのちの息」(クリックで聴けます)
聖書箇所:創世記2章4-7節
神である主は土地のちり(アダマー)で人(アダム)を形造り、その鼻にいのちの息(神の霊)を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。創世記2章7節
これまで見てきた創世記1章から2章3節には、天地万物の創造の中で、そのクライマックスとして、人間の創造が取り上げられていました。
創世記2章4節からは、創造の冠、最高傑作としての人間に改めてカメラが向けられ、人間がクローズアップされ、スローモーションで描写されています。
人間が神のかたちに基づいてデザインされているというのはどういう意味なのか。そのことが、3つのアングル・視点から紹介されていきます。最初のアングルは、いのちという視点から見た神のかたちです。
上記のみことばを原語で読むと、「人」と訳されていることばは「アダム」です。これは人間を意味する男性形の単語です。興味深いことに、「土地」と訳されていることばは「アダマー」となっており、これはアダムと同じ単語の女性形です。
人が土地のちりから形造られたとき、まだいのちを持つ生きものではありませんでした。いのちの源である主なる神が、その鼻にいのちの息(神の霊)を吹き込まれた時、人は生きものとなったのです。