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礼拝メッセージ「四六時中」ローマ26
礼拝メッセージ「四六時中」ローマ26(クリックで聴けます)
聖書箇所:ローマ人への手紙10章16ー21節
16 しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。「主よ。だれが私たちの知らせを信じましたか」とイザヤは言っています。17 そのように、 信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。18 でも、こう尋ねましょう。「はたして彼らは聞こえなかったのでしょうか。」むろん、そうではありません。「その声は全地に響き渡り、そのことばは地の果てまで届いた。」19 でも、私はこう言いましょう。「はたしてイスラエルは知らなかったのでしょうか。」まず、モーセがこう言っています。「わたしは、民でない者のことで、あなたがたのねたみを起こさせ、無知な国民のことで、あなたがたを怒らせる。」20 またイザヤは大胆にこう言っています。「わたしは、わたしを求めない者に見いだされ、わたしをたずねない者に自分を現した。」21 またイスラエルについては、こう言っています。「不従順で反抗する民に対して、わたしは一日中、手を差し伸べた。」 ローマ人への手紙10章16−21節
もしあなたがイスラエルのように、神に対して不従順で反抗する民であったとしても、神は四六時中、あなたに手を差し伸べておられます。
四六時中あなたに語りかけておられる神のことばに、あなたが耳を傾けるなら、神があなたの内に信仰を芽生えさせ、成長させてくださいます。
礼拝メッセージ「陶器師とあわれみの器」ローマ23
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聖書箇所:ローマ人への手紙9章19ー29節
19 すると、あなたはこう言うでしょう。「それなのになぜ、神は人を責められるのですか。だれが神のご計画に逆らうことができましょう。」20 しかし、人よ。神に言い逆らうあなたは、いったい何ですか。形造られた者が形造った者に対して、「あなたはなぜ、私をこのようなものにしたのですか」と言えるでしょうか。21 陶器を作る者は、同じ土のかたまりから、尊いことに用いる器でも、また、つまらないことに用いる器でも作る権利を持っていないのでしょうか。22 ですが、もし神が、怒りを示してご自分の力を知らせようと望んでおられるのに、その滅ぼされるべき怒りの器を、豊かな寛容をもって忍耐してくださったとしたら、どうでしょうか。23 それも、神が栄光のためにあらかじめ用意しておられたあわれみの器に対して、その豊かな栄光を知らせてくださるためになのです。24 神は、このあわれみの器として、私たちを、ユダヤ人の中からだけでなく、異邦人の中からも召してくださったのです。ローマ人への手紙9章19−24節
本当の神は陶器師に例えられます。そして私たち人間は、最高の陶器師によって形造られた陶器に例えられます。デザイナーの目的に沿って存在する時、私たちにはオンリーワンの存在価値がありました。
主権者なる神は、怒りが注がれるべき器を深くあわれみ、ご自分が怒りを注がれるべき器となられました。私たちをあわれみの器として再創造するために。
陶器師とあわれみの器
礼拝メッセージ「神の主権」ローマ22
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聖書箇所:ローマ人への手紙9章6ー18節
10 このことだけでなく、私たちの父イサクひとりによってみごもったリベカのこともあります。 11 その子どもたちは、まだ生まれてもおらず、善も悪も行わないうちに、神の選びの計画の確かさが、行いにはよらず、召してくださる方によるようにと、12 「兄は弟に仕える」と彼女に告げられたのです。13 「わたしはヤコブを愛し、 エサウを憎んだ」と書いてあるとおりです。14 それでは、どういうことになりますか。 神に不正があるのですか。絶対にそんなことはありません。 15 神はモーセに、「わたしは自分のあわれむ者をあわれみ、自分のいつくしむ者をいつくしむ」と言われました。16 したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。17 聖書はパロに、「わたしがあなたを立てたのは、あなたにおいてわたしの力を示し、わたしの名を全世界に告げ知らせるためである」と言っています。18 こういうわけで、神は、人をみこころのままにあわれみ、またみこころのままにかたくなにされるのです。ローマ人への手紙9章10-18節
1、神は主権を持って人間を選ばれる
2、人間には神に選ばれる条件など何もない
3、救いはあわれんでくださる神による
人間の願いや努力(行い)によるのではない
神の主権
礼拝メッセージ「捨て身の願い」ローマ21
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聖書箇所:ローマ人への手紙9章1ー5節
1 私はキリストにあって真実を言い、偽りを
言いません。次のことは、私の良心も、
聖霊によってあかししています。
2 私には大きな悲しみがあり、私の心には
絶えず痛みがあります。
3 もしできることなら、私の同胞、肉による
同国人のために、この私がキリストから引き
離されて、のろわれた者となることさえ願い
たいのです。
4 彼らはイスラエル人です。 子とされることも、
栄光も、契約も、律法を与えられることも、
礼拝も、約束も彼らのものです。
5 父祖たちも彼らのものです。またキリストも、
人としては彼らから出られたのです。
このキリストは万物の上にあり、とこしえに
ほめたたえられる神です。 アーメン。
ローマ人への手紙9章1-5節
「何者も何事も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」パウロはそう宣言しました。
そのパウロが語ります。「もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたい。」
捨て身であなたを愛しておられる主イエスの愛に触れられる時、あなたもパウロのように捨て身で願う者に変えられることでしょう。捨て身で神と隣人のために生きる者とされる。これがキリストのように変えられるという益です。
捨て身の願い
父の日歓迎礼拝メッセージ「父として勝利する秘訣」ローマ20
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聖書箇所:ローマ人への手紙8章31ー39節
31 では、これらのことからどう言えるでしょう。
神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに
敵対できるでしょう。
32 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ
惜しまずに死に渡された方が、どうして、
御子といっしょにすべてのものを、
私たちに恵んでくださらないことがありましょう。
33 神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。
神が義と認めてくださるのです。
34 罪に定めようとするのはだれですか。
死んでくださった方、いや、
よみがえられた方であるキリスト・イエスが、
神の右の座に着き、
私たちのためにとりなしていてくださるのです。
35 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。
患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、
飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。
36 「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。
私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。
37 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、
これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。
38 私はこう確信しています。死も、いのちも、
御使いも、権威ある者も、今あるものも、
後に来るものも、力ある者も、
39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、
私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、
私たちを引き離すことはできません。
ローマ人への手紙8章31-39節
ローマ岳最高点に着きました。父として勝利し、圧倒的な勝利者となる秘訣が明らかにされます。